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リリアンローゼ

リリアンローゼ〜王弟殿下は婚約破棄現場で女神と邂逅す〜

作者:

最終話になります。

楽しんでいただければ嬉しいです。



 越えられない壁だった。


 5歳離れた兄は幼い頃から優秀で、年齢の差を考慮してもなにもかもまったく敵わなかった。


 リリエントの王族・貴族の子女は15歳から3年間を全寮制の学園で学ぶことになっているが、兄は学園に在籍しながら王太子としての帝王学も同時に学んでいた。しかも特科として他の学生でも希望し、試験に合格すれば受講できるようにしたという。もちろんその試験は極めて難易度が高く、兄以外の合格者はたったの一人、しかも合格基準のギリギリだったという。


 なぜそんなことをしたのか。王太子が学ぶ帝王学をなぜ他の貴族たちに学ばせる必要がある? そんなことをしては王族の意義がなくなるじゃないか。


 長期休暇で帰ってきた兄に問うと、返ってきた答えがこれだ。


「必要だからだ」


 どういう意味か、まったくわからなかった。そしてわからないことでさらに壁が高くなったように感じた。

 この真意を教えてくれたのは帝王学の講義を兄以外で受講した、兄の学友だった。


『王太子殿下は、この国の成り立ちを我々貴族階級もしっかり理解すべきだとおっしゃいました。王家は国主にあらず。女神よりこの国を守り、民を導くようにと任じられた代官にすぎない。もしかすると女神の不興を買えば突然王族でなくなり、他の貴族家が取って代わることもありえる、と』


 女神の気持ち一つで王家が滅ぶと?

 そうであればそんな女神は邪悪そのものではないか!


 女神信仰は間違っているのではないか?


 そう考えた原因の一つに依り代の不在があったかもしれない。


 その身に女神を降ろし、女神のご意思を直接我らに伝えるという女性に一度も会ったことがなかった。聖女とともに王族がその身を保護するべきなのに。


 いないもの、知らないものは信じなくなる。


 女神の存在を、口にはしないが私は全否定していた。


 やがて学園へ入学し、特別何事もなく卒業した。まったく平穏そのものだった。

 しかしそれもいけなかったのかもしれない。二年次には兄たちが受けた帝王学受講のための試験を受けてみた。


「さすがは殿下ですな」


 講評で開口一番に教授がいった。


「総合的には王太子殿下には届いておりませんが、こちらの小論文には興味をそそられます」


 それは端的に言えば、「女神の慈悲に甘えることなく自立も必要」という内容だ。本当を言えば「女神不要」としたかったが、流石にいまのこの国でそれは異端とされる。

 その後も教授はあれこれ言っていたが、正直覚えていない。そしてそれが大いなる勘違いを引き起こした。


 私にも為政者の素質がある! 

 兄に近づけた、一部超えられた!


 今思えば、恥ずかしくなるほどの盛大な思い込みだ。この試験はあくまでも入門のためのものだというのに。


 そしてさらにその愚かな考えを助長させた出来事が、兄の即位だった。


 父王が病を理由に退位し、穏やかな気候の別荘で母とともに隠居したいと言い出したことで首脳陣は大慌てで兄の即位準備に取り掛かった。


 政務は父王が病を得てから兄へすでに引き継ぎを行っていたためさほど混乱はなかったように思うが、それでも即位式やその後の晩餐会と夜の大舞踏会、その準備で王宮だけでなく、国中がまるで祭りの前の如きありさまだった。


 当然、私も王族の一人として差配に忙しくしていたが、心はなぜか空虚だった。


 この国はこれで兄のものになる。

 私にも国を治める素質があるのに、治める国がなくなってしまう。だが、兄の即位に異論があるわけではないし、そんなことを言えば王子であるとはいえ叛逆とみなされるだろう。どうすればいい?


