14話 終わりと断罪と復讐と
辺境、アッシュ領 執務室。
ゲイルがボルジア伯爵への密告という名の『招待状』を届けに飛び出していった後、部屋には一瞬の静寂が落ちた。
暖炉の火が、パチリと音を立てる。
ソフィアお嬢様はまだ青い顔で、俺をじっと見つめていた。
その瞳には、恐怖と、わずかな疑念が混じっている。
「ヴィンセント……本当に、大丈夫なのですね?」
彼女の声は、震えていた。
「反逆罪と言っても、彼は王子です。あの軍隊を前にして……」
俺は、動揺する彼女を安心させるように、あえて普段通りの所作で新しい紅茶を淹れ始めた。
カップに湯が注がれる、静かな音だけが響く。
「お嬢様。ご安心を」
俺は、カップを彼女の前に置きながら、静かに告げた。
「今から彼らを反逆者として完璧に『処理』するための、『舞台』の準備をいたします」
俺は、執務室の扉を開け、外に控えていたブロックと、現場の統括役を任せているライム
――かつての『負債組』の中でも、比較的骨のある男――
を呼び入れた。
「王子殿下の『お友達』がこちらに向かっている」
俺は二人に向き直り簡潔に告げる。
「だが、戦闘準備は不要だ」
ブロックが不満げに眉をひそめた。
「あぁ? どういうこった。 みすみす攻め込まれて、逃げるってのか?」
その隣で、ライムの顔にも緊張が走る。
ふむ、寡黙な男なのか?静かでいいな。
「逆だ、ブロック」
俺は、冷ややかに笑う。
「いつも通りの『日常』を続けろ。領民たちにもそう伝えろーーただし 」
「『お客様(王子)』の軍勢が見えたら、作業を中断し、お嬢様を守るために、その手に持っている農具を持って、拠点の門前に集まれ、と」
ブロックとライムが、怪訝な顔で互いを見合わせる。
農具で軍隊を……?
だが、彼らは俺の命令の意味を問うことはなかった。
(密告が間に合うか、反逆が早いか)
俺は、窓の外――これから『舞台』となるであろう、乾いた大地――を見つめる。
(どちらにせよ、反逆の証拠は『現場』で押さえねば意味がない。王子自身の『攻撃命令』という形でな)
(……最高の『ショー』になりそうだ。観客は、この俺と、あの老狐か)
――地響き。
それは、ゆっくりと、しかし確実に、この静かな谷へと迫ってきた。
やがて、谷の入り口から、黒い鎧の一団が姿を現す。
砂埃を上げながら進軍してくるその数は、ゲイルの報告通り、100に近い。
掲げられた旗には、王家の紋章と……見慣れぬ、王子個人のものらしき意匠。
そして、その隣には聖女ユナの、あの忌々しい百合の紋章。
俺とソフィアお嬢様は、拠点の門の前に立っていた。
俺の背後にはブロックやエルム、ライム、そして農具を手にした領民たちが、不安げな顔で集まっている。
彼らは、俺の指示通り、武器ではなく日常の『仕事道具』を手にしていた。
それがこれから始まる『茶番劇』の、重要な『小道具』となる。
軍勢が、俺たちの目の前で停止した。
先頭の馬に乗ったアルフレッド王子と、その隣の聖女ユナが、憎悪に満ちた目でこちらを睨んでいる。
王子の顔は功名心と逆恨みで歪み、聖女の顔は勝利を確信したような傲慢な笑みに彩られている。
実に、醜悪な『主役』たちだ。
ソフィアお嬢様の白い手袋に包まれた手が、わずかに震えているのを、俺は視界の端で捉えた。
無理もない。
かつての婚約者が、殺意を剥き出しにして目の前にいるのだから。
だが、彼女は一歩も引かなかった。
俺の隣で、アッシュ領の領主として、毅然と顔を上げている。
その横顔は、恐怖を覚悟で塗り潰していた。
(……御見事。恐怖の淵でこそ、人は最も輝く。それでこそ、俺の主だ)
「ハッ! 見ろ、ユナ!」
アルフレッドが、俺たちの背後にいる領民たちを見て、勝ち誇ったように嘲笑した。
「あの愚民ども、陳腐な武器で俺に楯突く気だ! やはり貴様らこそが『反逆者』だ! その『武装』が証拠だ!」
(……武装、ね。その腐った目では、鍬と剣の区別もつかんか)
「違います、アルフレッド様!」
ソフィアお嬢様が、凛とした声で反論した。
「これは『農具』です! 私たちは、ただ領地を復興させていただけです!」
「言い訳は無用ですわソフィアさん!」
聖女ユナが、甲高い声で嘲笑する。
「あなたの小賢しい『知略(笑)』など、本物の『暴力』の前では無力と知るがいい! さあ、武器を捨てて命乞いをなさい!」
(……あのタヌキ(ユナ)も、実に分かりやすい『死亡フラグ』を立ててくれる。実に、効率的だ)
「問答無用!」
アルフレッドが、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけ、剣を抜いた。
その切っ先が俺に、そして俺の後ろにいるソフィアお嬢様に向けられる。
「かかれ! あの執事を八つ裂きにしろ! 抵抗する者は女子供であろうと容赦するな!」
王子の腕が狂気に満ちて、高々と振り上げられた。
攻撃開始の命令が下されようとしている。
王子の私兵たちが、鬨の声を上げ、武器を構える。
領民たちが、悲鳴を押し殺す。
俺はその軍靴の音を聞きながら、冷ややかに空を見上げた。
