15話 嫌われる覚悟
嵐は去った。
ボルジア伯爵の正規軍は、王命に背き反逆者と認定された元王子と元聖女と、彼らに従った私兵の全てを連行し風のように去っていった。
『戦後処理』という名の血生臭い選択は、幸いにもソフィアお嬢様の手を汚すことなく終わった。
アッシュ領には、静寂が戻ってきた。
だがそれは、完全な『平穏』ではなかった。
領民たちは、それぞれのねぐらに戻りながらも、まだ今日の『激闘』――というよりは、『一方的な駆除劇』――の興奮と恐怖から醒めやらず、ひそひそと囁き合っている。
俺は、執務室で一人、窓の外の闇を見つめるソフィアお嬢様の背中を、静かに見守っていた。
彼女は紅茶のカップを手に持ったまま、微動だにしない。
ただ、その肩がかすかに震えているのを、俺は見逃さなかった。
窓ガラスに映る彼女の目には、涙が浮かんでいる。
紛れもなく『勝利』した。俺の計画は完璧に機能し、お嬢様を陥れた害虫は駆除された。
自分の完璧と思える合理的な計画を振り返る。
なぜ目の前の敬愛する主人は憂いているのか……俺には理解が至らない。
「……ヴィンセント」
思考の海に溺れている俺を救い出し、静寂を破ったのは彼女の声だった。
その声はとてもか細く、弱々しい響き。
「はい、お嬢様」
俺は、音もなく彼女の背後に歩み寄る。
「……私、間違っていませんでしたか……?」
お嬢様は振り返らないまま告げると、窓ガラスに映る彼女の瞳から一筋、涙がこぼれ落ちたのを俺は確認した。
「アルフレッド様は、愚かでした。ユナ様も、卑劣でした。……それは、分かっています」
お嬢様の感情が少しづつだが滲み出てくる。
――さてどの方向性に導くべきか。
「でも、彼らを『反逆者』として『断罪』し、破滅させる……。私は、領民を守るためとはいえ、人として、酷いことをしたのではないでしょうか……?」
なるほど。それは単なる感傷ではない。
自らが下した『決断』の重さを理解した上での、『痛み』なのか。
分析はある程度終えた。
勝利の後の『感傷』。俺が最も嫌う合理的ではない『感情の波』。
ここからは決まっている。
彼女を『立ち直らせる』ための、俺なりの、唯一の方法だと信じて。
「お嬢様。あなたは何も間違っていません」
俺の声は、感情を排した、平坦な響きだった。
「彼らが『自滅』したのです。我々は『正当防衛』を実行したに過ぎません…感傷は、運営の『ノイズ』となります。お忘れなきよう」
「『ノイズ』……!」
彼女が、勢いよく振り返った。
その瞳は、涙に濡れ、怒りに燃えている。
「ヴィンセント、あなたには、私のこの『思い』が、ただの『ノイズ』にしか見えないのですか!?」
彼女は、俺が伝えた『合理的な現実』に絶望したかのように顔を覆った。
そして、俺から逃げるようにバルコニーへと走り去る。
(……失敗、したか)
俺は、自らの『不器用さ』に、内心で舌打ちした。
彼女を傷つけるつもりなど、なかった。
――俺には、それ以外の『言葉』や『考え方』以外知らなかったのだ。
俺は、バルコニーの手すりに凭れかかり夜風に吹かれる彼女の背中を部屋から静観していた。
…声をかけるべきか、否か。
先程の自分の失敗した光景とお嬢様の怒りの感情が思考を掠める。
俺の『合理性』は、答えを出せずにいた。
ふとお嬢様を見ると、眼下に広がる自分たちの領地を見下ろしていた。
広場には、まだいくつかの灯りが残っているようだ。
眠らずに、今日の平和を勝ち取ったという勝利の高揚を静かに喜び合う領民たち――ブロック爺さんや、エルム、ライムたちの姿も見える。
彼らはバルコニーに立つソフィアお嬢様の姿に気づくと、声には出さず、そっと『会釈』を送った。
その目には、深い『感謝』と、揺るぎない『信頼』の色が浮かんでいた。
お嬢様は、それを、ただじっと見つめていた。
肩の震えが、ゆっくりと収まっていく。
彼女は、両手で、ゆっくりと、自らの涙を拭った。その動作は感情を切り離すかのように静かで決然としていた。
