【1】前編
(私を見て。誰かの身代わりでなく、私自身を見て)
* * *
「紫音、今日も部活見学行くでしょう?」
放課後になったとたん、後藤歩が嬉しそうな顔をして寄って来た。
「うん。今日はどこ見に行こうかなあ」
水原紫音は席から鞄を持って立ち上がりながら言った。
高校の入学式から早五日が過ぎようとしている。
紫音と歩は中学から一緒の友達だ。縁あって高校でも同じクラスになった。
中学時代、二人は別々の部活に所属していたが、高校は一緒の部に入ろうかと相談しているところである。
「それなんだけど、テニス部行かない?」
「テニス? ……ごめん。私テニス部だけには入りたくないの」
紫音は困ったように俯いた。
「……もしかしてお姉さんのせい?」
「………うん」
紫音には三つ上の姉、藤花がいる。
彼女は中学時代高校時代ともにテニス部でキャプテンを務めるようなリーダーシップ抜群の生徒で、信頼も厚かった。高校時代は関東大会まで出場した経歴もある。
それだけではない。
モデルかと言われるほどの顔とスタイルの持ち主でもあり、とにかく華やかで目立つ存在だった。
それにひきかえ、紫音は顔こそ同じ母親似でどことなく似ているものの、藤花の持つ華やかさとは程遠い、控えめな大人しい少女だった。
歩は藤花を一度も見たことがない。
しかし彼女の存在は、彼女が卒業した後も伝説のように語られていた。
その姉といつも比べられてきた紫音は、表面上は笑顔で答えつつも、心の中では惨めな思いが渦を巻いていた。
だから同じ高校には行かないつもりだった。
しかし両親の勧めもあって、結局藤花と同じこの城南学園に入学したのだ。
「見に行くだけ行こうよ。入部するわけじゃないんだからさ」
「でも……」
「紫音は見てみたくない? 城南の光源氏って呼ばれてるテニス部の有名人」
「城南の光源氏?」
「うん。二年生の男子テニス部員、香坂貴輝先輩!」
歩はワクワクした思い全開で言った。
「二年生でエースだよ。しかもテニスだけじゃなくて他のスポーツも勉強も、何でもこなせちゃうすごい人。でもってすっごい格好いいんだって」
こんな非の打ち所のない人が世の中にいるのだろうか。姉の藤花でさえも数学が苦手だったのに、と紫音は思った。
そして見たくなった。
「歩ちゃん、私も見たい。城南の光源氏!」
(見るだけ。見るだけだから。テニス部には近づかない方がいいのは分かってるけど、一度だけ……)
紫音は歩に感化されたのか、まだ見ぬ城南の光源氏と呼ばれる少年に胸をときめかせるのだった。
二人がテニスコートへ行くと、すでにフェンスの周りに人が集まりつつあった。
見学目的の一年生はもちろんのこと、他の学年の女子生徒も混じっている。
彼女らの目的はもちろん城南の光源氏。その姿と華麗なプレーを見ようと集まっているのだ。
テニス部員はウォーミングアップでランニングした後、軽い打ち合いに入っていた。
紫音の瞳に一人の少年が映った。
明らかに周りとは違う雰囲気を持つ少年。
(何か品のある人。……高貴というか)
「ほら、たぶんあの人だよ」
歩が指した方は、たった今紫音が見ていた少年を示していた。
「あの人が城南の……光源氏」
紫音は茫然と呟いた。
納得できてしまった。
一人異彩を放つあの少年の持つ品格、姿。
平安の雅な線の細い美男子というわけではない。切れ長の瞳と野生の狼のような鋭さを持ちながらも品がある人。そして八頭身の立ち姿。
美少年というより美青年である。
紫音は貴輝に釘付けになってしまった。
(もっとずっと見ていたい)
紫音は胸の鼓動の高鳴りを感じていた。
――一目ぼれ。
一瞬にして恋に落ちてしまったのだ。
「歩ちゃん、私テニス部に入る」
紫音は貴輝に瞳を奪われたまま、ポツリと呟いた。
「え!? だって紫音、テニスだけはやだって……」
紫音の意外な言葉に、歩は紫音の心がどうして急に変わったのか分からなかった。
「あの人のこと、もっと見ていたいの」
「紫音、あの人ってまさか」
「……うん」
姉と比べられたくはない。けれどそれ以上に恋する気持ちが勝ったのだ。
藤花ならともかく、こんな自分の想いが通じるなんて、紫音は思ってなかったし期待もしていなかった。
ただそれでも毎日貴輝の姿を見たいと思ったのだ。
貴輝の姿が瞳に映る。それだけで紫音には充分に思えた。
「そっか。じゃあ私も入ろっと。善は急げってわけじゃないけど、これから入部届出しに行こうよ」
