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5話 幸せを呼ぶ『青い薬』


あれから数日。



領地には、奇妙な日常が訪れていた。




『怨嗟の甲殻類(RC)』の煮沸臭が、朝霧と共に谷に立ち込める。


それが、今やこの領地の「生活」の匂いだ。



飢餓は、回避された。


だが、領民たちの表情は晴れない。



あの「不味い希望」を、毎日三度、口にしなければならないのだから。


しかし、「働けば食える」という俺が提示した唯一の『秩序ルール』は浸透し、農地開墾やRCの加工作業は、黙々と続けられている。



死の淵から戻った人間は、不味い餌でも文句を言いながら食らいつく。






館にて。


俺は、完璧に淹れた(代用品の)茶を、ソフィアお嬢様の前に置く。



彼女も、あのRCの粉末を混ぜた粥を口にしている。


その顔は、毎食、わずかに歪む。




「お嬢様。次の『ビジネス』の概要をご説明します」




俺は、RCの備蓄リストを片手に、本題を切り出した。



「この『ゴミ(RC)』を『商品』に転換し、聖女ユナが独占する『薬市場』へ、我々の最初の一撃を仕掛けます」




お嬢様が、カップを持つ手を止めた。


その瞳が不安に揺れる。


「……でも、ヴィンセント。あの聖女様の市場よ? 奇跡の力を持つという、あの方に……私たちが太刀打ちできるのかしら……」



(……奇跡、か。便利な言葉だ)



俺は、思考の中で、あのタヌキ聖女の計算高い顔を思い浮かべる。




「お嬢様。ご心配なく」


俺は、執事の完璧な笑みを崩さない。



「我々が売るのは『薬』ではありません。あのタヌキ聖女が売ることのできない甘くて止められない『真実』と『安価』です」



俺は、窓の外で働く領民たちを示す。



「市場カネは常に、より『合理的』な方へ流れるものですよ。たとえ、それを動かすのが『奇跡』であろうと、『絶望』であろうと……ね」





ーー『ビジネス』は、戦争だーー



戦争の基本は、兵站と情報。



俺はまず、元薬師のエルムを呼びつけた。


「エルム。RCの『感情麻痺作用』。これを、より安全な形で抽出、調合しろ」



「ひぃっ! ど、毒を薬に……ですか!?」


臆病者のエルムは、白目を剥きそうになる。



「そうだ。聖女様の『奇跡』は、派手な外傷や病には効くだろう。だが、王都の貴族どもが抱える、もっと根深い『病』――心労、不眠、不安。そういった『奇跡』がカバーしきれないニッチな分野に、この『毒』をぶつける」



「し、しかし、材料が……」


「ことある事にママが用意してくれるのか?……あるものでやれ。それが『経営』だ」




次に、山の民リーダー、ゲイル。


「お前のネットワークで、王都と周辺都市の『市場調査』を命じる」


「市場調査、だぁ?」


ゲイルが、荒々しく眉をひそめる。



「ああ。聖女の薬の『価格』。『評判』。特に『悪評』だ。誰が、どこで、どのように売り、そして、誰が『不満』を持っているか」



俺は、金貨を数枚、彼の前に弾いた。




「徹底的に洗い出せ。顧客カネヅルの不満は、我々の『武器』だ」




(……まずは敵を知る。市場いくさばの地形、敵の兵站へいたん、そして『顧客たみ』の不満。それら全てを分析し、再構築する。それが俺の『知略』だ)






数日後、ゲイルが持ち帰った情報は、俺の予想以上に『腐って』いた。



「……なるほど。高価な『奇跡の薬』に、効果不明の『ハーブ』を抱き合わせ販売。ギルドを通した強引な押し売り。そして、効果が出ないのは『信仰が足りないせい』……か」




俺は、報告書を読み上げながら、冷ややかに笑う。



(完璧な『独占市場』の末期症状だ。腐敗し、傲慢になり、顧客への配慮を忘れている。ーーまるで肥溜めだな。ただ肥料になるのは腐った上層部にだけだが)