 いや、あるじゃないか、隣に。


 隣国・ロゼスティリア。リリエントと同じ女神の守護という名目のもとに成り立つ国が。


 彼の国を、我が物に。

 その幼稚にして無謀、そして愚かな欲望を満たすべく兄の即位より約1年後、私は彼の国へ旅立った。


 学生時代の同級生でロゼスティリアに親類がいるという男がいる。

 バークス・カーター・デポン。

 デポン侯爵家の三男だ。


 この男は卒業後、身軽な三男という立場からある商会と懇意になり、国内外問わず行商まがいなことをしている。彼について王弟という身分を隠してロゼスティリアへ赴いた。


 そして彼の地にて。

 わたしは一目で恋に落ちた、らしい。


 緑柱石のようなきらめく瞳、ミルクをいれた紅茶の色をした髪がふわふわと小さな顔の周りで揺れている。


 わたしはなぜ、この少女から目が離せないのだろうか。


「あれがウィンティック家の宝、公爵の掌中の珠ディアナです」


 傍らのバークスの小声ながらどこか自慢気な声がやけに遠くで聞こえた。


 彼とともにロゼスティリアに着いてすぐに赴いたのがこのウィンティック公爵家のガーデンパーティだった。仕事としての用向きもあるが、もともとデポン侯爵家への招待を彼が名代としての参席だという。招待状を見せ、会場となる庭園へ続く小径で、バークスは神妙な顔で告げた。


『殿下、一つご注意を。ウィンティック家の宝には決して触れないように』


 それはなんだ? と問うたわたしに彼が示したのが一人の少女だった。

 ディアナ・ウィンティック公爵令嬢。なんとこの男の従妹だという。


「お前と従兄妹とは思えないほど可愛らしいな」

「ひどい言われようですが、私は父似なもので。さらにウィンティック公爵家は私の叔母、母の妹の嫁ぎ先でしてね」


 暗に『似ていないのは道理だ』ということらしい。


「彼女は、いくつだ?」


「年齢ですか? たしか今年14だったかと」


 なんと成人前、10も違うのか。

 洗練されていながら、なんと可憐なのか。

 出国前、最後に参加した舞踏会でデビュタントの御令嬢方と踊ったが、もっと稚い印象だった。

 だが彼女は違った。

 もちろん、私は隣国の王族ではなく『友人で遊学中のサンプレン候爵家の次男坊、マイケル・ゾーイ』として紹介されたのだが。


「まぁ、遠路はるばるロゼスティリアへようこそ。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


 などとこちらを労り、自然な淑女の礼を見せた。その言葉もたどたどしくなく、思ったことが零れ出たような自然なものだった。


 貼り付けた淑女の微笑みは内面を押し隠す仮面ではなく淑女教育の名のもとに仕上げられた完全な貴婦人のもの。とても成人前とは思えなかった。

 それなのに。


「ロザリーナ様!」


 友人と思われる御令嬢へ向ける横顔は年相応の溌剌とした笑顔。

 なんと、愛らしい。目の前がクラクラした。


「でっ……もしや、ご気分が悪いのですか?」


 顔を押さえて呻いた私を見て、慌てるバークス。問題ないと彼を制しつつそのまま令嬢たちを眺める。

 ご友人もなかなか美しい。印象的な豪奢な巻髪だが見かけに反して鷹揚とした人柄のようで、優しげな表情でディアナ嬢と微笑み合っている。どこかで見たような気がするが、気のせいだろうか。


 しかし、彼女が羨ましい……いや、何を考えているのだ、わたしは!