歩は言うと、紫音の手を引っ張って女子テニス部の部長を訪ねた。
「そう。じゃあ今日は仮入部ってことで見学してって。入部届は顧問の先生が持ってるから後で貰って
ね。とりあえず部活日誌に名前だけ書いてもらおうかな」
女子部長は日誌を取ってくると、それとペンを二人に渡した。
勧められるまま二人は名前を書いて渡すと、部長はある一点を見て紫音の顔をじっと見た。
「水原ってもしかして……」
部長の考えていることが紫音にはすぐ分かった。
「はい。水原藤花の妹です」
「やっぱり藤花先輩の妹さん! 似てる似てる。テニスもできるの?」
興味津々の部長に紫音は俯く。
「……いえ、初心者です」
「中学では何してたの?」
「きゅ……弓道をやってました」
意外そうな部長の顔。
比べられるのは覚悟の上だとはいえ、紫音はやはり姉の絶大な存在を感じてしまう。
「理江部長、この子達新入部員?」
部長の横からひょっこり顔を覗かせた男子生徒、宮崎将斗。
「将斗くん、この子藤花先輩の妹だって」
「えっホント!? おーい貴輝、こっち来いよ。藤花先輩の妹が来てるってさ!」
二つ離れたテニスコートで練習していた光源氏・貴輝を大声で呼ぶ将斗。
その声に貴輝のみならず、テニス部員が次々に集まってきた。
(私、見世物じゃないのに……)
皆の視線に晒され、紫音はますます俯く。
「ほらほら皆、練習練習!」
紫音の様子に、将斗が部員達を追い返す。
「お前が大声で呼ぶからじゃないか」
貴輝がやって来た。
「すまん、つい……」
「皆、練習再開だ。行った行った」
名残惜しそうに散っていく部員達。
紫音は憧れの人を目の前にして、茫然としてしまっていた。
将斗が紫音の肩に手を置いた。
紫音は我に返り将斗を振り返る。
「えーっと名前何だっけ?」
「水原……紫音です」
「ごめんね、紫音ちゃん」
将斗の優しそうな笑顔に、紫音にも笑みが戻った。
「俺は宮崎将斗、二年生。で、こいつは香坂貴輝。同じく二年。ヨロシクね」
「はい。宮崎先輩、香坂先輩、部長、初心者ですがよろしくお願いします」
紫音が挨拶をすると、横にいた歩も一緒にお辞儀した。
「うちの部は名字じゃなくて名前で呼び合ってるんだ。皆仲良く。これうちの部のモットーね」
将斗が付け加えるように言った。
「はい」
紫音は思い切ってテニス部に入ってよかったと思った。
姉のことを除けば、部員達も皆仲良さそうで楽しそうだと思った。
そして姉の存在があったから、貴輝に自分の存在を知ってもらうことができたのだ。
姉の存在があったから……。なければ……。
それを思うと紫音の胸の内は複雑だったのだが。
ただこれだけははっきり分かっていた。
―貴輝を近くで見ていられる、言葉を交わすこともできる。それを喜んでいる自分の心を。
* * *
衣更えの季節を迎えた。
紫音と歩は今日も部活に励んでいる。
初めこそ藤花の妹と騒がれはしたが、今ではあまりに姉と違う紫音に興味を抱くことはなくなっていた。
「紫~音ちゃん」
校舎の陰で休憩中の紫音に、将斗がタオル片手に近づいてきた。
紫音にとって気軽に話せる将斗の存在は頼りになる先輩そのものである。
「将斗先輩も休憩?」
「そうだよ。今日も熱いね~」
将斗はそう言うと、紫音の隣に座り込んだ。
「紫音ちゃんってさ、筋いいよね。初心者にしては上手いよ」
将斗の言葉に紫音ははにかむ。
「……私、何でも何とか人並み程度にしかできないから」
「それってすごいことだと思うけど?」
紫音は首を横に振る。
「平均的にしかできない人より、何か一つでも得意なものがある人の方が強いし魅力あると思う。私とお姉ちゃんがまさにそれ。例えば勉強にしたって、お姉ちゃんは文系の科目は全国模試でもいい線いってたのに、理数系はてんで駄目だったもん。私はどれも平均で強みなし。その点貴輝先輩ってすごいですよね。トップクラスになれるくらい何でもできちゃうんだから。それにあのルックスだし」
紫音は何度思ったことだろう。
なぜ自分は藤花ではないのだろう。なぜ自分には誇れるものがないんだろう。もし自分が藤花だったら、貴輝は振り向いてくれたかもしれないのに…と。
「紫音ちゃんのコンプレックスは藤花先輩ってわけか。俺の貴輝に対するものと似てるな」
呟くように言った将斗の顔を紫音は意外そうに見つめた。
将斗が貴輝に対してコンプレックスを抱いているとは微塵も思っていなかった。
