6話 目には目を 悪意には悪意を
◆
ーー王都。
光と、その影が濃く落ちる場所。
その影ーー貧民街の教会で、一つの『噂』が火種のように燻り始めていた。
「聞いたか? あの『青い薬』のこと」
「ああ……追放されたソフィア様が、辺境で見つけたっていう……」
「聖女様の『奇跡』じゃねえ。だが、あのどうしようもねえ気鬱が、少し楽になるんだ。しかも、タダだ」
その火種は、光の当たる場所へも飛び火する。
とある貴族のサロン。
聖女ユナの強引な寄付金集めに辟易していた者たちの間で、それは囁かれた。
「『呪われた神の涙』を精製した、鎮静剤ですって」
「まあ、ソフィア様らしい、あの方の紋章とサインが入った説明書付きで」
「聖女様の薬は高価な上に、最近は効果も……。それに比べ、こちらは安価タダで、確かな効能が」
噂は、波紋のように広がり、やがて王都の光の中心ーー聖女ユナの元へと届いた。
「売上が、さらに落ちている……?」
神殿の一室で、ユナはギルドマスターからの報告書を握りしめた。
彼女の完璧に整えられた眉が、わずかにひそめられる。
「はい。それもこれも、あの追放されたソフィア・クライストが流している、『青い毒薬』のせいです! 聖女様の権威を貶める、悪魔の所業に違いありません!」
「……毒薬、ですって?」
ユナは、計算高く目を伏せる。
(……ただの安物ではない。私の『権威』そのものを狙った、明確な攻撃。あの執事……ヴィンセントの仕業ね)
あの綺麗事に塗れたソフィアができるはずはないー
と彼女は敵を見定める。
(ならば、こちらも『権威』で潰す。あの薬が『本物』であるはずがない、という一点で)
彼女は、顔を上げた。
そこには、民を憂う『聖女』の顔が完璧に貼り付けられていた。
「ギルドマスター。王都の民が、毒に苦しめられているのですね……許せません」
「おお、聖女様!」
「すぐに布告を出しなさい。あの辺境の薬は、効果を偽装した『猛毒』である、と」
「しかし、証拠は……」
「証拠なら、これから作るのです」
ユナは、冷ややかに言い放つ。
「あの薬には、深刻な『副作用』がある。使用者は恐ろしい『幻覚』に襲われ、精神が崩壊する『依存性』がある、と。ーーーー王都全域に、徹底的にお触れを出しなさい。これは、民を救うための『警告』です」
◆
辺境、アッシュ領。
『戦争』の第一報は、王都の喧騒とは無縁の、この静かな塩まみれの領地にもたらされた。
「……なるほど。『毒薬』に『副作用』か」
俺は、山の民の連絡係から受け取った報告書を読み上げ、静かにテーブルに置いた。
窓の外では、ブロック爺さんが指揮し、領民たちが黙々と鍬を振るっている。
農地開墾は、遅々としてはいるが、確実に進んでいた。
「……ひどいわ」
俺の向かいで、ソフィアお嬢様が唇を噛み締めていた。
「嘘で私たちを貶めるなんて……。ヴィンセント、これでは、せっかくの薬が……」
彼女は、純粋に憤っている。
その「正しさ」こそが、彼女の価値だ。
だが、俺は違った。
俺は、完璧な執事の笑みを浮かべる。
(……実に凡庸な『悪手』だ。ジャックポットだよ、タヌキ殿)
俺の思考が、歓喜に震える。
(お前が『毒』だと言い張れば、言い張るほどいい。お前がその『嘘』という名の泥沼に足を踏み入れた瞬間、俺の『罠』は完成する)
「お嬢様。敵は自ら墓穴を掘ってくれました」
俺は、立ち上がり、次の計画を説明する。
「『毒薬』ですか。結構。ならば、我々は――」
俺は、冷徹に、次の「商品」を定義する。
「その『毒』の『解毒剤』を売るとしましょう」
◆
俺は、元薬師のエルムを呼びつけた。
彼は、聖女のデマを聞き、すでに顔面蒼白だ。
「エルム。聞こえたな? 聖女様が、我々の薬を『幻覚を引き起こす毒』だと『認定』してくださった」
「ひぃぃ! そ、そんな……我々は終わりです!」
「逆だ、馬鹿者」
俺は、エルムの胸倉を掴み、冷たく言い放つ。
「お前の出番だ。RCが持つ本来の『感情麻痺作用』。これを、聖女様の『デマ』に対抗させろ。『精神的な興奮や幻覚を鎮める、唯一の鎮静剤』として、効能を再定義しろ」
「……え? あ……あぁっ!」
エルムの目が、恐怖から驚愕に見開かれる。
「新しい『説明書(物語)』を即刻作成しろ。そして、連絡係」
俺は、王都から戻ったばかりの男に、次の指示を出す。
「この新しい『説明書』と、現物を、王都へ持って戻れ」
「……ヴィンス、また配るのか?」
「ああ。だが、名目が変わった」
俺は、執事の仮面の下で、悪魔のように笑う。
「『聖女様の薬(あるいは、巷の偽薬)で、副作用(幻覚・興奮)に苦しむ人々へ』――」
「『クライスト公爵家が、その苦しみを鎮める、本物の『鎮静剤』を無償で提供いたします』、だ」
「価格は、前回同様オトクな『無料』でな」
◆
「……ヴィンセント」
ソフィアお嬢様が、息を呑む。
「それは、まるで……」
彼女は、俺の計画の悪魔性マッチポンプに気づき、言葉を失っていた。
俺は、彼女に向き直る。
この世でただ一人、俺が忠誠を誓う『光』。
その光に、俺は完璧な執事の笑みを捧げる。
「ええ、お嬢様。これぞ『ビジネス』です」
「敵が『火』を放つのなら、我々は『水』を売る。ただ、それだけのこと」
(……聖女タヌキよ。お前が流した『毒薬』のデマは、そのまま我々の『鎮静剤』の最高の『宣伝プロモーション』となる)
俺は、王都の方角を見据える。
(お前は、自らの嘘で、存在しない『病』を作り出し、その『病』を治せる唯一の『薬』を、俺たちが持っていると証明してくれた)
(お前は自らの嘘で、自らの クビ を絞めるのだ)
ーーーーああ、実に滑稽だ




