彼女のヘッドホン
山田竜一35歳は、家電量販店「サードプラネタリウム」のオーディオコーナーで働いていた。山田は、特にこれといった、趣味もなく、何の波風もない普通の人生を過ごしていた。
山田には、最近気になっている事がある。それは、毎日同じ時間、午後7時に現れる若い黒髪のロングヘアー女性の事だ。彼女はいつも同じような服を着ている。上下白のブラウスにロングスカートを合わせている。彼女は入店して、真っ直ぐオーディオコーナーの試聴機ブースに向かい、高級ヘッドフォンを手に取り、スマホを取り出して、ヘッドホンと連携させ、ヘッドホンをつける。音楽を聴き終えたのか、3分ほど、その場にいて、店を出ていく。言葉は交わさないが、彼女に心を奪われていた。
「今日も来た。」山田は心の中で呟く。彼女が何の曲を聴いているかは、知らない。一度彼女の近くに寄った際に、フローラルの香りとともに、音漏れで、かすかに「ピッ」という電子音が聴こえた。時報のようなそんな音だ。音楽ではなく、環境音でも聴いていたのかなと思った。
ある日、山田は、閉店後の片付け中、彼女がいつも使うヘッドフォンに小さなゴミが付着しているのに気付いた。指で触ると、静電気が走ったが、山田は掃除した。
山田は、翌日の仕事終わりに、最寄りのバスターミナルで、実家に帰省するために高速バスのチケットを買った。自宅へ帰るため、ターミナルで路線バスを待っていたところ、彼女を見かけた。今日も黒髪のロングヘアーに上下白のブラウスにロングスカートだ。彼女はターミナルのベンチに座り、スマホを確認した後、立ち上がって歩き出した。山田は、悪いと思いながらも、「ちょっとだけ…」と自分に言い訳しながら、彼女の後を追うことにした。
彼女はターミナルを出て、早足で雑踏の中を歩き始める。山田は距離を保ちながら尾行した。彼女は路地裏の寂れた公衆電話ボックスに入り、受話器を手に取り、耳に当てている。彼女は手にスマホを握っている。
「何でスマホを使わないんだろう」山田はそう呟き、ゆっくりと電話ボックスに近づいていくと、彼女が突然振り返った。彼女は受話器を置き、公衆電話ボックスから出て、話しかけてきた、「ごめんなさい。驚かせてしまったかしら。」
「すみません。お店でよく会うんで、つい気になって、追いかけてしまって」山田は素直に謝った。
「いいのよ。好奇心は大事だから、気にしないで」そういって、彼女は笑った。
「スマホがあるのに、公衆電話で何をやってたんですか?」山田がそう尋ねると、「私は人間じゃないの。アンドロイドなの。」と彼女はいった。
「アンドロイド?」
「そう。未来から来たアンドロイドなの。実は、あなたの店でヘッドホンを使っていたのは、あなたの行動データを大容量で送信する必要があったからなの。昨日ゴミを掃除したでしょ、あれで送信エラーになってしまって、この公衆電話からデータ転送していたの。」
山田は呆気に取られて、「何で僕なんかのデータが必要なの?」というと、彼女は、「あなたのデータは、面白いと思ったからよ。だって、わざわざ私をつけて、ここまで来るなんて、あなた随分変わり者よ。」そういって彼女はスマホに目をやった。「ごめんなさい。そろそろ他の人のデータ収集に行かないと。それじゃ、元気でね。」スマホの液晶が白く光った次の瞬間、彼女の姿が路地裏から消えた。
山田は次の日、いつものオーディオコーナーにいた。午後7時になっても彼女は来ない。彼女が使っていたヘッドフォンを手に取ると、かすかに「ピッ」と音がして、静電気が走った。山田は、ヘッドフォンを耳に当ててみた。すると彼女の声が聞こえた。「また会いにいくよ。」
山田は、そっとヘッドフォンを戻した。だが、その日から、時折「ピッ」という電子音が耳の中で、聴こえる気がする。まだ彼女にデータ収集を続けられているんだろうか。