将斗も貴輝には及ばないものの、人並み以上に何でも器用にこなすし、ルックスだってかなりのものである。
生徒の中には貴輝の光源氏に引っ掛けて、将斗のことを源氏のライバル・頭中将と呼ぶ者もいるくらいだ。
その将斗からこんな言葉を聞いて、紫音は驚いていた。
将斗は苦笑いした。
「俺、あいつとは中学から一緒なんだけど、今まであいつに勝ったこと一度もないんだぜ。何か一つでもいいから一度あいつを負かしてみたいよ」
「ライバルが貴輝先輩って大変そう……。頑張ってね」
「ああ。……こんなこと話したの、紫音ちゃんにだけだからな。他のヤツラには内緒だぜ?」
紫音は笑顔で頷いた。
――その日の帰り。
紫音は一度は学校を後にしたものの、明日の英単語の小テスト用のテキストを部室に忘れ取りに戻っていた。
テキストを手に部室の鍵を閉めていると、数部屋おいた先の男子の部室から貴輝が出て来た。
貴輝も紫音にすぐ気づく。
「あれっ今帰り? 遅いね」
声を掛けてきた貴輝を直視できず、どぎまぎする紫音。
「は、はい。部室に忘れ物しちゃって。貴輝先輩こそ練習とっくに終ってるはずじゃ……?」
「俺は居残り練習。ちょっとやっておきたいことがあってね。一緒に帰ろう。送るよ」
貴輝の申し出に、紫音は飛び上がりたくなるくらい喜んだ。
こんな風に話せるだけでも嬉しいことなのに、一緒に帰ろうと言ってくれたことはまるで宝くじで大当
たりした気分だった。
もう二度とないことかもしれない。
この時間を紫音は心の中で大切に抱き締めていた。
貴輝の隣を歩きながら、紫音はそっと彼の精悍な顔を見上げる。
(先輩、私に時間をくれてありがとう)
一生の宝物だと思った。
もうこれ以上高望みはしない。これで充分想いは報われたと思った。
「紫音ちゃん。……いや紫音」
貴輝に呼びかけられた紫音は、一瞬ドキッとして歩みを止めた。
貴輝がちゃん付けでなく、名前を呼んだからだ。
歩みを止めた紫音に、貴輝も向き直る。
紫音は貴輝から目を逸らすように俯いた。
何かいつもと違う貴輝の真面目な表情を、まともに見ていられなかったのだ。
「俺と付き合って欲しい」
頭の上から降ってきた貴輝の艶やかな低い声に、紫音は訳が分からないようにキョトンと彼を見上げ
る。
「先……輩?」
(今何て言ったの……?)
貴輝は自分を見つめてくる紫音の長い髪にそっと触れた。
「君のこと、もっと知りたいんだ」
貴輝が告げたことに、紫音は嬉しさよりも「どうして自分に?」という思いを強く抱く。
何の取り柄もない自分のどこが気に入ったのだろうか。姉のように誇れるものが何もないのに。
「先輩、私でいいの? 私、お姉ちゃんとは全然違うよ?」
紫音は自信のなさに俯いて言った。
「藤花先輩じゃなく、紫音のことが知りたい。初めは藤花先輩の妹って聞いて気になった。けれど今は君自身のことを知りたいと思ってる」
貴輝は毎日紫音に目を向けていた。
藤花の華やかさはないが、紫音には心安らぐ穏かな空気を感じていた。
彼女の笑顔を見るだけで、自分まで微笑んでしまうような優しい雰囲気。
花に例えるなら藤花はまさに赤薔薇。紫音はかすみ草といった感じだ。
「俺は紫音と付き合いたいんだ」
姉ではなく自分を見てくれた貴輝の想いを、紫音は今度は素直に嬉しいと思った。
「はい。よろしくお願いします」
軽くお辞儀をして貴輝を見上げると、彼は優しい笑みを零していた。
「よかった」
貴輝は言うと紫音の手を握った。
「帰ろっか」
紫音はそっとその手を握り返した。
* * *
貴輝と紫音が付き合いだしたことは、あっという間に学校中に知れ渡った。
貴輝は何といっても常に注目されている人物。
城南の光源氏とは呼ばれていても、本物の光源氏のようにプレイボーイではない。
今まで貴輝が誰かと付き合ったというのは噂にすら上がっていなかったのだ。
その貴輝に彼女ができた。
相手はあの藤花の妹ということで、紫音まで注目されるようになっていた。
まるで肩書きのように「藤花の妹、藤花の妹」と言われ続け、紫音は姉の存在に押し潰されそうだった。
今までも姉と比べられてきたが、今回はその比ではない。
藤花ならともかく、何であんな平凡な子と…と何度も耳にしていた。
貴輝と付き合うことは、紫音に藤花の存在の大きさを再認識させた。
貴輝が自分に言ってくれたことを信じていないわけじゃない。
しかし周りの声が徐々に紫音の心を脅かし始めていた。
(私のどこを好きになってくれたの?)
