7話 言いがかりの王子と冷ややかな執事
王都。
聖女ユナが放った「毒薬」デマは、数日のうちに、彼女自身が望まぬ形で王都を侵食していた。
火元は、影。貧民街の教会。
「聖女様の薬は効かねえが、あの『青い薬』は本物だ」
「ああ、ソフィア様の薬を飲んだら、聖女様の薬の『副作用(幻覚)』が消えちまった」
「……俺たちを見捨てなかったのは、聖女様じゃなく、追放されたソフィア様だったってことかよ」
ソフィアへの感謝と、聖女への不信感。
その火は、光の当たる場所へも容赦なく燃え移る。
貴族のサロン。
「聞いて? 聖女様の奇跡(ハーブ詰め合わせ)より、あの青い薬の方が、よほど不眠に効くわ」
「そもそも、あのギルドの薬は高すぎる。本当に奇跡なら、なぜ我々が金で買わねばならないのかしら?」
「……ソフィア様は、民のために『無料』で配っているというのに」
神殿の一室で、聖女ユナは、次々と届く報告に、完璧に整えられた指先を震わせていた。
ギルドマスターが、床に平伏している。
「も、申し訳ありません、聖女様! あの執事、我々の『デマ』を逆用し、『鎮静剤』として、さらに評判を……!」
(あの執事……! ヴィンセント!)
ユナの思考が、焦燥に焼き切れる。
(私の言葉を利用して、自分の商品を宣伝したですって!? しかも、『ソフィア』の名で!)
彼女は、自分の『権威』が、足元から崩れていく音を聞いていた。
論理と情報戦では、すでに負けている。
(……こうなれば、力づくで潰すしかない!)
ユナは立ち上がり、完璧な『慈愛』の笑みを浮かべた。
「分かりました。王都の民が、それほどまでに『偽りの薬』に惑わされているのですね」
彼女は、そのまま真っ直ぐに王子の執務室へと向かった。
「――アルフレッド殿下。恐ろしい情報が……」
彼女は、王子の前で、計算通りに涙をこぼす。
「ソフィア様が、辺境で……『軍事力』を蓄え、王国への反逆を企てている、確かな証拠が……!」
◆
辺境、アッシュ領。
「鎮静剤」とやらを王都に送り込んでから、数週間が経過した。
領地は、変わらず不毛だ。
だが、RCの安定供給ラインは確立し、飢えの恐怖は消えた。農地開墾も、ブロック爺さんの指揮の下、地道に進んでいる。
悪くない。実に悪くない傾向だ。
そこへ、「山の民」の連絡係が、王都からの定期報告を運んできた。
俺は、燕尾服の埃を払う仕草で、男から報告書を受け取る。
ソフィアお嬢様も、俺の隣で、厳しい表情で報告に耳を傾けていた。
「――以上が、王都の現状です」
「……ほう。『ソフィア様の薬が、聖女様の毒を消した』か」
俺は、報告書を読み上げ、乾いた笑いを漏らす。
そして、最後の項目。
「……王都の騎士団に、不穏な動き。我が領地への『討伐』の準備、と」
(……予想通りの反応速度だ、タヌキめ。デマが通じぬと分かれば、次は『暴力』か。実に芸がない。だが、その『暴力』こそが、お前の首を刎ねる『断頭台』となる。――王都の『駒』も、そろそろ良い頃合いのはずだ)
俺が報告書を畳むと、ソフィアお嬢様が凛とした表情で俺を見た。
その目には、もはや最初の頃のような怯えはない。
「……ヴィンセント。聖女様は、ついに軍を? 予想通りとはいえ……それで、次の『演出』は?」
「ええ。ですが、これも計画の内。むしろ歓迎すべき状況です、お嬢様」
俺は、完璧な執事の所作で、お嬢様に向き直った。
「どうやら王都の『お客様』が、玩具を沢山お持ちいただいてこちらへいらっしゃるようです」
俺の口元が、皮肉に歪む。
「最高の『おもてなし』で、歓迎いたしましょう」
俺の指示は、戦闘準備ではない。
それは、領民たちを動員し、「復興」作業を、より加速させ、より「可視化」させることだった。
「ゲイル。RCの加工場は、フル稼働させろ。活気があるように見せろ」
「エルム。お前は薬の調合を続けろ。煙突から煙を絶やすな」
「ブロック爺さん」
俺は、頑固な鍛冶師に向き直る。
