4話 ゴミの中の希望
代官という名の『害虫』が駆除されてから、数日。
領地には「自由」の空気が一瞬だけ流れた。
だが、それも、代官ルートからの配給が完全に途絶えるまでのことだった。
深刻な「食料不足」が、現実となって領民たちを殴りつける。
昨日までの安堵は、今日を生きる不安へと変わり、やがて不満と動揺に火をつけた。
「おい……どうなってやがる」
「代官様がいなくなったら、俺たちは飢え死にするだけじゃないか!」
虚ろだった目に、今度は俺たちへの敵意が宿り始める。
ソフィアお嬢様が、青い顔で俺の燕尾服の袖を掴んだ。
「……ヴィンセント。これが、あなたの言っていた『時間稼ぎ』の代償なの……?」
(……始まったか。飢えた家畜の、実にヒステリックな鳴き声だ)
俺は、集まってきた領民たちを冷ややかに観察する。
(自由より、鞭と餌を求めるか。実に合理的だ。さて、どう『再教育』するか)
俺は、領主の(仮)館に、この領地のわずかな『資産』
ーー元薬師のエルム、元鍛冶師のブロック、そして「山の民」リーダーのゲイルーー
を集めた。
報告はすでに得ている。
「……なるほど。『怨嗟の甲殻類(RC)』か」
俺の呟きに、ゲイルが忌々しそうに頷く。
「食えなくはねえが、不味いし、毒だ。代官は『薬』として売ってたがよ。でもそれーー」
「その毒を無害化する」
俺は即座に無能の発言を潰し指示を出す。
「エルム。お前は毒抜きの工程を確立し、安全管理マニュアルを作成しろ」
「は、はいぃっ!」
臆病者のエルムは、椅子から飛び上がりそうになる。
「ブロック。RC捕獲用の『道具』を開発・量産しろ。鉄屑でも何でも使え」
「……虫ケラの罠なんざ、作ったこともねえ」
頑固者のブロックは、腕を組んでそっぽを向くが、その指はすでに設計図を描くように動いていた。
「ゲイル。お前の『資産(若者)』組に、道具を持たせ、RCを捕獲させろ。インセンティブ(報奨)は出す」
(……素晴らしい。ゴミ(RC)がゴミ(負債組)を養う、完璧な『循環』だ。自給自足とは美しい。これで飢え死にが出なければ、だがな。まあ、多少の『不良在庫』の整理は必要経費か)
◆
俺は外で待つ「負債組(領民)」
ーー飢えで座り込む、残りの者たちーー
に、計画を告げた。
RCの処理作業を「割り当てる」と。
対価は、現物支給(処理済みのRC)だと。
静寂が、一瞬だけ落ちた。
次の瞬間、怒号が爆発した。
「ふざけるな!」
「あの毒虫を食えってのか!」
「貴族様が、俺たちを毒殺する気だ!」
「代官の方がマシだった!」
空気が、一気に熱を持つ。
領民たちが、石や、錆びた農具を手に取り、ゆっくりと俺たちを取り囲んでいく。
(……やれやれ。馬鹿にロジックを説くのは、悪魔に説法するより骨が折れる。だが、やるしかない)
俺が、冷徹な「論理」で彼らを黙らせようと、一歩前に出た、その時。
「……っ!」
俺の燕尾服の袖が、強く引かれた。
ソフィアお嬢様だった。
彼女は、青い顔で、震えながらも、俺の前に立ちはだかった。
「待ってください!」
彼女の甲高い声が、領民たちの怒号にかき消されそうになる。
石が一つ、彼女の足元に投げつけられた。
お嬢様の肩が、恐怖に強張る。
だが、彼女は引かなかった。
「私も……私も、一緒にやります!」
彼女は、運ばれてきたばかりの『RC』の山
ーー異臭を放つ、不気味な甲殻類の山ーー
に、振り返る。
ドレスが汚れるのも厭わず、その震える手を、RCの山に突っ込んだ。
「お、お嬢様! 毒が!」
エルムが、悲鳴のような声を上げる。
その瞬間、俺の身体が、思考より先に動いた。
一歩踏み出し、手が伸びる。
(やめろ。その手をどけろ。その汚物に、貴女が触れるな)
俺の指先が、完璧に整えられた燕尾服の袖口で、微かに震える。
即座に、拳を握りしめて抑え込んだ。
完璧な執事の仮面は、崩さない。
お嬢様が、俺ではなく、エルムを真っ直ぐに見据えていた。