紫音は心の中で何度も不安げに呟いた。
ただそれでもどんなに辛くても、貴輝の言葉を信じている限り、紫音は貴輝の傍にいたいと思った。
彼の口から別れの言葉を聞くまでは隣にいたい。いさせて欲しい。
(それ以上はもう望まないから)
紫音は押し潰されそうな恋心をそっと抱き締めるのだった。
ある日の部活後の部室内で、二年生の先輩が紫音に話しかけてきた。
貴輝と付き合い始めたことは、少なからず部内にも影響をきたしている。
貴輝目当てでテニス部に入った者もいた。
今までは貴輝に特定の彼女がいなかったから、周りがワイワイ楽しむだけだった。
しかし彼女ができたことで、部内にも波風が立ち始めていたのだ。
そしてこの話しかけてきた二年生も貴輝に憧れる一人。
「どうして貴輝くん、紫音ちゃんと付き合うことにしたのかなあ?」
「え……あ、あの」
敵意を感じた紫音は言葉に詰まった。
それを見た歩が紫音の手を引く。
「お先に失礼します、先輩。行こう紫音」
「う、うん」
紫音も早くこの場から離れたかった。
しかし先輩は紫音に衝撃の一言を投げかける。
「貴輝くんが本当に好きなのは藤花先輩だって知ってる?」
紫音は先輩を振り返った。
心の片隅に思っていたことを直球で投げかけられて、不安な思いが全身を駆け巡った。
「テニス部内じゃ二人の仲は有名だったのよ。交際はしていなかったけど、皆相手があの藤花先輩じゃ仕方ないって思ってた。だから貴輝くんがあなたを選んだなんて信じられない。あなたは藤花先輩の身代わりでしかないのよ!」
紫音は何も言い返せなかった。
ただ唇を噛み締めて耐えることしかできなかった。
「先輩、紫音を傷つけるのがそんなに楽しいですか? 先輩なら言っていいことと悪いことの区別くらいできるはずです!」
歩は言い返すと、紫音の手を引いて部室を出た。
「大丈夫? 気にすることないからね」
紫音は頷くことしかできなかった。
(私はお姉ちゃんの身代わり?)
先輩の放った言葉が紫音の胸に深く突き刺さっていた。
貴輝の言葉を信じようと思う心が崩れそうになるのを、紫音はすんでで抑えていた。
その日は何とかそれで事を終えることができた紫音だったが、数日後の古典の授業で紫音は更に苦悩することになってしまった。
教科書は『源氏物語』の『若紫』に入った。
先生が『源氏物語』のあらすじを説明する。
紫音は『源氏物語』の本文を読んだことはなかったが、漫画で話は知っていた。
話の内容を思い出した時、紫音の心に藤花の身代わりという言葉が蘇った。
『源氏物語』の登場人物に、貴輝と藤花と自分が重なって見えたのだ。
貴輝を光源氏とするなら藤花は藤壺の宮、自分は紫の上だと。
光源氏は父・天皇の妻である藤壺の宮を恋い慕っていた。藤壺の宮も天皇の妻でありながら光源氏を密かに思っていた。藤壺の宮の面影を追い求めるように彼は多くの女性と契りを交わしていく。藤壺の宮を忘れられない彼は彼女と血縁関係のある紫の上と関係を持つ。しかも紫の上は藤壺の宮によく似ていた上に、小さい頃から光源氏の元で育ったためまさに彼の理想の女性に成長していた。それでもなお藤壺の宮を忘れられない光源氏の想いを、いつしか紫の上も気づいていた。自分に他の誰かを重ねていると。
(でも最後光源氏は自分が本当に愛していたのは紫の上自身だと悟るのよね)
でも自分は……と紫音は思う。
(私は紫の上みたいに魅力的な女性じゃない)
だからもし姉の身代わりに自分を見ているのであれば、それ以上に見られることは決してないのだと思った。
(もし貴輝先輩が本当はお姉ちゃんのことを想っていたら……)
紫音の胸を不安の渦が巻く。
(でも、それでもいいの)
紫音はただ貴輝の傍にいたかった。
たとえ姉の身代わりであろうと、たとえ自分には振り向いてくれなくとも、それでも貴輝の傍にいたかったのだ。
それ以上は望まない。ただ傍にいれられるだけで紫音には充分に思えたのだった。
* * *
姉の存在に脅えつつも、紫音は表面上は何事もないように貴輝の隣で振る舞っていた。
ただ毎日が流れるように過ぎていく。
この日々がいつまでも続いて欲しいと紫音は願う。
「紫音、明日は久々に部活もないし遊びに行かないか?」
土曜日の部活帰り、貴輝が紫音の隣を歩きながら誘ってきた。
紫音は笑顔で頷く。
二人でどこかへ行くのは初めてなのだ。
