来訪者
雪の城に、ルミナリア王国の使者が訪れたのは亡命から、まだ数日しか経っていない頃だった。
フロストハイム王城の謁見の間は、いつもよりも張り詰めた空気に包まれている。
玉座の前に跪くのは、ルミナリア王国の正装を纏った使者団。
王家の紋章と、神殿の印章が並んでいた。
「聖女エマ・グレイス様。レティシア・フォン・ローゼンヴァルト公爵令嬢様」
使者は深く頭を垂れる。
「ルミナリア王国は、両名の帰還を要請いたします」
私は、無意識にエマさんの袖を掴んでいた。
「聖女様の力は王国に不可欠であり、レティシア公爵令嬢の不在によりローゼンヴァルト家の援助が絶たれた王家の財政と外交に、重大な影響を及ぼしております。国王陛下は、事態の収拾を強く望んでおられます」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(やはり簡単に、手放してはくれない)
王が静かに口を開く。
「フロストハイム王国は、すでに亡命を受理している」
「しかし――」
使者は言葉を詰まらせながらも続けた。
「王国は、正式な交渉の場を望んでおります」
その時。
エマが一歩前に出た。
「帰還するなら、条件があります」
場の空気が変わった。
「・・・条件、ですか」
「はい」
エマは、まっすぐ使者を見つめる。
「第一に、レティシア様の名誉の完全回復。第二に、彼女の身の安全を王家が永久に保証すること。第三に、王国が彼女の人生に二度と干渉しないこと」
使者の顔色が変わる。
「それは、国家の裁定に関わる問題です」
「承知しています」
エマの声は、驚くほど静かだった。
「そして第四に」
一拍、間を置く。
「私とレティシア様の婚姻を認めてください」
――謁見の間が凍りついた。
私の思考が、完全に止まる。
(・・・婚姻?・・・え?)
「・・・女性同士の婚姻は、ルミナリアの法では――」
「なら、改正してください」
エマさんは一歩も引かなかった。
「私の力を王国が必要とするなら私の人生も、尊重されるべきです」
フロストハイム王は、ゆっくりと頷いた。
「条件は受け取った。ルミナリア王国に伝えよ」
「・・・承知しました」
使者は青ざめた顔で頭を下げ、謁見の間を退室していった。
謁見の間を出た後も、私は言葉を失ったままだった。
雪の回廊を歩きながら、何度もエマさんの横顔を盗み見る。
(・・・婚姻?無理な条件を出して、諦めてもらう為・・・ですよね?)
そう思いたかった。
だって。
今まで、そんな素振りは一度もなかった。
お付き合いなら、まだしも。
結婚など――あまりにも突然すぎる。
私は足を止めた。
「・・・エマさん」
彼女も立ち止まり、こちらを向く。
「はい?」
「さきほどの条件ですが・・・」
視線を逸らす。
「無理な要求をして、諦めてもらう為のものですよね?」
エマさんは、一瞬だけ目を見開いた。
「そう思われますか」
「ええ」
私は小さく息を吐いた。
「今まで、そんなお話はありませんでしたし・・・いきなり婚姻など・・・正直、驚きました」
雪が、はらはらと落ちる。
エマさんは、ゆっくりと私の前に歩み寄った。
「レティシア様」
その声は、いつもより少し低い。
「今は、まだお返事は要りません」
私は顔を上げる。
「・・・そう、ですか」
胸の奥に、安堵と、わずかな寂しさが混じる。
その時だった。エマさんが、そっと私の手を取った。
「・・・え?」
彼女は何も言わず、私の手の甲に静かに口づけた。あまりにも自然で、あまりにも優しい仕草。
言葉を失う私に、エマさんは微笑む。
「今は、まだ。それでいいんです」
そう言って、私の手を離した。
胸の奥が、どくんと鳴った。
(・・・無理な条件を出しているだけ、ではない。この人は、エマさんは本気で・・・)
フロストハイム王国の空の下で。
私は初めて、聖女エマ・グレイスを一人の女性として、意識してしまった。
それが、この先の運命を大きく変える始まりだとも知らずに。




