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2話 害虫


ガタン、と最後の衝撃が来て、馬車が止まった。



窓の外に広がるのは、白。


どこまでも続く、白い塩の平原。


風が、乾いた塩の粉を運び、朽ちかけた数軒の家々が、墓標のように点在している。



ここが、俺たちの新しい『領地』。アッシュ領。



(……予想以上の『ゴミ』だな)


思考が即座に状況を分析する。



(だが、好都合だ。競合がいない市場ほど、御しやすいものはない)


隣で、ソフィアお嬢様が喉の奥で、ひゅ、と小さな音を立てた。



白い手袋に包まれた手が、俺の袖を強く握りしめる。


俺は、黒の燕尾服についた長旅の埃を、音を立てずに払い落とす。


先に馬車を降り、完璧な所作でソフィアお嬢様の手を取った。




「お嬢様。ご到着です」



俺たちが乾いた大地に降り立つと、視線が集まった。


数人の領民。老人ばかりだ。


彼らは、生気のない、焦点の合わない瞳で、俺たちを遠巻きに見ている。


歓迎の言葉はない。



ただ、見慣れぬ侵入者を観察する家畜のような視線。


これが、最初の『歓迎』か。


そこへ、不釣り合いに小綺麗な服を着た男が、数人のならず者を連れて現れた。


腹の出た、肥満の男。代官だろう。



代官の湿った目が、お嬢様の泥に汚れたドレスから、その首筋までを這うように動いた。


次に、俺の珍しい黒髪を一瞥し、その厚い唇が嘲るように歪んだ。


(……ほう。品定めか)


俺は内心で、目の前の豚を『商品』として査定する。



(値札をつけるまでもない。不良在庫以下の『廃棄物』だ。その汚れた眼球ごと、丁寧に加工してやろう)



「これはこれは。『元』公爵令嬢様と、珍しい黒髪の執事殿。歓迎いたしますぞ」



ねっとりとした声だ。


「長旅でお疲れのところ申し訳ないが……して、『上納品』の準備は、よろしいかな?」



(……出たな、最初の『害虫』が。この領地の資産価値を著しく下げる、実に分かりやすい存在だ)



(まあ、駆除は後回しだ。まずは情報収集と盤面の確認が先ーーっと)



お嬢様が、その無礼な視線と要求に、言葉を失っている。



俺は一歩前に出た。



お嬢様の視線が、俺の背中に「許可」を与える。



「これはご丁寧に、代官殿」



俺は、完璧な執事の微笑を顔に貼り付ける。


「あいにく、我々は王都を急ぎ出された身。金目の物は何一つ。上納品と言われましても、ご覧の有様でして」



俺は、代官の要求を丁寧にはぐらかしつつ、本題に入る。



わざと世間知らずな若造を演じ、目を輝かせるフリをした。



「恐れながら、代官殿。この白いのは、すべて『塩』ですかな?」


俺は、足元の白い大地を指差す。



「これだけあれば、王都に持っていけば大儲けできるのでは? なぜ誰もやらないのです?」


代官の目が、俺を侮りきったものに変わった。



豚が鳴くような、下品な高笑いが響く。


「ひゃはは! 塩だと? 執事殿、あんたは馬鹿か!」


代官は、腹を抱えて笑う。




「こんな『呪われた塩』に、何の価値があるというのだ! 王都の連中が、この不毛の地を『ゴミ捨て場』と呼ぶ理由を知らんのか!」


代官が、足元の塩を靴底で踏み潰す。



「この塩はな、作物を腐らせ、鉄を錆びさせ、人を病に冒す! 触れただけで肌が爛れる危険なシロモノだ! 唯一の使い道は、冬に死体の処理に使うくらいだわ!」


(……情報を得た)


俺の思考が、高速で回転する。


(『呪われた塩』。危険物扱い。流通価値はゼロ。代官がそれを完全に握っているわけでもなく、単に『無価値』と判断している)


(このゴミが、俺の最初の『商品』であり、『武器』になる)


俺は、無能な執事の仮面を貼り付けたまま、困り果てたように眉を下げる。




「そ、そうでしたか。無知を晒し、申し訳ありません……」

代官は、満足げに鼻を鳴らす。


「分かったならいい。三日だ」


彼は、欲にまみれた太い指を三本立てる。


「三日後に、また来る。それまでに、何かしらの『誠意』を見せてもらうぞ。それができねば……」


代官の視線が、再びお嬢様の顔を舐めた。



「……お嬢様自らに、『お勤め』を果たしていただくことになるやもしれんなぁ?」



下卑た笑いを残し、代官は私兵たちと去っていく。



ソフィアお嬢様の執事にも関わらず、これはとんだ誤算だ。

害虫に失礼であった。



残された領民たちは、まだそこにいた。


虚ろな目で、俺たちを見ている。まるで、もうすぐ死ぬ者を見るかのように。


「……ヴィンセント」


お嬢様が、震える声で俺を呼んだ。



「どうするの……? この塩に、価値など……」



俺は、彼女に向き直る。




執事として、完璧な礼を。




だが、その瞳の奥には、冷徹な計算の光を宿したまま。


最初の「ビジネスプラン」を告げる。


「お嬢様。ご安心ください」


俺は、静かに言い切った。



「価値がないのではありません。――まだ、誰もその『本当の価値』に気づいていないだけです」



「我々の最初の仕事は、あの『ゴミ』を『金』に変えることです」



俺は、代官が去っていった方向を、冷ややかに見据える。


「ーーそして、その『金』で、邪魔な『害虫』を駆除いたします」



第2話、読んでくださってありがとうございます。ソフィアです。

あの代官様はとても怖かったですが……ヴィンセントが私に隠れてこそこそなにかの準備を始めました。

あの『呪われた塩』を磨かせたり、猟師の方に『噂』を流させたり……。私には、彼が何をしようとしているのか、まだ……。

次回、『害虫駆除』。

あの方(代官)が、ヴィンセントの『罠』に……!

よろしければ、この先も(ブックマークと★で)見守ってください。

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