「どこがいい? 映画? それとも遊園地? 紫音の好きな所でいいよ」
「先輩はどこ行きたい? 私、貴輝先輩と一緒ならどこでもいいよ」
紫音には決められなかった。優柔不断なのだ。
「じゃ、今回は遊園地に決まり!」
貴輝もそれを分かっているから自分からリードする。
紫音の顔を見たら、何となく遊園地って感じがした。
「うん。明日が楽しみ!」
初めてのデートに紫音の胸は高鳴る。家に帰ってからもそれは続き、明日は何着て行こうとか、何もって行こうとかあれこれ考えるのも楽しいものだった。
そして気分の高まりに、紫音はなかなか寝つけない夜を過ごしたのだった。
翌日は晴天。
紫音の心も自然と澄み渡る。
初めて二人で過ごす時間は、紫音を満足させるには充分だった。
自分に微笑みかけてくる貴輝の優しい表情に、紫音は宝物のようなこの瞬間を大切に胸に刻みつけていた。
二人はいくつか乗り物を乗った後、休憩がてらにベンチに腰を下ろす。
「はいっ」
貴輝が紫音にコーラの入った紙コップを手渡す。
「ありがとう」
貴輝がおごってくれたコーラを、紫音は一口二口飲む。
暑い日に炭酸が気持ちよく喉を通っていく。
貴輝もアイスコーヒーを飲んだ。
「はーっすっきりした」
冷たい飲み物が二人のエネルギーを補充していく。
流れる穏かな時間。
貴輝の何気ない言葉や仕草を見ているだけで紫音は幸せだった。
「次、何乗る?」
アイスコーヒーを飲みほした貴輝が紫音に意見を求めてきた。
ずっと貴輝に任せっ切りだった紫音だが、今日叶えたい思いがあった。
「貴輝先輩、……メリーゴーランド乗ってもいい?」
遠慮がちに言った紫音に、貴輝は優しい笑みを浮かべ頷くと立ち上がった。
「行こう」
貴輝が紫音に手を差し伸べる。
自分の思いをごく当たり前のように受け入れてくれた貴輝の手を、紫音は喜んで握った。
紫音はメリーゴーランドが好きだった。まるで夢の中へいざなってくれる気がしていた。
小さい頃は遊園地へくると必ず乗ったものだ。しかし成長するにつれ、子供じみたヤツだと思われたく
なくてここ何年かは周りから眺めることしかできないでいた。
貴輝ならそんな自分の願いを叶えてくれそうな気がした。
貴輝の前でなら素直な思いを口にできると思った。
そして貴輝は紫音の願いを聞き、叶えてくれたのだ。
二人は隣り合わせの白馬に乗った。
紫音は流れる景色と隣で自分に穏かな笑みを向ける貴輝とを交互に見ながら、至極の幸せを噛み締めていた。
貴輝もまた、無邪気に瞳を輝かせる紫音の姿に心を和ませていた。
紫音は満ち足りた思いでメリーゴーランドを後にした。
「貴輝先輩、ありがとう。付き合ってくれて」
紫音は一緒に乗ってくれた貴輝に感謝した。
まさか一緒に乗ってくれるとは思ってなかった。外で待っててくれるものだと思っていたのだ。
そのことが嬉しさを倍増させた。
「俺も楽しかったよ」
貴輝は言うと紫音と手を繋いだ。
「メリーゴーランドって紫音のイメージだな」
「えっ?」
「何かほんわかするっていうか、和ませてくれるっていうか」
貴輝の言葉に紫音は、貴輝が自分をどんな風に見てくれているのか垣間見れた気がした。
その言葉はちゃんと自分自身を見てくれていると告げられたようで嬉しいものだった。
「紫音ってさ、絶叫系苦手だろ?」
「どうして分かったの?」
「やっぱり。そうだと思ってあえてそれ外して乗ってたんだけど。よかった、間違ってなくて」
貴輝は安心したように言った。
(貴輝先輩、私のこと分かってくれてるんだ)
しかし次に貴輝が放った言葉は、紫音の心を不安へを導く。
「姉妹っていっても全然違うよな。藤花先輩は絶叫系大好きだったから」
「……貴輝先輩、お姉ちゃんと来たこと、ある……の?」
紫音の声のトーンが落ちる。
その様子に貴輝は紫音の不安を悟る。
「二人で来たわけじゃないよ。テニス部全員で送別会の時来たんだ」
「そう……なんだ」
ずっと思い出さないようにしてきたことが、抑えようとしても込み上げてくる。
姉の身代わりなのだと。
(貴輝先輩はお姉ちゃんのこと、忘れてないのかもしれない)
些細な言葉から貴輝が藤花を気に掛けていたのではないかと思ってしまったのだ。
姉の好みを覚えていた貴輝。
(でも先輩はお姉ちゃんと全然違うって分かってて私を選んでくれたんだよね……?)