「……よもやとは思いますが」

「ディアナ嬢へ邪な気持ちはないぞ!」

「見事な自白ですな。公爵閣下が今ここにいらっしゃらなくて良かったです」


 気遣わしげな表情から一変、呆れた様子の目線が突き刺さってくる。


「申しましたでしょう、あれは公爵家掌中の珠。公爵から不興を買うのをおそれて、このロゼスティリア国内の貴族はディアナに我が子の釣書を送ろうとはしないらしいですよ」


 従兄であるバークスですら触れることがかなわなかったそうだ。それも生まれたばかりの頃の話だというのに。


 それは逆に朗報だ。

 私がこの国を手中に収めてしまえば問題なく…いや、気になることがある。


「公爵令嬢なのに、王太子の婚約者にならなかったのはなぜだ?」

「ディアナが生まれるより前に、クラレー伯爵家の御令嬢に決まっていたからと聞いています」


 ああ、そうか。クラレー、そうかあの御令嬢、どこかで見たことがあると思っていたが気の所為ではないようだ。


 その二人が揃ってこちらへやってくる。


「バークス従兄様、いまお話させていただいてもよろしいかしら?」

「ディアナ。ああ、もちろんだ。いいよな、マイケル?」

「あ、ああ。問題ない」


 いや、あるぞ。わたしの心の準備が整っていない。しかしそんなことを口にはできない。


「ロザリーナ様をご紹介したくて。従兄様のお仕事に興味がおありなんですって」


 ディアナ嬢の横で美しい立礼を取ったロザリーナ嬢。その容貌に見覚えがある。

 やはり、ここの王太子の婚約者だ。


 ロザリーナ・クラレー伯爵令嬢。

 すぐ思い出せなかったのはあまりにも穏やかに笑っているからだ。

 兄王が即位の折、ロゼスティリア国王の名代として王太子とその婚約者がやって来たのだ。

 王太子はすでに成人してずいぶん経つにもかかわらず、稚気が抜けていないようだったが、その婚約者の方はそのまま王妃殿下だと紹介されても信じただろう。


 気品あふれる物腰。己が立場を弁え王太子を立てるような振る舞い。


『惜しいな。この国に生まれていればなんとしても妃にしたものを』


 兄の、その呟きを拾ったのはおそらくわたしだけだっただろう。

 義姉上に聴かれていなくてよかった。あの悋気さえ抑えられていればあの方も素晴らしい王妃なんだがな。

 

 クラレー伯爵令嬢はたしかに王妃となるべく厳しい教育を施されたことは間違いない。わたしがこの国を治めるならこの御令嬢を王妃に迎えるのが最適だろう。だが。


「クラレー伯爵令嬢は他国に興味がおありなのですか?」


 それぞれ名乗った後、バークスが切り出した。わたしはあまり話さないようにすでに決め事をしていた。下手に話すと偽りの身分がバレてしまいかねないからだ。


「ええ、女だてらにと思われるかもしれませんが。デポン侯爵令息様は各地を巡っていらっしゃるとお聞きしまして」

「そうですなぁ、たしかにずいぶんあちらこちら行っております。特にウィンティック公爵からの依頼はなかなか難しいものが多くていつも苦労していますよ」

「あら、いつも喜々として引き受けているじゃないですか。お父様は無駄なことはお嫌いですから」


 続いて聞こえた『放浪癖のひどい従兄を有効活用しているのですわ』はロザリーナ嬢にのみ聞こえるように囁いたようだが、あいにく私にはきこえている。

 たしかに、バークスは学生時代も年に一度は短期留学をしていたり、長期休暇にも実家には戻らずふらりと旅に出ては学期が始まる直前にまたふらりと戻ったりとよく放浪していたな。


「いやいや今回の依頼がどれだけ大変だったか! 砂漠の国まで行ってきたんだぞ? しかも商会の伝手の伝手まで使わせてもらったんだ」

「まぁ、砂漠ですか!? たしか、ここからですとかなり遠いところにある、砂ばかりのひどく暑いところと聞いたことがありますけれど、人が多く住まう場所ですの? そこでは水や食べ物はどのように調達されているのでしょうか?」


 砂漠を知っている御令嬢がどれほどいるだろうか。ロザリーナ嬢は博識なのだな。

 しかし、やはり惜しい。あの王太子の婚約者とは。

 素晴らしい女性なのは理解できるのだが、なぜだ。


 なぜわたしの目はディアナ嬢しか見ようとしないのだ!


