プロローグ
けんしです!ヨロシク!
東京都の閑静な住宅地。
石崎海斗はただ一人、小学校の帰り道を歩いていた。
その背中は冷めきって見える。
小学六年生になって半年経ったが、何一つ変わることがない、
変わったことがあるとするならば少し身長が伸びたくらいだ。
海斗が7歳の頃、母親は突然の交通事故で帰らぬ人となった。
優しい母の温もりが大好きだった彼にとってとても辛いことだ。
父親は仕事で忙しく、朝、海斗が目を覚ます前に仕事に行き、夜、海斗が眠りについた後に帰宅するので、ほとんど一緒にいる時間がない。
学校に行っても口を開く相手はいない。回ってくるのは、短くなった鉛筆の芯や消しゴムのクズ、そして容赦なく飛んでくるいじめっ子たちの拳だけだった。なので、海斗はここ数年、ずっと孤独なのだ。泣いた夜も沢山あった。
坂を下りきった先にある、古びた二階建てのアパート。階段を上り、自分の家のドアを開ける。
「ただいまー」
当然、誰もいないので返ってくるのは静寂だけだった。母の「お帰り」も、あれ以来、聞くことがなくなった。
リビングのテーブルの上に置かれた、数枚の千円札と『これで夜ご飯を作りなさい』という走り書きのメモ。いつもこの光景を見ると凄く虚しい気持ちになる。母がいれば、こんな気持ちじゃなかったはずだ。
自分の部屋にある机にランドセルを置き、ベッドに座ってボーっとしている。
(宿題、やる気出ないな……。少し公園にでも行って、気分転換しようか)
重い体を起こし、アパートを出る。さっき下ってきた坂を再び上り、近所の公園へと向かった。
だが、運悪く公園の広場にはいじめっ子五人組が集まっていた。しかも、リーダー格の男が手に握っているのは木製のバットだった。
嫌な予感が跳ね上がる。
「あ! 海斗じゃねーか! どうした? 俺たちと遊んでほしいのかよ!」
リーダー格がバットを肩に担ぎ、嘲笑いながら歩み寄ってくる。
海斗は関わりたくない一心で、目をそらして通り過ぎようとした。
「おい、無視してんじゃねーぞ!!」
激高した声とともに、バットを振り回しながら追いかけてくる。残りの四人もヘラヘラと笑いながらそれに続いた。
流石にバットを持った相手に勝てるわけがない。海斗は即座に翻転し、全力で逃げ出した。
しかし、連日いじめられて体力が削られている海斗と比べ、相手の方が足が速い。足音が刻一刻と背後に迫ってくる。
坂を一気に駆け下り、逃げ込んだのは近所の河川敷だった。
石段を転がり落ちるように駆け下り、川のすぐ手前まで走ったが、そこで足が止まった。行き止まりだ。
後ろを振り返れば、少しずつ距離を詰めてくる五人組。
背後には深く流れる川。前方にはバットを握りしめた五人。完全に退路を断たれた。
「逃げ場ねえぞ、海斗ぉ!」
嘲笑と威圧感の中、海斗の思考が白く塗りつぶされていく。
(……こいつらに殴られて惨めな思いをするくらいなら――!)
一瞬の衝動だった。海斗は向きを直すと、迷わず後ろの川へと飛び込んだ。
ザブーン!!
しかしここでやらかしてしまった。海斗は泳げない。そして誰も助けに来ない。
水圧が体に重くのしかかり、手足を必死にばたつかせるが、体は容赦なく沈んでいく。
「や、やべえぞマジで……! 逃げろ!」
岸の上で焦ったいじめっ子たちの声が遠ざかっていくのが見えた。誰も助けてはくれない。
水面下へと引きずり込まれていく。
「ごぼ……っ!」
口からゴボリと大きな気泡が漏れた。
(く、苦しい、誰か……くそ……息ができない……俺の人生は……終わり……なのか……?)
海斗の視界がどんどん暗くなっていく、目を閉じたまま沈んでいく。
(親といる時間は少なくて、友達も出来なかった、しかもいじめられっぱなしで、良い成績も出せずに、よくバカやったな、俺。悔しいことだらけだった。でも、これで母ちゃんに会えるなら、もういいかな。心残りがあるとしたら、父ちゃんに別れの挨拶が出来なかったことかな……?)