貴輝の真意が知りたい。
紫音は不安な心を隠すように、貴輝の手をそっと握り返すのだった。
その日、貴輝は紫音を家まで送り届けた。
「貴輝先輩、今日はありがとう」
玄関先で別れ際にお礼を言う紫音。
「また遊びに行こうな」
「うん」
一抹の不安を抱えながらも、貴輝の優しい言葉に、紫音は二人だけの時間を惜しんでいた。
この先もずっと貴輝の彼女でいたい。
思うたびに貴輝の隣にいない自分を想像してしまう。
そして胸に生まれる重い苦しみ。
でも離れられない。離れたくない。
紫音は貴輝を繋ぎとめるたとえホンの小さなものでもあれば、それにすがりつきたい思いだった。
その時、不意に玄関のドアが開いた。
「あら、紫音帰ってきてたの?」
顔を出したのは姉の藤花。
帰ってきた紫音とは逆に、これから出掛けるところだった。
「え……貴輝、くん。久し……ぶりね」
藤花はすぐ貴輝がいることに気づき、言葉を掛けた。
しかし紫音は姉の様子がいつもと違うことに気がついてしまった。
(あのお姉ちゃんが……動揺してる)
平静を装っているが、紫音は目にしてしまったのだ。
貴輝を見た瞬間、姉の表情が驚きに固まり、その後熱を含んだ憂いの瞳を浮かべたのを。
「藤花先輩も元気そうだね」
貴輝の返事をした声を聞いて、紫音は自分の不安が当っていることを知ってしまった。
自分や他の人達と話す時とは少し違う、心持ち緊張したような心を抑えたような声。
それは貴輝が他の人とは違う感情を藤花に抱いているからだと感じ、紫音は胸が潰れる思いがした。
紫音は恐る恐る二人の顔を見比べる。
言葉はなくとも、互いの想いが交錯していた。
二人だけの空間。
それを侵すことは誰にも許されない気がした。
テニス部の誰もが知っていた二人の隠していた想い。
それを今目の前で見せつけられた紫音は、信じていた信じようとしていた貴輝の言葉すら粉々に砕け散ってしまったのを感じた。
(あのお姉ちゃんに彼氏がいないのも、本当は貴輝先輩が忘れられなかったからなんだ)
そして貴輝はやっぱり自分に姉を重ねて見ていたのだと痛感した。
(私は……邪魔者)
紫音は自分が貴輝の隣にいてはいけないことを悟った。
自分の想いを優先して貴輝を苦しめてはいけない。
(先輩は私の想いを知ってるから、きっと自分から別れを切り出したりしない)
藤花ではなく、自分と付き合いたいと言った貴輝だからこそ、その言葉通りこの先も自分を大切にしてくれるだろう。
でもそれは愛ではない。
愛情に過ぎないのだ。
紫音は自分の居場所が貴輝の隣にないことを、胸の痛みを抱えながら受け入れるのだった。
* * *
あれから二日が過ぎようとしている。
あの貴輝との別れを決めた日、夜遅く帰ってきた藤花を紫音は待っていた。
藤花の想いを確かめたかったのだ。
紫音を見た藤花は聞いてきた。
「貴輝くんと付き合ってるの?」
紫音は肯定も否定もせず、藤花に聞き返す。
「お姉ちゃんは貴輝先輩のこと好きなんでしょう?」
「紫……音」
紫音に心を見透かされた藤花は真顔で紫音を見つめた。
「お姉ちゃん熱い瞳で貴輝先輩を見てた。今でもそんなに好きならどうして告白しないの? お姉ちゃんの想いなら絶対届くのに……。貴輝先輩もお姉ちゃんと同じ瞳でお姉ちゃんを見てたよ」
二人が両思いなのは事実なのになぜ想いを口にすることがなかったのか。
紫音はそれが知りたかった。
「……十代の歳の差って大きいのよ」
藤花は苦笑した。
女の方が二つも年上だということを藤花は気にしていたのだ。
自分のプライドの高さが全くなかったと言えば嘘になる。しかし藤花はそれよりも貴輝の面目を気にしていた。あの完璧な貴輝の傍に自分のような年上の女がいては彼の評価を下げてしまう。
紫音は藤花の本音を聞いて、姉が本当に貴輝のことを想っていることを知り、身を引くことが間違いではないことを確信した。
「お姉ちゃん、貴輝先輩は完璧でいたいなんて思ってないよ。一人の女性を愛し抜ける人だよ」
紫音はそれだけ言うと自分の部屋へ戻って行った。
次の日紫音は貴輝に告げようと思ったが、なかなか言い出せず今日を迎えていた。
今日こそ言わなくては。延ばせばその分自分も苦しくなっていくのだから。
紫音は言い聞かせるように何度も心の中で呟いた。
紫音は貴輝の居残り練習が終わるのを待っていた。
貴輝は先に帰っててと言ったが、紫音は言い出す機会が今しかないと思い部室の前で待っていた。
「紫音、待っててくれたのか?」
ラケットを片手にタオルで汗を拭きながら貴輝が現れた。