「少しはずしますわ」


 そう言ってディアナ嬢はわたし達の元を離れ、侍女と思しき女性と言葉を交わすとすぐさま戻り、ロザリーナ嬢へ何事か耳打ちをした。


「御二方、大変楽しいお時間をいただきありがとうございました」


 そう言うと、ロザリーナ嬢は再び美しい所作の立礼を取り、控えていた侍女とともに立ち去っていった。


 去り際も微笑は崩さなかったが、少し顔色が悪く見えたのは気のせいだろうか。


「ディアナ? クラレー伯爵令嬢は」

「所用ではずされただけですわ」

「なら、もう少しその不機嫌さは隠しなさい。ここにいるのは俺だけじゃないぞ?」


 たしかに、少し強張った表情に隠しきれない不機嫌さというか、怒りのようなものがほの見えた気はした。だが薔薇の棘も咲初めの頃は柔らかい。


「そう思われたなら何も言わないのが紳士の嗜みなのではなくて?」

「敢えて、だよ。ディアナは成人前だ。叔母様のような淑女を目指すなら素直に忠告をきいておくんだな」

「ですわね。サンプレン侯爵令息様、ご不快な思いをされましたら申し訳ございません。少々込み入っておりまして」

「いや、不快な思いなどしておりませんよ。ご事情があるようですし」

「そう言っていただけると大変ありがたいですわ」

「マイケル、ディアナを甘やかさないでもらおうか」

「身内に厳しすぎないか? あれくらいなら誰も気にしないぞ?」

「いや、身内だからこそ」


 そんな不毛な言い合いを止めるためのような怒声が響いた。


「貴様との婚約を破棄する!」


 一体誰が? と声のした方を見ればロザリーナ嬢がいた。であれば、あれは王太子か?


「とうとう、やったわね」


 それに続いた「あのアホ王子」は小さすぎて聴き取れなかったことにした。失礼しますわ、といいおいてディアナ嬢も去っていく。


「あれが、ロゼスティリアの王太子殿下ですか」

「ああ。即位式からずいぶん経つが、変わらんな」


 むしろ劣化しているのでは? あれで王太子とは。


 ああ、やはりこの国を治めるべきは。


「殿下、あまり身勝手な振る舞いをされますと、そろそろ女神ルーエのお怒りが」


「なにが女神か! セイラをこの地に招きながら何の沙汰もなく、貴様からの非道な行いからも守らずに放置しつづけておるではないか! そもそも女神ルーエなどおらんのではないか?!」




 な、に?




「うわぁ、ここにもいたのかぁ〜」


 バークスの呟きは気になるが、女神不在を公然と言い放ったかの王太子。同志がいることを喜ぶべきか、その人間性に落胆すべきか。悩んでいた時だ。





「        」



 空気が震え、立っていられなくなった。


 響き渡ったのは短いが美しい旋律。そして音なき音と熱を伴わないまばゆい紅い光の柱がロザリーナ嬢を中心に天へ立ち昇った。光が収まった時、この場で立っていたのはロザリーナ嬢とディアナ嬢のみだった。


「愚かな王子よ。遥か昔に吾がこの地を治めるよう任じた血筋の裔よ。吾への暴言はしかと耳にしたぞ」


 ロザリーナ嬢の口から彼女の声であまりにかけ離れた言葉が紡がれる。

 真紅の光がゆらりと揺らめく炎のようにロザリーナ嬢を取り巻き、その瞳にも深紅の光が宿っていた。


 あれは、誰だ?


「王家の家名がなぜロゼスティリアではないのか、考えたことはないか?」


 王家は、女神より任じられ、国を治めるただの代行者。

 よって家名は国名と異なる。

 もともと王家も一貴族に過ぎず、女神によって任を解かれる可能性も無しではない。


 それは初等教育の最も初めに教えられることだ。


「そなた、王族を名乗りながらこの国の興りすら知らぬとは、情けないにもほどがある!」


 まるで、わたしに向かって言っているかのような言葉の数々。

 知って、いたはずだった。

 わかっていたはずだ。

 だが、知らぬふりをした。間違いだと、思い込もうとしていた。


「まだわからぬか! 今の吾はロザリーナではない! 吾が名はルーエ!」


 紛うことなき女神降臨。

 神威を込めて放たれた怒声に居合わせた人々は悲鳴を上げることすらできず只管ひれ伏すことしかできなかった。


 わたしを含めて。


 しかし、さらなる衝撃がわたしを襲った。



「妾の名は、ライラ」


 それは、ディアナ嬢だった。凛とした声に思わず顔を上げてその姿を目の当たりにした。

 あどけなさはすっかり消え去り、髪も瞳も銀の光に彩られている。


 ライラ、女神ライラ!

