エマ・グレイス【覚醒と亡命】
「被告レティシア・フォン・ローゼンヴァルト国家反逆罪について、無罪とする」
無罪判決の声が、まだ耳の奥に残っている。
法廷はざわめきに包まれ、安堵と祝福の声が交錯していた。
(やっと、ここまで来た)
私は、弁護席から立ち上がり、彼女を見る。
「レティシア様」
赤いドレスの裾が揺れ、レティシアは静かにこちらを見る。
その目に浮かんだ安堵の色に、胸が熱くなる。
(もう、大丈夫)
そう思った、その直後だった。回廊に出た瞬間、空気が変わった。背筋をなぞる、鋭い殺気。
風を切る音。刃が閃いた。
彼女の身体が揺れ、赤いドレスに赤が広がる。
床に落ちる血。崩れ落ちる身体。
「・・・っ」
私は反射的に駆け出し、彼女を抱きとめた。
「レティシア!」
白い衣が、瞬く間に赤く染まっていく。
黒衣の男。仮面の奥の瞳。
怒りが、胸の奥で爆ぜた。
「誰だ・・・私のレティシアを傷つけたのは・・・!」
喉が焼ける。
視界が白く染まり、床の紋章が淡く光り始める。
人々の悲鳴。
騎士たちの叫び声。
でも、私の世界には――腕の中の彼女しかいなかった。
「目を開けて」
彼女の呼吸は浅く、指先は冷たい。
胸の奥で、何かがはじけた。
怒りと恐怖と願いが、ひとつになる。
「返して・・・私の、大切な人を奪おうとした報いは――」
その瞬間。
身体の奥から、白い光が噴き出した。
回廊の紋章が強く輝き、床に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「聖女の力!?」
誰かの叫び声。
私は、レティシアを抱いたまま立ち上がった。
光が、私たちを包み込む。
風が渦を巻き、空気が震える。
私は、彼女の胸元に手を当てた。
「お願い生きて」
白い光が、彼女の身体へと流れ込む。
傷口が、淡く光る。血が止まり、裂けた肌が、
ゆっくりと塞がっていく。
折れかけていた呼吸が整い、冷えていた指先に温もりが戻る。
「・・・レティシア」
彼女の胸が、静かに上下した。
生きている。確かに。
光が収まり、回廊に静寂が戻った。
騎士たちが、黒衣の男を取り押さえている。
私は、彼女を抱きしめたまま、深く息を吐いた。
(今度は、守れた)
でも、胸の奥にはまだ恐怖が残っている。
(この国にいたら、また狙われる。命を狙われる運命は、まだ消えていない)
その瞬間、はっきりと理解した。
ここにいたら、彼女はまた殺される。
助けたと思った瞬間に、奪われる。
なら。もう、逃げるしかない。
王妃テレネッサは、すぐに駆けつけた。
私の腕の中で眠るレティシアを見て、表情を強張らせる。
私は、迷わず言った。
「王妃様。私は、彼女を連れてこの国を出ます。亡命を認めてください」
王妃テレネッサは一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。
「・・・行き先は」
「フロストハイム王国。北の国です。ルミナリア王国の影響が及ばない場所」
王妃は、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。王妃の名で、亡命を認めます。護衛は、精鋭をつけましょう」
「ありがとうございます。反対されたら強行突破するところでした」
王妃は、私をまっすぐに見た。
「あなたは、この国の聖女です。それでも、行くのですね」
「はい、彼女のいない王国に、価値はありません」
一瞬の沈黙。
そして、王妃は微笑んだ。
「あなたは、本当に愚かで本当に強い。そこが気に入っているの」
その夜。
城の裏門に、馬車が用意された。
王国騎士団の精鋭。通行証。
すべてが、整えられていた。
私は、眠ったままのレティシアを抱き、馬車に乗せる。
傷は、もうどこにもない。呼吸は穏やかで、頬には血色が戻っている。
「・・・もう少しだけ、眠っていて。目が覚めたら、もう別の国だから」
護衛騎士が合図を送る。
馬車の扉が閉まる。
蹄の音が鳴り響く。
そして私たちは、夜の王都を抜けて走り出した。
馬車の中は、ランタンの淡い灯りに包まれていた。
私は、彼女の寝顔を見下ろしていた。
「・・・」
(ほんとに治ってるよね?聖女パワーで一瞬治癒したけど・・・・万が一、見落としとか・・・いや、医療行為だから。これは完全に医療チェックだから)
私は自分に言い聞かせる。
次の休憩まで護衛は外に居る。今は二人きり。
「心頭滅却・・・心頭滅却・・・」
そっと、彼女のドレスの襟元に手をかけた。
「・・・ちょっとだけ・・・傷の確認だけ・・・」
(医療です、これは完全に医療です)
ストールのボタンを外し、ドレスをゆっくりずらす。
肩があらわになり、白い肌が灯りに照らされる。
「・・・」
(無傷。本当に、綺麗に治ってる・・・)
私は息を呑む。
鎖骨。肩口。胸元。どこにも、傷はない。
(よかった、ちゃんと治ってる)
そう思った瞬間。
―温かいものが、鼻から流れた。
「あ」
ポタリ。
レティシアの胸元に、赤い雫が落ちる。
(あ、鼻血。完全に鼻血。おかしいな、医療行為なのに。なんで鼻血)
慌ててハンカチで鼻を押さえながら、ふと窓に映る自分の顔を見る。
そこには――満面のニヤけ顔の私。
「・・・・・・」
スンッ。一瞬で真顔になる。
(護衛に見られたら人生終わる)
私はそっとレティシアのドレスを元に戻し、毛布を整えた。
「失礼しました。医療行為、終了です」
レティシアは小さく寝息を立てている。
私はその隣に座り、鼻を押さえたまま天井を見上げた。
(推しの無事を確認できたので本日はこれにて終了です。これ以上は心臓がもたない)
馬車は静かに北へ向かって走り続ける。
運命から逃げるための旅路で。
私は、そっと彼女の手を握った。
「今度こそ、ちゃんと守るから」
鼻血を押さえながら。
聖女の威厳を必死で取り戻そうとしながら。