「農地開墾のため、岩を砕く『頑丈なツルハシ』と、土を運ぶ『大型の鋤』の製作を急がせろ。お客様が到着する頃、ちょうど領民たちがそれを使っているといい」
ブロックは、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「……へっ。いい趣味してやがる」
ソフィアお嬢様も、俺の意図を完全に理解していた。
彼女は、自ら領民たちの作業場を視察し、彼らを激励して回る。
「皆さん、頑張って! 王都の方々も、我々の努力を見れば、きっと……!」
領民たちは、泥だらけのお嬢様の姿に、戸惑いながらも、確かに士気を上げていた。
(聖女が『反逆』の罪を着せるなら、我々はその『逆』を証明する。『我々はただ、この地獄で必死に生きようとしているだけだ』と)
(――そして、その『健気な姿』こそが、ソフィアお嬢様を『悲劇の聖女』として完成させる、最高の『舞台装置』となる。この俺が、そうプロデュースしてやる)
◆
数日後。
領地の復興作業が、最も活発に行われている、日の高い昼間。
谷の入り口から、乾いた風と共に、重い金属音と馬の蹄の音が響いてきた。
王子アルフレッド自身が率いる、王国の騎士団。
完全武装の『討伐隊』だ。
領民たちの顔が、恐怖に引きつる。
だが、彼らは逃げ出さなかった。
ブロック爺さんやゲイルの指揮の下、領民たちは、今しがた使っていた農具(ツルハシや鋤)を手に取り、震えながらも、お嬢様を守るように、館の前に薄い『壁』を作った。
王子アルフレッドは、その光景
ーー『武装(ツルハシや鋤)』した領民ーー
を見て、案の定、馬上で激昂した。
「やはり反逆の意志ありか! 聖女ユナの報告通りだ! その手に持っているのは武器ではないか!」
ソフィアお嬢様が、恐怖を押し殺し、凛として王子の前に進み出た。
「お待ちください、殿下! 我々にそのような意志はございません!」
彼女の、悲痛な声が響く。
「これは、農具です! 我々はただ、生きるために、この不毛の地を耕していただけで……!」
「黙れ、罪人めが!」
王子は聞く耳を持たない。
剣を抜き放ち、高々と掲げる。
「者ども、かかれ! 反逆者を一人残らず――」
「――お待ちください、王子殿下」
俺は、完璧なタイミングで、王子の馬の前に進み出ていた。
執事として、この上なく丁寧に、一枚の「書状」を彼に差し出す。
王子の動きが、止まる。
「何だ、貴様は! 今更命乞いか!」
「攻撃命令を下される前に、こちらを『ご確認』いただけますかな?」
俺の笑みは、完璧なまでに無害だ。
「『聖女様の薬』の『副作用』に苦しむ王都の貴族の方々を救うため、我が主ソフィア様が提供する『青い鎮静剤』の、『独占交易許可証』でございます」
「な……何を馬鹿なことを!」
俺は、その書状の下部に押された『紋章』と『サイン』を、王子に、そして彼の背後にいる騎士団長に、ゆっくりと見せつける。
「ーー発行者は、王国の『財務卿』であり、聖女様のギルドとは『利害が対立する』、あの(・・・・)『ボルジア伯爵』ですが」
俺は、完璧な笑みを浮かべたまま、首を傾げた。
「……何か?」
王子の顔が、激昂の赤から、困惑の青へ、そして屈辱の白へと変わっていく。
彼が持つ剣が、意味を失ったように、わずかに震えている。
「で、殿下! お待ちください!」
王子の背後にいた騎士団長が、慌てて王子の腕を制した。
彼の目は、俺が持つ書状の『紋章』に釘付けになっている。
「し、しかし殿下! そ、それは、間違いなく……財務卿閣下の『印章』! 我々が今ここで彼らを攻撃すれば、財務卿閣下の『経済政策』に、王家自ら剣を向けることになりますぞ!」
他の騎士たちも、互いに顔を見合わせ、剣を抜くのを躊躇している。
(……チェックメイトだ、愚かな王子よ。そして、計算高いタヌキ(聖女)よ)
俺は、内心で喝采を送る。
(お前たちが振りかざした『暴力』の剣は、俺が仕掛けた『経済』の盾によって、見事に砕け散った)
(――ああ、実に滑稽だ。さて、この『財務卿』という駒、次はどう動かしてやろうか?)