 では、ディアナ嬢は。


「女神の、依り代…」

「そうですよ。貴方がいないものと断じた女神ライラをその身に降ろせる唯一の存在、依り代が彼女です」


 バークスの、静かな声だった。 


「知って、いたのか」

「貴方の持論ですか? それとも彼女の存在を? まぁ、どちらも是、ですよ。学生時代、なぜあなたとつるんでいたと思います? もちろん気が合ったのはたしかですが、近づいた動機は貴方の掲げる女神不要論です。万が一にも貴方が依り代であるディアナを害すことのないよう監視をする目的もあったのですよ。とはいえ、あなたの本心を知ってさらに悩みましたけどね」

「わたしの、本心、だと?」

「貴方は女神が不要といいつつ、その存在を求めてやまなかった。そうでしょう?」


 ああ、そうだ。

 王族なのに、女神より国を治めるべく任じられた血筋だというのに女神を知らないなんて。

 女神は、もしやいないのでは?


 会いたいという思いが会えないことでいつしかその存在を疎むようになった。


「しかし、ロゼスティリアの貴族の娘がなぜ女神ライラの依り代になれたのだ?」

「それこそ女神の思し召しでしょう。王族である貴方が知らないことを私が知るはずないでしょうに」


 いや、このとぼけ方は絶対に知っている。学生時代に何度も見ている。


「で、ところでなぜ我々はこんなところにいるのでしょう、殿下」


 引きつったようなバークスの顔を見て、ふと周囲を見回すといつの間にやら美しい庭は消え、どこかの室内にいた。


 白い古代様式の祭壇と、白い細かな彫刻が施された柱が等間隔に並んだ広い空間、毛足が長い真紅の絨毯、同色のカーテンには黄金色の刺繍と同色の房飾り。


「いつの間に…? ここは、女神の間か?」


 母国の王城にも同じ様式の広間がある。

 そこは守護女神ライラが降臨する際に使われる「女神の間」と呼ばれる場所。

 色合いはかなり異なっていて、祭壇と柱は同じだが、透けそうなほど薄いカーテンには銀糸の刺繍が施されており、絨毯は敷いていない。

 女神が纏う色を配したのだろうか。初めて目にした依り代へ降臨した二柱の女神の印象ととても重なる。


「ということは、ロゼスティリアの王宮か…?」


 それは、マズイ。


 わたしがロザリーナ嬢を見知っていたように、わたしのことを知っているものがここ、ロゼスティリアの王宮ならいるかもしれない。

 身分を隠して入国しているのだ。わたしが誰か露見すれば母国に迷惑がかかる、のだが。



「さて、申し開きがあれば聞こう。このように吾らが揃うことなど滅多にない。言いたいこと聞きたいことは遠慮なく述べるが良い」



 始まってしまった女神ルーエによる断罪。場違い感を大いに抱えたまま見守るより他なかった。



 結論。

 ロゼスティリアの王太子はその地位を剥奪。王族籍からも抜かれ平民となった。新たな王太子として第二王子が女神の指名で立った。前代未聞とも言うべき王家交代は辛うじて免れたようだ。そして異世界よりやってきたニセ聖女は元の世界へ還されることが決まった。


「さて、ロゼスティリア王よ。すまぬがこの場をしばし妾に貸してはもらえぬだろうか」

「え、いや、しかし」

「では吾からの頼みであれば?」

「はっ! どうぞお使いください!」


 そうして、二柱の女神の御前にわたしとバークスが残された。自然、頭を垂れ片膝をつく。


「さて、申し開きがあれば聞きましょう。妾が守護するリリエントの王家たるアロン一族のものよ。そなたがなぜロゼスティリアにいるのか」


 先程の女神ルーエと同じような言葉。

 身体の奥でどくりと音がした。背中を冷たい汗が流れる。

 これは、わたしへの断罪か。


「身分と名を偽り、国を出たことが、女神のお怒りに触れたのであれば」

「否、そなたが国を出たその目的を述べよ」

「フン! 吾等の守護で平安を享受できているものを。なぜ自ら火種となろうとするのか」


 ああ、女神方はすべてお見通しなのだ。


「いまのリリエントにはちょうど依り代も聖女もいません。聖女はおよそ三十年ほど現れていませんし、依り代はここ、ロゼスティリアで育ちましたから。妾の存在を疑い、おらぬものと思っても仕方ないでしょう。しかしそれは無辜の民であればです。王族ともあろうものが全く、情けない」