紫音は壁にもたれていた体を起こし、貴輝と正対する。
「貴輝先輩、……話があるの」
紫音は震えそうになる声を抑えながら貴輝を真っ直ぐに見つめた。
俯いたりしたら貴輝に罪悪感を与えてしまう。
紫音は浮かびそうになる涙すら必死に堪えた。
「……紫音?」
いつもと違う彼女の様子に、貴輝は紫音の心を探るように見つめ返す。
紫音の身に何かあったのだろうかと貴輝は思った。
紫音の心の中に藤花と貴輝が再会したシーンが浮かんだ。
(私にはもう二人の邪魔はできない)
意を決して紫音は重い口を開く。
「貴輝先輩の心の中に今でも住んでいるのはお姉ちゃん、でしょう?」
紫音の言葉に貴輝は瞳を大きくした。
今の貴輝にはそれを否定できなかった。
紫音の家で藤花に再会して以来、貴輝の心は複雑に揺れていた。
紫音の穏かな心に惹かれたから彼女に告白した。
しかし藤花に再会した時、自分の心に湧き上がる熱を感じたのも本当のことだった。
まるで以前の同じ時を過ごしていた時代に戻った気がした。
貴輝は自分の心が分からなくなってしまっていた。
「先輩は私にお姉ちゃんを重ねていたのよ。……私にはそれが分かったの。だからもう先輩の傍にはいられない」
「紫音!?」
貴輝は思わずタオルを捨てて紫音の腕を掴んだ。
紫音はその貴輝の手に反対の手で触れる。
「先輩違うよ。先輩が掴む腕はお姉ちゃんのだよ。お姉ちゃん年上ってこと気にして貴輝先輩に想いを伝えられなかったんだって。……お姉ちゃんも今でも忘れられないでいるの。貴輝先輩のこと待ってるよ」
貴輝の手がそっと離れた。
貴輝は自分の心を言い当てられ返す言葉がなかった。
紫音の言う通り、自分は確かに藤花を忘れていなかったのだから。
藤花が年上ってことを気にして告白しなかったと言うなら、それは自分にも同じことが言えた。
大勢の人から慕われている藤花を、年下の自分が支えていけるだろうかと確固たる自信がなかった。だから想いを伝えられなかったのだ。
「先輩と付き合えたこと、私後悔してないから。先輩も自分を責めたりしないでね。お姉ちゃんのことよろしくね。……今までありがとう」
紫音は貴輝を残し、その場を去ろうとした。
「紫音っ!」
貴輝は後ろ姿の紫音を呼び止めた。紫音は立ち止まる。
貴輝の心は決まっていた。紫音の想いが彼に決心をさせた。
「ごめんな」
その一言に貴輝の紫音に対する思いがすべてこもっているのを紫音は受け止めていた。
紫音は振り返った。
「貴輝先輩が幸せなら、私も幸せだから」
紫音の笑顔で言った一言に貴輝は救われたのだった。
* * *
部室から離れた瞬間、紫音は堰を切ったように泣き出した。
後から後から溢れ出る涙は止まらない。
泣いているのを誰にも見られたくなくて、紫音は第二校舎の裏手に走った。
紫音は壁に隠れるようにしてうずくまった。
静けさの中に紫音のすすり泣く声だけが響いていた。
(貴輝……先輩)
思い浮かぶのは貴輝の優しい笑顔。何気ない仕草。
いつも見つめていた。
付き合えて夢のようだった。幸せだった。
自分の行動に後悔はしていない。
しかし一度味わった幸せを失うことの辛さは、想像以上に紫音に襲いかかった。
貴輝の幸せを願う心に嘘はない。
けれどこのことで紫音の姉に対するコンプレックスは増した。
何をやっても姉には叶わない。自分には自信のあることなんて全くない。
(今までも、……そしてこれからも)
紫音は自分の存在意義が分からなくなってしまった。
「紫……音ちゃん?」
開いていた窓からすすり泣く声に反応した将斗が顔を出し、紫音の泣き崩れている様に絶句した。
将斗は今日委員会で部活を欠席していた。委員会の仕事が長引いて帰るのが遅くなったのだ。
突然上から降ってきた将斗の声に、紫音は思わず将斗を見上げる。
「将……斗…先輩?」
こんな姿を見られて、紫音は逃げ出そうとした。
「紫音ちゃん!」
尋常でない紫音を将斗は窓枠を飛び越えて引き止める。
「どうしたの? ……まさか貴輝のことで女子からいじめられたのか?」
将斗は知っていた。これまでにも何度か紫音が陰口を叩かれていたのを。
相手があの貴輝なら、女子の妬みや僻みを紫音が受けるだろうことは予想できることだった。
だが紫音の反応は違った。
「……貴輝先輩と別れ……ちゃった」
「別れた!?」
意外な答えが返ってきて、将斗は信じられない瞳で紫音を見下ろした。
「どうして? 紫音ちゃん、あんなに嬉しそうだったのに。……貴輝が別れようと言ったのか?」