海斗の視界はもう真っ暗だった。もう何も見えない、何も聞こえない、何も感覚が無い。
(もう時間かな……?母ちゃん、今、そっちに行くよ……)
◇
神々しい澄んだ音色と、薄い霧が漂う真っ白な空間。
海斗がゆっくりと目を開けると、そこには天国のような景色が広がっていた。これで母に会えるのだろうか。そう思って周囲を見渡すが、母の姿はない。
代わりに、遠くからこちらへ歩いてくる人影があった。
「……ん、君?」
現れたのは、目を疑うほど美しい青年だった。
虹色に輝く長い髪と瞳。透き通るような白い肌と引き締まったスタイル。真っ白なジャージの上に、優雅なマントを羽織っている。
「あ、あなたは……? ここ、どこ……?」
あまりに浮世離れした存在に、海斗の頭は混乱した。
「俺?俺は虹神ラルク・アン・シエルだよ、ラルクって呼んでね」
青年――ラルクは七色の髪をなびかせ、爽やかな笑顔を見せた。
海斗の思考が竜巻のようになった。
「こうじ……?」
「虹神っていうのはねー、虹の神様ってこと、そのままの意味だよ」
「神様!?」
『神様』という単語でさらに話が紛らわしくなり混乱が増した、海斗は神様がいるのは信じてないし、そもそも物語の中とかにしかいないと思っていた。だがこの青年は自分が神様だと名乗っているのだ。彼はまだ頭の整理がつかないでいた。
それはそうだ、放課後にいじめっ子達に追いかけられ、川に飛び込んだ挙句溺れ、意識がなくなり、何もない白い空間に放り出され、派手な青年が現れ話しかけてきたり神様を名乗ったり、この短時間で色んなことが起きているのだから。
「ね、ねえ、まず、ここどこなの?」
海斗は冷静に場所を聞いてみた、この白い空間はどこなのかずっと気になっていた、明らかに天国ではないのは感じ取れる。
「あー、ここはね、転生の間だよ」
「テンセイノマ?」
海斗は首をかしげた。
「ここは俺が住んでいる神殿の奥にある、特別なポータルの中なんだ。ここに転生者が来てるかたまに確認してるってわけ、たしか一人目の転生者は、1500年以上前にここへ来て、後にワ国の初代天皇になっていたね」
「天皇!?」
海斗は驚いた、別の世界にも天皇がいるということに。天皇といえば、だれもが知る日本の象徴的な存在。そしてワ国という国の名前、恐らくその転生者は元・日本人で、日本の文化をある程度その世界に持ち出したのだろう。
「いや待てよ、つまり俺は二人目の転生者ってこと?」
「うん、二人目」
「やっぱ俺、川に溺れてそのまま死んだんだ、もう父ちゃんと会うこともないのか……もっといろいろ話したかったな」
ポツリと漏らした海斗の言葉に、ラルクの表情から軽やかさが消え、心配そうに眉をひそめた。
「君……あっちの世界で、結構辛い思いをしてきたんだね」
「うん……小さい頃に母ちゃんが死んじゃって、父ちゃんはいつも忙しくて。学校では友達もいなくて、ずっといじめられてた。すごく寂しくて、悔しくて……見返したくて勉強も頑張ったけど、全然ダメでさ……」
そう語る海斗の頭の上に、そっとあたたかい手が乗せられた。
「最後まで諦めずに、足掻いていたんだね。よく頑張ったよ。普通なら投げ出してしまうような状況なのに、君は本当に立派だ」
ラルクは海斗の頭を優しく撫でながら、温かい眼差しを向けた。
胸の奥がカッと熱くなり、海斗の瞳が揺れる。ポロポロと、大粒の涙が真っ白な床にこぼれ落ちた。
「くっ……ぐすっ……うぅ……」
必死にこらえようとするが、涙が止まらない。誰かに自分の頑張りを認められ、優しく包み込まれたのは、母が生きていた頃以来だったからだ。
「いいんだよ。嬉しい時は、泣いても」
ひとしきり泣いた後、ラルクはパンと手を叩いて空気を変えた。
「さ、気を取り直していこう! 自分がこれから『異世界に生まれ変わる』ってことは理解できたかい?」
「う、うん……」
「転生するってことは、新しい世界でゼロから生き直すってことだ」
生まれ変わる――その言葉に、海斗は固唾をのんだ。
恐怖と、ほんの少しの期待。複雑な感情が胸を駆け巡る中、ラルクの表情がすっと真剣なものへと変わった。
「もちろん、次の世界にも悪い奴らはいる。世界を支配しようとする者、滅ぼそうとする者……それに、あいつだって……」
「あいつ……?」
「……いや、何でもない」
ラルクは海斗の両肩を強く掴み、真っ直ぐに目を見つめた。
「だから、これから先も辛いことがたくさんあるかもしれない。でも――何があっても諦めないこと。それが一番大事だ」
「……うん!」
海斗もまた、力強く頷いて覚悟を決めた。
周囲の白かった空間が、急速に濃い霧に包まれていく。ラルクの姿が少しずつ透けて消えかけていく。
「そろそろ時間だね。いつかまた会えるといいな。次の世界で待ってるよ」
視界が白から再び暗転していく。遠ざかる意識の中で、海斗は胸の奥に小さな希望の火を灯した。
不安と、それを上回る期待を胸に秘めて――海斗は次の世界へと旅立った。