その瞳は、恐怖に濡れていた。だが、その奥にある光は、決して折れていなかった。
「安全な手順は、エルムさんが知っているのでしょう?」
彼女は、RCの殻を掴んだまま、告げた。
「教えてください!」
彼女は、自ら「システム(マニュアル)」の最初の「被験者」となった。
エルムが、半泣きになりながら、煮沸の手順を叫ぶ。
お嬢様は、その指示通りに、自らの手でRCを処理していく。
やがて、煮沸が完了した「最初の不味い食事」が、湯気を立てた。
異臭は、さらに酷くなっている。
領民たちが、固唾を飲んで見守っている。
お嬢様は、その処理済みのRCを、震える手で掴んだ。
目を閉じ、一瞬ためらい、そして、それを自らの口に運んだ。
彼女の顔が、不味さに歪む。
だが、彼女は、それをゆっくりと飲み下した。
目を開け、領民たちを見る。
「……大丈夫です」
声は、まだ震えていた。
「これで、私たちは、生きられます」
(ハッ。最高に『イカれた』一手だ)
俺は、拳を握りしめたまま、内心で悪態をつく。
(俺の『論理』じゃない。このお方、たった一つの『行動』で、あの家畜どもの心を掴みやがった。……クソッタレ。だからこそ、目が離せない)
◆
時が、止まった。
領民たちの手から、石や農具が、力なく滑り落ちる。
カラン、と乾いた音が響く。
彼らの目に宿っていた「敵意」は、目の前の光景に対する「驚愕」に変わっていた。
誰かが、唾を飲み込む。
ゲイルが、短く舌打ちし、「……ちっ。やってやるよ」と、近くのカゴを掴んだ。
それを皮切りに、領民たちは、武器を下ろし、渋々ながらも「作業」の列に加わり始めた。
俺は、握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。
(……なるほど。これが『人心』か。非合理的だが……いや、これもまた『経営資源』の一つ。お嬢様は、俺にはない『武器』を持っている)
ーーそして俺の視線が、まだ動かずにいた数人の領民を、冷たく捉える。
(……そして、このお嬢様の『覚悟』を見て、なお動かなかった者こそが、真の『負債』だ。後で『処理』するとしよう)
(――ああ、そうだ。だからこそ、貴女は俺の『光』だ。その光を守るためならば、このヴィンセント、いくらでも『影(悪魔)』になりましょう)
作業が一段落し、ソフィアお嬢様が、泥だらけの姿で俺の元に戻ってきた。
疲労困憊で、今にも倒れそうだ。
だが、その目には、領主としての、確かな意志の光が宿っていた。
俺は、彼女に完璧な執事の礼をした。
「お見事でございました、お嬢様。ですが、お身体に障ります」
俺は、先ほどの動揺など微塵も見せず、静かに告げる。
「次に『お食事』をなさる際は、必ずこのヴィンセントにお申し付けを。……あんな『晩餐』、二度と貴女の口には入れさせません」
俺の視線は、すでに、備蓄され始めたRCの山と、その先にある王都を見据えていた。
「――さて、次はこの『ゴミ(RC)』を、王都の『金』に変える『ビジネス(復讐)』を始めるといたしましょう」
ゲイル: おう、読み終わったか。ゲイルだ。
ブロック: ……ブロックだ。
エルム: あ、エルムですぅ……。
ゲイル: しかし、驚いたぜ。あのお嬢様が、あの『毒虫(RC)』を迷わず口にするとはな。ガッツあるじゃねえか。
ブロック: フン。あれを見せられちゃ、(虫取り)道具作りの『覚悟』も決まるわ。
エルム: わ、私は毒抜きのマニュアル作成で、もう寿命が……!
ゲイル: ハッ。あんたらも、あの嬢ちゃんの『覚悟』の続きが見たいだろ? なら『ブックマークと★』でも押して、見届けてやれよ。
エルム: そ、そして次回……ヴィンセント様が、あの『毒(RC)』から『青い薬』を……!?
ゲイル: ああ。そいつで、あの王都の『聖女』のシマに喧嘩を売るらしいぜ。
エルム: ひぃぃ! 次回、『幸せを呼ぶ青い薬』……!