俺は、その報告書をソフィアお嬢様の前に差し出した。



「お嬢様。いよいよ『情報戦』の始まりです。我々の『薬』の最大の強みは、その『物語ストーリー』にあります」



「物語……?」



「はい。聖女ユナの物語は『神に選ばれた奇跡』。対して、我々の物語はこれです」



俺は、一枚の紙を指差す。



「『王都を追放された公爵令嬢ソフィア様が、領民と共に、神に見捨てられた地で見つけ出した、民の心を癒やす薬』」




俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見据える。




「この『物語』を、我々の『商品』に乗せる。そして、聖女の『偽りの権威』を、内側から崩します」




お嬢様の顔から、血の気が引いた。




「……それは、ヴィンセント。あまりにも……」




彼女は、その計画の『非情さ』、そして『あざとさ』に気づき、言葉を失う。


(ああ、そうだ。お嬢様。これは『慈悲』ではない。『戦争』だ。貴女の『優しさ』すら、俺は『武器』として利用する)



彼女は、しばらくの間、唇を噛み締めていた。


やがて、顔を上げた彼女の目には、民たちの前でRCを口にした時と同じ、『覚悟』の光が宿っていた。



「……ええ。やりましょう、ヴィンセント。民を救うために」






数週間後。



エルムが、震える手で、小さな小瓶を差し出してきた。



RC由来の「精神安定剤(試作品)」が完成した。


それは、意外にも、澄んだ『青色』の液体だった。



(……ほう。あのグロテスクな甲殻類ゴミから、こんな色を抽出するとは。エルムの奴、臆病な割にいい仕事だ。この『あり得ない青』は、それだけで『噂』の種になる)




「こ、効果は……驚くほどでは……。ですが、確かに、心を落ち着かせ、眠りを深くする効能が……。そして、何より安全です」



十分だ。



俺は、それを数十本、用意させる。



安価で、安全で、「聖女の奇跡」とは異なる、「確かな効能」。



これが、我々の最初の『弾丸』だ。



俺は、ゲイル率いる「山の民(交易部隊)」を招集した。


彼らに、その薬と、俺が用意させた手書きの『説明書』を渡す。


説明書には、クライスト公爵家の『紋章スタンプ』を押し、お嬢様の()()()を俺が()()()ものを記してある。もちろん、あの『物語』も添えて。



(本物のサインなど使ってたまるか。だが、この『紋章』と『サイン』こそが、聖女の『権威』に対抗する、我々の『ブランド』だ)



「いいか、ゲイル。これは『販売』ではない。『配布』だ」



「……タダで配れってのか、ヴィンス」



「そうだ。王都の『貧民街』にある教会。そして、聖女タヌキと利害が対立する、いくつかの『貴族のサロン』だ。聖女の光が届かない場所、あるいは、あの女を快く思っていない連中の前で、これを笑顔で『無料』で配ってやれ」


わざと笑顔でそう説明してやり説明をつづける。


「目的は『噂』だ。聖女の『奇跡』にすがるしかない哀れな資本主義の負け犬たちに、『もう一つの甘い選択肢』を提示しろ」



「……イカれた作戦だな。だが、嫌いじゃねえ」



ゲイルは、薬の箱を背負い、部下たちと共に出発していった。



ソフィアお嬢様が、彼らの背中に、不安げな視線を送る。



「……どうか、ご無事で」



俺は、その隣に立ち、王都の方角を見据える。



完璧な執事の仮面の下で、俺の口の端は、冷酷な喜びに歪んでいた。




(……さて、タヌキ殿。貴女の『独占市場』に、我々からのささやかな『ご挨拶』だ)



存分に味わうがいい



ーーーー『自由競争』という名の地獄をな



フン。第5話の読了、ご苦労だったな。ヴィンセントだ。

あのタヌキ(聖女)の『独占市場』に、ささやかな『ご挨拶(青い薬)』を届けてやった。


この『ビジネス(戦争)』の続きが見たいなら、『対価(★や感想)』を置いていけ。

さて、次回。

案の定、タヌキが『毒薬』だの、凡庸な『デマ』で反撃してきた。

面白い。奴が放った『火』を逆手に取り、我々の『鎮静剤(水)』を売る。


次回、『目には目を 悪意には悪意を』。


あのタヌキが、自らの『嘘』で自滅する・・を、特等席で見物しようではないか。

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