雪の王国を発つ日
フロストハイム王城に、再び使者が訪れたのは、あれから十日ほどが過ぎた頃だった。
雪は相変わらず静かに降り続き、白い塔と回廊を静寂で包んでいる。
謁見の間に集められた私たちは、前回とは違う緊張の中で、その言葉を待っていた。
玉座の前に進み出たのは、ルミナリア王国の正使。王家と神殿の紋章を掲げた随員が、静かに並ぶ。
「フロストハイム国王陛下。聖女エマ・グレイス様。レティシア・フォン・ローゼンヴァルト公爵令嬢様」
深い礼ののち、使者は口を開いた。
「ルミナリア王国は、先の条件をすべて受諾いたします」
胸が、ひくりと鳴る。
「ローゼンヴァルト公爵令嬢レティシア様の名誉は完全に回復され、今後いかなる政治的干渉も行わないことを、王家として誓約いたします」
王は静かに頷いた。
「また、王国は公爵令嬢の身の安全を永久に保証いたします」
私は思わずエマさんを見る。
(・・・通った本当に・・・通ってしまった)
「そして――」
使者は一拍置いた。
「女性同士の婚姻を認める法改正については、王国法の整備を要するため、一定の期間を必要とします。よって法改正が完了するまでの間、聖女エマ・グレイス様とレティシア・フォン・ローゼンヴァルト公爵令嬢様を正式な婚約者として王国が認めるものといたします」
謁見の間に、静かなざわめきが広がった。
――婚約。その言葉が、胸の奥に落ちてくる。
(本当に、エマさんと・・・結婚・・・?)
フロストハイム国王は、穏やかに告げた。
「よろしい。フロストハイム王国は、この決定を尊重する。二人の安全は、国境まで我が国が保証しよう。護衛を付ける」
使者は深く頭を下げた。
こうして、私たちの帰還が決まった。
◇出立の日◇
王城の門前には、フロストハイム王国の護衛騎士団が整列していた。白銀の鎧に、雪の紋章。
馬車の前に立つ国王は、穏やかな眼差しで私たちを見送ってくれる。
「レティシア・フォン・ローゼンヴァルト。エマ・グレイス。この国は、いつでも二人の帰る場所だ」
胸が、少し熱くなった。
「ありがとうございます」
エマも深く頭を下げる。
「この御恩は、決して忘れません」
馬車に乗り込むと、扉が閉じられた。
護衛騎士団が前後を固め、ゆっくりと進み出す。
雪の王国の街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
私は、窓の外を見つめながら小さく息を吐いた。
(・・・婚約者として、帰るのですね)
私は、これまで王太子の婚約者だった。
政略の婚約。家と家の結びつき。
そこに、個人の感情が入り込む余地はなかった。
隣に座るエマさんの横顔を見て、胸が少しだけ騒ぐ。
(エマさんは私を、選んだ。国を敵に回してまで命を賭けて)
それは、私にとって初めて向けられる個人としての想いだった。
胸の奥に、今まで知らなかった感情が芽生える。
戸惑いと、怖さと、そして――
ほんの小さな期待。
雪の王国を離れる馬車の中で、私は初めて、自分の未来を想像してしまった。
それは、王太子の隣ではなく聖女エマ・グレイスの隣に立つ未来だった。




