17話 崩壊
あの嵐のような『断罪劇』が過ぎ去り アッシュ領には数週間の静かな時が流れた。
俺がこの『ゴミ溜め』に足を踏み入れて以来 最も穏やかな 平和と呼べる日常が そこにはあった。
俺は 執務室の窓から 眼下に広がる光景を眺めていた。
あの白い塩の平原は 今や黒々とした『農地』へと姿を変えつつある。
その新しい畑で ソフィアお嬢様が 子供たちと共に 最初の『収穫』を行っていた。
もちろん 豊作と呼ぶには程遠い 痩せた作物だ。
だが 子供たちは 自分たちの手で育てたそのわずかな『実り』に 泥だらけの顔で歓声を上げている。
あの夜 彼女の『心臓』と俺の『脳』は 確かに結びついた。
彼女は『痛み』を乗り越え 真の『領主』としての威厳すら纏い始めている。
俺は 彼女のために淹れた紅茶を手に バルコニーへと出た。
「お嬢様。素晴らしい『実り』ですな」
俺は バルコニーから声をかける。
「これで 我々の『商品』の『原材料費』が また少し下がりました」
畑で歓声を上げる子供たちを見下ろしながら 俺は続ける。
「子供たちへの『教育』も順調なご様子……彼らが『労働力』として元気よく『出荷』できる年齢になるのが 今から楽しみです」
俺のなんてことはないジョーク(本音)だ。
以前の彼女なら ここで怯えたか 悲しそうな顔をしただろう。
――だが
ソフィアお嬢様は 泥のついた手袋を脱ぎながら ゆっくりと俺を見上げた。
その顔には 呆れたような しかし 穏やかな笑みが浮かんでいる。
「……ヴィンセント」
彼女は ひとつため息をついた。
「あなたのその言い方。聞いていて飽きないのですが 少し時と場所を考えていただけませんか」
彼女は 子供たちへと視線を戻す。
「彼らは 私の『未来』です。あなたの『金融商品』ではありませんよ」
……完璧な『切り返し』だな。
俺は おもわず彼女の成長に満足し 口の端を吊り上げた。
御見逸れしました お嬢様。
「これは失礼を。紅茶が冷めないうちに どうぞ」
その 平和な掛け合いを破るように
一台の馬車が谷の入り口から現れた。
王都からの使者だ。
掲げられた旗には 見間違えようのない 国王陛下の紋章が刺繍されている。
俺が執事として応対し 戻ると
お嬢様は すでに紅茶を飲み干し 執務室で待っていた。
俺は 受け取った『召喚状』を 銀の盆に乗せ 彼女の前に捧げる。
その宛名は
『ソフィア・クライスト公爵令嬢 殿』
となっていた。
お嬢様は その国王の紋章を見た瞬間 表情が凍り付いた。
彼女の手が 過去のトラウマに引かれるように 激しく震え始める。
カシャン。
銀の盆が傾き 召喚状が乾いた音を立てて床に落ちた。
彼女の呼吸が 浅くなる。
「……あ……ぁ……」
かすれた声が 喉から漏れた。
彼女の耳の奥で あの断罪の日の 狂ったような『罵声』が蘇る。
肌に 投げつけられた腐った果実の『感触』が蘇る。
鼻腔に あの処刑台に染み付いた『血の匂い』が蘇る。
――ッ!
彼女の喉が 息苦しそうに鳴った。
立っていられないほどの眩暈が 彼女を襲う。
その華奢な身体が 崩れ落ちそうになった。
……来たか
俺の『脳』が 彼女の『心臓』が恐怖で軋むのを感知する。
この紙切れ一枚が 今さら何の用だ。
俺は 顔色一つ変えない。
ただ 彼女が崩れ落ちる直前
その身体を受け止められる位置へと 音もなく一歩 距離を詰めた。
お嬢様は 絶望の底で 俺の気配を感じ取ったのだろう。
俺が 何も言わず ただそこに『いる』ことを。
それが 彼女を繋ぎ止める 唯一の『錨』となっているようだ。
彼女は 窒息しそうな呼吸の中 必死に顔を上げた。
だが 彼女は俺に助けを求めない。
震える足で 俺を通り過ぎ 窓枠へと縋りついた。
窓の外に広がる光景。
歓声を上げる『子供たち』。
黒々とした『大地』。
自分たちが築き上げた『日常』。
それが 彼女の『現在』を 悪夢のような『過去』から引き戻した。
彼女の呼吸が ゆっくりと 深い『覚悟』へと変わっていく。
ソフィアお嬢様は 窓枠から手を離した。
自らの手で 床に落ちた召喚状を拾い上げ、そして 俺に向き直った。
彼女の手は もう震えていない。
その目から恐怖は消え あの夜に見た『領主』としての 鋼の覚悟が宿っていた。
「……ヴィンセント。――私は 行きます」
彼女は厳かな雰囲気でハッキリと俺の目を見て告げる。
「私は もはや追放された令嬢ではありません。アッシュ領の『領主』として 我々の『功績』と『正当性』を 陛下に報告する義務があります」
「御意に お嬢様」
俺は 彼女の決断に 完璧な執事の所作で一礼した。
「旅の準備を整えさせます」
ソフィアお嬢様が 準備のために退室した後
俺は あの召喚状を もう一度手に取った。
功績を称え 報告を求める。
実に 合理的な召喚理由だ。
我々の勝利の 当然の帰結と言える。
だが。
俺は その合理的すぎる完璧な文面に 拭い去れない違和感を覚えていた。
この召喚のタイミングが 良すぎる。
まるで 我々がアルフレッドという『前座』を処理するのを 待っていたかのように。
そして あの第二王子カインが 王都に帰還した まさにその直後に。
どうやら 王都には新しい観客が
我々のショーの 第2幕の開演を 待っているらしい。
――お待たせいたしました 王都(ゴミ溜め)の皆様。
主役の凱旋です。
心の中で誰とも言わず、姿のない観客に告げる。