紫音から言い出すなんてまず考えられなかった。彼女が誰を想っているか、将斗には一目瞭然だった。
だがあの貴輝が本気でない相手に告白するはずがない。ましてこんな早く別れるなんて有り得ないと思った。
「私から……言ったの」
俯いて言った紫音の言葉を聞いて将斗はますます分からなくなった。
「どうしてそんなこと言ったの!?」
将斗は紫音の両方の二の腕を掴んだ。
紫音は急に腕を掴まれ、反射的に将斗を見上げた。
将斗の今まで見せたことのない真剣な瞳に、紫音は彼にすがりたい思いにかられた。
「分かっちゃったの。貴輝先輩とお姉ちゃんが相思相愛だって。貴輝先輩は私の中にお姉ちゃんを見てたの。……だから私もう一緒にいられなかった」
「………紫音ちゃん」
将斗は涙を流し続ける紫音の思いを知り、胸が痛かった。
紫音が貴輝のことをどんなに好きだったか、将斗も分かっているつもりだ。
別れなんて言い出さなければ貴輝の傍にいられたはず。それなのに自分の想いを押し殺してまでも、貴輝の想いを尊重したのだ。
こんな風に涙をいっぱい流した瞳で自分を見る紫音を、将斗はもう放ってはおけなかった。自分の心を隠してはおけなかった。
将斗は紫音を強く抱き締めた。
「将…斗……先輩」
紫音は一瞬何が起こったのか分からなかった。
将斗の腕の強さと彼の胸の温もりで、ようやく自分が今どうなっているのかを知った。
「紫音ちゃん、俺は君が好きだ」
将斗はずっと言わないでおこうと思っていた言葉を紫音に告げた。
貴輝と上手くいっているなら言うまいと思っていた。言って今の関係を壊したくはなかった。
しかし今紫音の深く傷ついた様を見て、自分が彼女を助けたいと思った。
「俺には藤花先輩の面影なんて関係ない。紫音ちゃん自身だけを見ていた」
耳元で告げられる将斗の熱い言葉に、紫音は涙を流していたことを忘れるほど動揺した。
将斗が自分をそんな風に見ていたとは夢にも思っていなかった。
(将斗先輩が私を……? どうして?)
「俺なら君の心を分かってやれる。……前に言ったろ? 紫音ちゃんの藤花先輩に対するものと俺の貴輝に対するものが似てるって。俺なら君にそんな思い絶対させない!」
紫音が貴輝を見つめていたように、将斗は紫音を見つめていた。
自分と境遇の似ている紫音のことが気になって仕方がなかった。皆の前では明るく振る舞っている紫音のふと時折見せる苦しみを、彼女を見つめていた将斗だけが気づいていた。
そんな紫音の健気さが、いつしか将斗の心に愛しさを芽生えさせていったのだった。
「君が貴輝のことをまだ好きなのは分かってる。君の心を少しでも和らげてあげられるならそれだけでいい。……紫音ちゃん、俺と付き合って欲しい」
将斗の言葉に紫音は揺れた。
将斗なら今のこの苦しみから救ってくれるかもしれない。
将斗には恋心はなかったが、今日までの日々で将斗への信頼は大きかった。
(頼ってしまいたい)
紫音はすがりつきたい、そんな思いを必死で断ち切る。
「……ごめんなさい」
紫音は将斗の胸から体を起こした。
「俺じゃ駄目なのか?」
紫音は首を横に振る。
「将斗先輩の気持ち、嬉しかった。頼ってしまいたかった。……でもそれじゃあ貴輝先輩と同じことを、
今度は私が将斗先輩にしてしまうことになるもの」
貴輝が自分に藤花の面影を求めたように、将斗に貴輝の姿を追い求めてしまう。
紫音にはそれが分かっていた。
今のこの自分と同じ思いを、将斗にさせるわけにはいかない。自分と似ていると言っていた彼にだけは絶対させてはいけない。
「俺はそれでもいい」
「だめだよ」
将斗の気持ちを紫音は頑なに拒む。
将斗の想いを受け入れられるのは、本当に彼を好きになった時だけ。
将斗が大切な先輩だからこそ今はできなかった。
「紫音ちゃんの気持ちはよく分かったよ。だけど頼りたくなった時はいつでも助けるから言ってこいよ。……ただ俺はもう君への想いを抑えたりしないから。俺は君を振り向かせるよ。貴輝のこと、忘れさせてみせるから……」
将斗の言葉に紫音は少し俯く。
「……忘れなくちゃいけないのかな。……いけないんだよね」
紫音は自分に言い聞かせるように呟いた。
今も心の大半を占める貴輝の存在。
大好きだった優しい笑顔、テニスをする姿。
(いつかは一つ残らず心の中から消さなくちゃいけないんだよね)
淋しそうにする紫音を将斗はそっと抱き寄せた。
将斗の包み込むような優しさに、紫音は再びそっと涙を零した。
初めての投稿です。
ご感想頂けましたら幸いです。
よろしくお願いします。