そして、広場の領民たちに向かって、静かに、しかし力強く『頷き返した』。
その横顔には、もはや『迷い』はない。
自らの決断と、その先にある未来を、全て受け入れた、『領主』の顔をしていた。
俺はその光景に、彼女が痛みをただ否定し逃避する訳でも、資産として次の戦略を考えるでもなく、『受け入れた』上で、民のために『乗り越えた』その強さに――ただ戦慄していた。
――そうか。自分が守ったモノ。それを改めて感じたことで真に必要であったと『理解』なされたのか。
俺の『論理』は間違っていたのか。
俺の思考が、自分の過去の経験と目の前の光景を比較して混乱する。
彼女は痛みを処理したのではない。
たしかに『乗り越えた』。
―この俺ですら持ち得ない『光』で
決意を秘めた顔で執務室に戻ってきたソフィアお嬢様の前に、俺は衝動のままに跪いた。
完璧な執事の所作で。
「……ヴィンセント!?」
お嬢様が、俺の突然の行動に驚き目を見開く。
「どうして……。私はさっきあなたの前で、領主として至らない弱みを見せたのに……なぜ…あなたは私にそこまでしてくれるの? 私が……あなたの『主』だから……?」
お嬢様は困惑されているようだ。
これだけはわかる。合理的かどうかではない。
『お伝えせねばならない』。
俺は、跪いたまま、静かに顔を上げた。
そこに浮かんでいるのは、もはや執事の仮面ではない。
俺自身の、剥き出しの『感情』。
絶対的な『心酔』。
「……ソフィアお嬢様」
俺の声は自分でも驚くほど静かに、そして力強く響いた。
「もし、あなたが『合理的』であるだけの主であったなら。あるいは、『感傷』に溺れるだけの弱き者であったなら」
俺は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は、ここまでは、いたしません」
――ああ、そうだ。俺が仕えたかったのはこの光だ。自らの『痛み』すら『燃料』にして、民を照らす『王の器』だ。
貴女は変わらない。スラム街という闇から救い出してくれた貴女は今も変わらずそこにいる。
「私の『合理性』は、あなたの『王国』を築くための『脳』です」
俺は、彼女の目を見据える。
「――お嬢様。あなたの、その痛みと『慈悲』こそが、その『王国の民』がついてくる、唯一無二の『心臓』なのです」
「私の存在意義は、あなたを『頂き』へと導くこと。ただ、それだけ……その目的のためならば、私はあなたの『心(痛み)』を無視する『悪魔』にもなりましょう」
俺は、彼女の驚いた顔を見つめる。
「……たとえその結果、私があなたに『憎まれる存在』となったとしても」
俺は、さらに言葉を続けた。
これが、俺の魂からの誓いだ。
「そして、私があなたにとって『無用』の存在になったとしても……私は、この身が朽ち果てるまで、あなたの傍らでお仕えすることをお許し頂けますか?」
俺は、そっと彼女の白い手袋に包まれた手に、自らの額を触れさせた。
――臣下の絶対的な忠誠の礼として。
ソフィアお嬢様は俺の全てを捧げるという誓いに、しばし言葉を失っていた。
彼女の目から、再び涙が溢れた。
だが、それはもう『痛み』の涙ではなかった。
彼女は、俺の額が触れている手に、そっと、自分の手を重ねた。
温かい雫が、俺の手に落ちる。
「……ヴィンセント」
彼女の声は、震えていた。
だが、そこには、確かな『暖かさ』があった。
「……ありがとう……私の、そばにいてくれて」
――ああ
俺の凍てついた心に、初めて、温かな『光』が差し込んだ気がした。
夜風が窓から吹き込み、暖炉の火を揺らす。
それは、一つの時代の終わりと、新たな時代の始まりを告げる、永久に響き続ける静かな旋律として俺の心に刻み込まれた。
これにて1部【完】となります!
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これより2部を本日17時に投稿します(*^^*)
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