18話 帰還
アッシュ領を出発して数日が経過した。
王都へと向かう馬車の中は不気味なほど静かだ。
車輪が石畳を噛む音と、規則正しい揺れだけが俺たちの存在を証明している。
この旅路はあの日の『追放』となにもかもが真逆だった。
あの夜俺たちは二人きりで豪雨に打たれながらゴミ溜めへ『廃棄』された。
今は国王の召喚という大義名分を掲げ乾いた冬の光の中堂々と王都へ向かっている。
だが俺の心はあの夜逃げの時よりも遥かに冷たく研ぎ澄まされていた。
アッシュ領という安全圏はもう無い。
ここからは敵地だ。
俺は対面に座るソフィアお嬢様へ音もなく紅茶を差し出した。
彼女はあの召喚状が届いた時の恐怖を乗り越え落ち着いた表情でそれを受け取る。
その指先にもはや震えはない。
「お嬢様」
俺は本題を切り出した。
「今回の召喚の発案者おそらく帰還された第二王子カイン殿下でしょう……俺はあの御仁を存じ上げません。あなたの評価をお聞かせ願えますか」
情報が不足しすぎている。
あの愚かな前座とはモノが違うはずだ。
ソフィアお嬢様は湯気の立つカップを見つめわずかに目を伏せた。
過去を思い出すように静かに呟く。
「カイン殿下……ですか」
「彼は……完璧な方です」
「アルフレッド様とはまるで正反対の」
彼女が紡ぐ言葉に淀みはなかった。
「学園でも常に首席でした。剣術も社交もそつなくこなし誰に対しても礼儀正しく穏やかで……」
「私のような者にも常に敬意を持って接してくださいました」
「美しいと何度も……私に欠点など一つもないかのように」
ソフィアお嬢様が話している内容をただ聞いていると気にかかる点が見えてくる。
完璧?敬意?欠点がない?
俺はその完璧すぎる評価に拭い去れない違和感を覚えた。
人間とはどこか歪み欠落しているものだ。
アルフレッドのような分かりやすい愚か者よりもカインのような完璧すぎる善人こそが最も厄介な怪物だ。
どうやらお嬢様はその仮面(外面)にまだ気づいていないのかもしれん。
やがて馬車が速度を落とし城門を通過する喧騒が聞こえてきた。
王都だ。
あの凱旋の日カイン王子を熱狂で迎えた民衆とは対照的に俺たちの馬車、クライスト家の紋章を小さく掲げた馬車に向けられる視線は冷ややかだった。
大通りで俺たちの馬車とすれ違う豪奢な貴族の馬車。
その窓という窓から好奇と侮蔑と恐怖が入り混じった目が突き刺さる。
「……あれがクライネルトの恥さらしか」
「辺境の野蛮な土地で何をしでかしたのやら」
「アルフレッド元殿下を断罪に追い込んだあの悪女とその手先だ……!」
ノイズが閉め切った窓ガラスを貫通する。
それはあの処刑台で浴びた罵声と同じ音だった。
俺の目の前でソフィアお嬢様の呼吸が再び止まった。
彼女の喉があの日のトラウマのフラッシュバックで凍りつく。
その瞳から急速に光が失われていく。
窒息が始まる。
……まずいな。
あのノイズが彼女のトラウマの引き金になった。
慰めは毒だ。
今彼女に必要なのは現実(アッシュ領)への強制的な引き戻し。
俺は彼女が窒息する直前あえて馬車の窓をわずかに開けた。
外の騒音が一層鮮明に車内へ流れ込む。
「……実にお聞き苦しい」
俺は氷のように冷たい声で呟いた。
「狂犬の遠吠えですな。――アッシュ領であればああいう害獣は即刻処分して肥料にするところですが」
俺は窓の外を嘲笑う。
「……ああ失礼。王都ではアレを貴族と呼ぶのでしたか」
俺の悪意に満ちた言葉が彼女のトラウマ(過去)を一時的に断ち切った。
彼女は止まっていた呼吸を自らの意志で再開する。
深く長く。
顔を上げた彼女は俺のショック療法に完璧な領主として応えた。
「……ええヴィンセント」
彼女の声にはもう震えはない。
「ですが私はもう遠吠えに怯える令嬢ではありません。彼ら(害獣)もいずれアッシュ領の領主である私と取引をしたがるようになるでしょう」
完璧な回答だ。
俺は満足し口の端を吊り上げた。
「それではお嬢様。まもなく害獣に塗れた森に到着なされます。本日の晩餐のため品定めと致しましょう」
そうして馬車は王宮の本館でもクライネルト公爵家の屋敷でもなく
王都の一角にある壮麗だが人気のない離宮の前で停止した。
王城からの使者――カインの息がかかったであろう側近――が完璧な笑顔で俺たちを迎える。
「ソフィア様ヴィンセント殿。長旅お疲れ様でした」
「国王陛下の御意向によりあなた様の安全と快適な滞在のためこの離宮をご用意いたしました」
安全と快適。
聞こえはいいが要するに監視下に置くということだ。
俺たちをお嬢様の実家のクライスト公爵家にも、協力関係にあるボルジア伯爵にも接触させないための完璧な隔離。
……さすがは完璧な第二王子殿下だ。実に手際が良い。
俺は先に馬車を降り完璧な所作で彼女に手を差し出した。
彼女はその手を迷いなく取った。
「参りましょうお嬢様」
俺は彼女の手をエスコートする。
「我々の第2幕を心待ちにしている観客がお待ちです」
――さて。
ショーの舞台(処刑台)は整った。
どのような喜劇を見せて貰えるのか心待ちにしてやろう。