まるで、処刑台の露と消える罪人を見送るかのように。
……『反逆罪』、現行犯――成立だ。
王子の腕が、振り下ろされようとした、その瞬間――。
乾いた辺境の空気を切り裂くように、高らかな『軍隊』の喇叭の音が響き渡った。
一つではない。複数。
それは、王子アルフレッドの率いる、烏合の衆の私兵とは明らかに異なる、規律の取れた音色だった。
谷の入り口。
アルフレッド軍が突撃してきた、まさにその場所から、新たな軍勢が姿を現した。
陽光を反射する、磨き上げられた鎧。
風にはためく旗印には、王家の紋章……いや、その隣には、財務卿ボルジア伯爵を示す天秤の紋章が、誇らしげに刺繍されている。
王国正規軍の一部、財務省直属の監査騎士団だ。
(……時間通り。いや、予想より早い)
俺は、内心で舌を巻く。
(あの老狐、『密告』を待っていたかのように動いたな。あるいは、俺の筋書きを読んで、先回りしたか)
なんにせよいけ好かないが有能なジジィだ。
「な……!?」
アルフレッド王子の動きが、固まった。
振り上げられた剣が、そのまま空中で停止する。
突撃を開始しかけていた彼の私兵たちも、突然の乱入者に戸惑い足を止めた。
彼らは、相手が『正規軍』であり、しかも『財務卿』の旗を掲げている意味を、瞬時に理解したのだろう。
聖女ユナの勝ち誇った笑みが凍りつく。
新たに出現した騎士団は、数こそアルフレッドの私兵と同程度。
だが、その装備、練度、そして何より、隊列から放たれる『圧力』が、まるで違った。
彼らは、アルフレッド軍を包囲するように、迅速かつ無駄のない動きで展開していく。
その軍勢の中から、一騎の馬が、ゆっくりと前に進み出た。
騎乗しているのは、ボルジア伯爵本人ではなかった。
伯爵の腹心であり、監査騎士団を率いる歴戦の騎士団長だった。
騎士団長は、馬を止め、アルフレッド王子と、その隣の聖女ユナを冷徹な目で一瞥した。
「アルフレッド王子殿下!」
騎士団長の、厳格な声が響いた。
「貴殿を『国王陛下の謹慎命令』を破り、許可なく『私兵』を動かし、王国の『重要経済領土(アッシュ領)』を攻撃しようとした、『王家への反逆罪』の現行犯で拘束する!」
「なっ!? 馬鹿な!」
アルフレッドは、狼狽し、叫び返した。
「俺は『反逆者』を討伐しに……!」
「『反逆者』は、国王の命令に背いた『貴殿』だ!」
騎士団長は、容赦なく断罪する。
「武器を捨て、投降しろ!」
「(ありえない……! 暴力が……負ける!?)」
ユナの顔から、血の気が引いていく。
正規軍に完全に包囲され、しかも『反逆罪』という決定的な罪状を突きつけられ、アルフレッドとその私兵たちは完全に戦意を喪失した。
王子に従っていた騎士たちも、最早これまでと、次々に武器を地面に投げ捨て始めた。
聖女ユナは、ただプルプルと震えているだけだった。
◆
騎士団に拘束され、武器を取り上げられたアルフレッドとユナが、俺とソフィアお嬢様の前を引きずるように連行されていく。
彼らの顔には、もはや憎悪の色すらない。
ただ絶望と、理解を超えた事態への困惑だけが浮かんでいた。
「ヴィンセント……!」
アルフレッドが、地面に膝をついたまま、俺を睨みつけた。
負け犬の、虚しい遠吠えだ。
「執事風情が……よくも、俺を……!」
「ソフィア!」
ユナが、泣き叫ぶ。
「あなたの差し金ね! 私を陥れて……! 許さない!」
ソフィアお嬢様は、彼らに、わずかな哀れみの目を向けた。
だが、何も言わなかった。
彼女は、もう彼らのいる『過去』にはいない。
俺は、ソフィアお嬢様の半歩後ろで、完璧な執事の所作で、優雅に一礼した。
まるで、舞台の終幕に、観客へ挨拶するように。
「アルフレッド『元』殿下。そして、『元』聖女ユナ様」
俺の声は静かに、しかし、残酷なまでに明瞭に響いた。
「この度は辺境の地まで、わざわざ『反逆』にお越しいただき、誠にありがとうございます」
俺は、かつて彼らがソフィアお嬢様に投げつけた言葉を、そのまま、寸分違わず返してやる。
「やはりあなた方お二人は、この国を腐らせる『悪』でございましたね」
俺は、冷徹な笑みを浮かべ、首をかしげた。
「…ええと…『証拠はあるのか』、でしたっけ?」
俺は、毅然と立つソフィアお嬢様と、地面に這いつくばる二人の『残骸』を、視線だけで往復させる。
「我がお嬢様の、この『毅然とした表情』と」
「こちらで無様に這いつくばられている、あなた方の『イマ』が」
俺は言葉を切った。
そして、最高の笑顔で告げる。
「何よりの『証拠』かと、愚考いたしますが?」
「(――っ!?)」
アルフレッドとユナが、はっとしたように顔を上げた。
自分たちがかつて吐き捨てた言葉。
それが今、完璧な形で自分たちに返ってきたことに気づき、彼らの顔が、屈辱と絶望に醜く歪んだ。
二人は、そのまま騎士たちによって引きずられ、連行されていった。
その断末魔のような叫び声は、やがて谷の風にかき消された。
(まずは終幕……か)
俺は、静かに目を閉じる。
――ああ、なんと甘美で、金になる『ビジネス』だったことか