 弁解のしようがない。


「この国の王太子の愚行、此度のことは形を変えてリリエントでも起こり得たことです。まして、そなたが引き金となり万が一にも事が進めば、多くの両国の民が苦しむことになりかねなかった。そうなる前に妾は、アロン一族に死を命じたでしょう」


 陽光の女神ルーエ、月花の女神ライラ。

 この世界をあまねく照らす太陽のような女神ルーエはその苛烈な性質が語られることが多いが、その実は人への慈愛にあふれている。翻って女神ライラは手弱女のごとく語られるが、その性質は妹女神より冷徹ともいわれる。


 国を出るときに思い描いた、自分が国を治める妄執に囚われ、治められる民のことなど考えもしなかった。

 妄執の未来が現実性を帯びた時、女神ライラは怒りとともに降臨してわたしを、一族もろとも断罪しただろう。



『女神ルーエに対して敬意を持たぬこのような息子を王太子位に就け、気付かぬままいた事に対し王家として、親として深く謝罪を。そのうえで我らは女神ルーエの御意志に従います』


『吾が死ねと言うたら?』


『覚悟は、ございます』



 先程の女神ルーエとロゼスティリア王のやりとりが女神ライラと兄王の間で行われたのだろう。


「女神ライラ」

「なにか?」

「たしかにわたしはあなたの存在を信じることなく、この国を我が物にしようと考えておりました」


 隣でバークスが息を呑んだ。


「すでにそのような気持ちはございませんが、死をお命じになるならわたし一人に。一族には咎なきこと何卒お願い申し上げます」


 これは、愚かなわたし一人の罪だ。


「その心に偽りはありませんね?」


「はい。ございません」


「いいでしょう。リリエントの王弟、サイラス・ドナルド・アロンよ。そなたはいまより三年後、アロン一族を離れ、クォーリア公爵を名乗りなさい」

「はっ…はい!? ですが」

「面を上げなさい」


 衣擦れの音とともに柔らかそうなドレスの裾が視界のはしに見えた。命じられるまま顔を上げたわたしの顎の下に冷たいものが触れ、さらに上向かせられた。それが、華奢な女性用扇子であったとその時には知ることもなく。


「まだ犯していない罪にまで死を命じるほど妾は冷酷ではありませんよ」


 女神ライラの色彩を纏った、可愛らしいとも美しいともいえるディアナ嬢がわたしを見つめていた。


 胸が締め付けられる。これは一体、どのような感情からくるのだろうか、


「しかし、妾への不敬は償ってもらいましょう。そなたこの娘、ディアナを娶りなさい。自らのみを頼みとして」

「それは、どういう」

「己で口説き落として妻にせよ、と姉様は言うておる。政略で嫁がせるのではないぞ。そなたが自力でディアナをその気にさせよという意味じゃなからな」


 容易くはないぞ、と女神ルーエは楽しそうに笑う。


 たしかに、壁は高い。


 ウィンティック公爵家掌中の珠。

 成人前と、10という年齢差。


 しかし。


「女神ライラ、それでは償いにはなりません。そうでなくてもわたしはそのつもりなのですから」

「そうきますか。それでは精一杯邪魔をするよう、各方面へ話をつけましょう」


 くすり、と悪戯そうに微笑むその顔にまたしても目を奪われた。奪われ続けた。そのため『精一杯の邪魔』について考えが及んでいなかったことをあとから悔やむことになったが。


 一度国へ帰り、兄王へすべてを報告し洗い浚い打ち明け謝罪した。その結果、二ヶ月の謹慎を言い渡されたが依り代を発見できたことはよしとされ、バークスを伴ったデポン侯爵夫人との面会ではディアナの様子を聞かれ、「わたくしの、15年越しの夢がこれで…!」というよくわからないが感謝をされた。


