3話 害虫駆除
代官という名の『害虫』が去った翌日。
俺は、このアッシュ領という名のゴミ溜めに残された、わずかな『資産』の査定を開始した。
朽ちかけた家々を、お嬢様と共に訪ねる。
どの家も、返ってくるのは虚ろな目だけだ。
だが、その中で、まだ「使える」駒が三つあった。
一人は、元薬師の老人。薬品の匂いではなく、カビの匂いが染み付いている。
一人は、元鍛冶師の老人。もう炉に火は入っておらず、錆びた農具を眺めているだけだ。
最後の一人は、この辺りの地理に最も明るい、元猟師の男。
彼は、他の老人たちと違い、まだ目の光が死んでいなかった。
俺は彼らを、領主の(仮)館ーー最もマシな空き家ーーに集めた。
テーブルの中央に、俺が拾ってきた『呪われた塩』の、ひときわ大きな結晶を置く。
(……価値はゼロ。いや、触れれば肌が爛れるという点で、マイナスか)
俺は冷ややかに「商品」を分析する。
(だが、重要なのは『事実』ではない。『認識』だ。あの豚(代官)が『価値があるかもしれない』と、すでに認識し始めている。ならば、それを『利用』する)
俺はまず、元薬師の老人に命じた。
「この塩を調べろ。毒性以外の特性をだ。例えば、特定の虫がこれを避けるとか、僅かでも腐敗を遅らせる効果があるとか。どんな些細な情報でもいい」
チートじみた浄化など期待していない。
必要なのは「それらしい」付加価値だ。
次に、元鍛冶師の老人。
「あんたには、最も見栄えの良い塩の結晶を選び出してもらう。それを、傷つけないよう慎重に磨き上げ、この木箱に丁重に詰めろ」
安物の木箱だが、今はこれで十分だ。
中身がゴミでも、包装が立派なら『商品サンプル』になる。
そして、元猟師の男。
彼が今回の『駒』の要だ。
俺は、彼に二つの任務を与える。
「一つ。この『商品サンプル』と、俺が書いた『手紙』を、お前が知る『裏ルート』で王都へ届けろ」
俺は、手紙を渡す。
宛先は、代官と派閥争いをしている、貪欲な中央貴族の一人だ。
「手紙の内容は、『代官が独占しようとしている、辺境の新たな富の源泉のサンプルを送る。協力すれば見返りは大きい』…といったところだ」
猟師の目が、俺の意図を測るように細められる。
「……そして、もう一つ。これが本命だ」
俺は、声を潜める。
「お前たちの仲間――いるんだろう? この塩の平原を抜ける道を知る者たちが」
猟師は無言で頷く。
目元はピクピクと痙攣し、得体の知れないモノを見るような目に汗まで浮かんでいる。
「彼らを使って、『噂』を流せ。『代官様が、王家にも秘密で、何かとんでもない儲け話(塩の独占?)を企んでいるらしい』と」
「噂の宛先は、代官の『部下(私兵)』と、『周辺の村々』だ。意図的に、だが、あくまで『噂』として流せ」
(……情報を操作する。代官自身を『宝の山を守る強欲な番犬』に仕立て上げる。外部(敵対貴族)と内部(部下)の両方から『疑心暗鬼』の網を張る。これで、奴が自滅する舞台は整った)
俺は、燕尾服の袖口を正しながら、思考をまとめる。
(――あとは、王都からの『使者』が予定通り到着し、その『断末魔』を見届けるだけだ)
◆
三日後の朝。
約束通り、代官が館にやってきた。
前回とは様子が違う。
従者の数が倍に増え、全員が武装している。
代官自身の目は血走り、俺とソフィアお嬢様を値踏みする視線には、焦りと強欲が浮かんでいた。
(……噂は、効いているな。部下に『儲け話』を嗅ぎつけられ、焦っている。だから武装を固めてきた)
俺は、完璧な燕尾服姿で、彼を迎える。
ソフィアお嬢様が、俺の背後から静かな視線で「許可」を与えた。
「代官殿。お待ちしておりました」
俺は、元鍛冶師が磨き上げた「商品サンプル」の木箱を、テーブルに置いた。
ゆっくりと、蓋を開ける。
箱の中には、鈍い光を放つ、美しくカットされた(ように見える)塩の結晶。
元薬師の報告では、「強い防虫効果」ーーー実際は、ほとんどの生物が嫌う毒性ーーーがあることが判明している。
「ご覧ください。これが、我々が発見した『富の源泉』です」
代官の喉が、音を立てずに動いた。
その目は、塩の結晶に釘付けになっている。
「まだ精製途中ですが、この防虫効果……王都の錬金術師に鑑定させれば、その価値は計り知れません」
俺は、ここで最大の「ハッタリ」を仕掛ける。
あえて、困り果てたような、無能な執事の顔を作る。
「ですが代官殿……」
俺は、深刻そうに声を落とす。
「この『富』は、あまりにも危険すぎる。我々だけでは手に余る。それに、この『呪われた塩』の毒性を考えれば……」
俺は、お嬢様を振り返り、意図的にためらった後、決意したように代官に向き直った。
「ここは、正直に『王家』に報告し、判断を仰ぐべきかと存じます。万が一、この富が原因で周辺領地に被害が及べば、我々だけでは責任が取れません」
「王家」という言葉が出た瞬間、代官の顔色が変わった。
脂汗が、額に浮かぶ。
「ま、待て! 報告だと!? 馬鹿を言うな!」
代官が、テーブルを叩かんばかりの勢いで欲の象徴のような身を乗り出した。
「王家が何だ! この領地は、儂が預かっているのだ! この塩の独占権は、儂にある!」
(……食いついた。完璧な自白だ)
俺の思考は、どこまでも冷たい。
(猟師の男、正確な仕事だ。王都からの使者(騎士団)は、すでに館の外で待機している。あとは、この『豚』に、決定的な『証拠(自白)』を叫ばせるだけだった。――そして、今、奴は叫んだ)
バタン、と扉が開き、見知らぬ紋章をつけた騎士たちがなだれ込んできた。
先頭に立つ騎士団長が、館の中を見渡し、強欲を剥き出しにした代官を冷たく見据えた。
「代官殿。貴殿に、王家への報告義務のある『新資源』の隠匿、及び職権乱用の容疑で、同行を願う」
代官の目が、点になった。
「な……何を……?」
「我々は、貴殿が王家の目を欺き、この地で得た『富』を独占しようとしている、との密告を受けた。さらに、貴殿の部下や周辺領民からも、『代官が不審な動きを見せている』との証言が多数上がっている」
代官が、はっとした顔で俺を振り返る。
「き、貴様かっ! 罠だ! あの執事の罠だ!」
俺は、ただ静かに、無力な執事として首を横に振るだけだ。
騎士団長は、代官の叫びを一蹴した。
「言い訳は王都で聞こう。現に今、『独占権は儂にある』と叫んでいたではないか。連れて行け」
騎士たちに両腕を掴まれ、代官は無様に引きずられていく。
俺は、その代官がすれ違う瞬間、あえて一歩近づいた。
完璧な執事の笑みを浮かべ、彼にだけ聞こえる声で、囁く。
「――代官殿。いささか『豚小屋』のような騒がしさでしたな」
代官の目が、憎悪に見開かれる。
「さて、『出荷』されるのはどちらでしたかな? ……ああ、失礼。もうあなたは代官では居られない、ただ腐臭がするゴミでしたな」
「ぐっ……き、さまぁ……っ!」
代官は何かを叫ぼうとしたが、騎士に口を塞がれ、そのまま連れ出された。
静けさが戻った館で、お嬢様が、不安げに俺の燕尾服の袖を引いた。
「ヴィンセント……」
俺は、彼女に向き直る。
執事として、完璧な礼を。
だが、その瞳には冷徹な計算の光を宿したまま、告げる。
「お嬢様。害虫駆除は完了しました」
「――さて、次は本当に、この『ゴミ(塩)』を『金』に変える『ビジネス』を始めるといたしましょう」
ぐっ……!読んだか、貴様ら!
この儂が、あのクソ執事の『罠』にハメられた様を……! 許さんぞ!
ちっ。……哀れみの★とブックマークでも押しておけ!
だが、見ていろ! 儂がいなくなり、連中(領民)は飢えているらしい! ハッ、自業自得だ!
次回 『4話 ゴミの中の希望』
あの公爵令嬢が……『毒虫』を口にするそうだぞ! ゲテモノ食いだ!
なんだ?儂を知らんのか?
ーー儂はヒュンメル!!代官だぞっ!