 そして、今一度ロゼスティリアへ。今度は身分と本名を名乗り、ウィンティック公爵家へ訪問した。

リリエント王弟の身分により、門前払いになることはなかったが、大きな罠は思わぬところに存在したのだ。


 通された庭園でディアナ嬢を待つこと暫し。現れた彼女を見た途端に雷に打たれたような衝撃がわたしの体に走った。


 わたしだけを映す緑の宝石のような瞳を見た途端、わたしはその足元に膝をついた。


「ウィンティック公爵令嬢! ぜひ私の婚約者になってください!!」


 刹那、その瞳は大きく見開かれたがさすが淑女。すぐに表情を戻す。


「女神ライラの依り代たるわたくしを貴国へ招くためだけに婚約を、とおっしゃいます?」


 答えは勿論否、だ。

 女神ライラにはそのつもりもあるかもしれない。むしろなぜロゼスティリアで生まれたのかずっと疑問で、バークスがひたすら口を割らないのでいまだにわからない。


 しかしだ、わたしは彼女が依り代でなくても求婚しただろう。なぜなら、


「あなたの愛らしさに惚れたからです!」


 もちろん、わたしは幼い少女を好むのではない、断じて違う。しかし、ディアナ嬢は別だ。愛らしいこの見目と成人顔負けの所作。そしてなぜか心惹かれてやまない存在であることは、おそらく年を重ねても変わらぬだろう。


「ロリコン…?」


「ろ、ろり…?」

「殿下は、その、そういったご趣味でいらっしゃるということでしょうか…?」


 微笑みの中に嫌悪ではないが、なにか憐れみのようなものがみえ、最大の壁がここに存在することをわたしは理解した。


 そして、それを作ったのが自分自身であることも。


***


 あれから、おおよそ3年の月日が経った。

 ロゼスティリアではトーマス殿下の立太子とともにロザリーナ嬢が王太子妃として婚姻まで済ませており、元第一王子のアーサーは借金返済のため労働に明け暮れているという。

 バークスは独立して自分の商会を立ち上げ、名前をマイケル商会にし、あちこち飛び回っている。なぜその名前にしたのかと何度か問うたがはぐらかされ続けている。

 ウィンティック公爵家自体にはこの婚約は歓迎された。公爵夫人をのぞいて。リリエントに行かせることに拒絶反応があるらしいが、いずれ賜る新公爵領がウィンティック公爵領と隣接する地域で、街道が整備されているためウィンティック公爵領の領都からであれば半日で来られると知った時にようやく、渋々なんとか了承をもらえた。


 そしていま。


「準備はできているかい?」


「ええ、バッチリよ!」


 二年かけて幼女趣味の疑惑を払拭して口説き落とし、やっと婚姻まで漕ぎ着けた最愛の妻・ディアナとともに新しく賜った領地へ赴くところだ。


 この一年間も驚きの連続だった。

 ディアナはデポン侯爵家で生まれたこと、彼女には前世の記憶というものがあり、前世ではあの偽聖女と同じ世界で生まれ育った成人女性であったこと、そこにはこの世界と似たような物語が存在していたこと、等々。

 打ち明けられて、「こんな私でホントにいいの?」と不安そうに問われたが。


「わたしは貴女という存在そのものを好ましいと思っていると、何度も言ったはずだけど?」


 驚かなかったわけではない。けれど、妙に腑に落ちたのも確か。

 その前世の記憶も、いまのディアナを形作っている一つだ。それがなければいまの彼女は存在し得なかったかもしれない。


「ありがとう、ございます」


 満面の笑み。あの頃と変わらない。

 成人してからすっかり淑女然としてあまり表には出なかったこの微笑みをまた見せてくれるとは。


「その顔は反則だ」

「え、と…嫌ですか?」

「いや。わたしが惚れたその笑顔を他の男の前では絶対にしないように」


 たとえバークスでもダメだ。


 彼女こそ、わたしの女神だ。

読んでいただきありがとうございました!


・王弟殿下がロリコン疑惑を持たれたのはまぁ、自業自得です、というお話です(違)

・家名の秘密、わかった方は胸に秘めておいてください。

・扇子で顎をくいっとしたのはわたしの趣味です。

 こう、悪役令嬢が従者にコレをやるシーンがたまらなく萌えてしまって。女神と殿下でやっていただきました。満足です!


最後の蛇足にもお付き合いいただき本当にありがとうございました!

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