9話 『差違』 (2010年6月7日 11回目)
パスッという音とともにボールがネットを揺らした。
「お、入った」
ロングシュートを試してみること6回目――つまり、3日間を繰り返して11回目だ。僕自身の行動は不確定要素だと判断していたが、もしかするとどんなに試しても外す結果は変わらない可能もあったので、これは前向きな結果といえる。
以前の黒田との会話で、ある程度の方針は決めていたが、まだ小さな変化の実験と多少の予習レベルに留めている。しかし、小さな変化程度ではその時に変化はあるものの、人の行動にはほとんど影響はないらしく、結局同じルートに戻っているように思う。
今回は低い可能性を拾ったことで、何か大きな変化に繋がらないか注視していきたい。今は、予想外のことが起こったためか、周り全体の空気が静寂に包まれている。聞こえてくるのは、ゴールのネットから抜け出したボールがデン、デンデンと地面を弾む音が響くのみである。
「うぉー! すごいな慧! もしや密かに練習でもしていたか?」
「慧くん、すっご。え? 何? 入れる自信あったの?」
硬直から一番に抜け出したのはチームメイトの黒田と鈴原さんだった。確かに外した場合に生じる沈黙から最初に抜け出したのも2人だった。その場合は称賛ではなく爆笑という行動だったが。
「黒田じゃなく高乃宮に負けるなんて……唯一勝ててたところなのに……」
何かボソッと呟きながら桜庭さんが想像より大きく絶望していた。桜庭さんは、どんなスポーツでも万能な少女ではあるが、黒田と違って勉強もできる。中学も一緒だったが、よくテストの点数を競われていた。最近は体力テストの結果で負けていた黒田に対抗していたようだが、どうやら僕にも対抗心が残っていたらしい。
「ま、まぐれよ。次は勝つから」
「お手柔らかにね」
まぁ、実際まぐれだ。次の試合は黒田任せになるだろう。
その後の試合は、黒田の活躍で全勝で交代。更に桜庭さんも勝ち続けたが、絶妙なタイミングで授業終了の時間となり再戦することはなかった。
「なぁ、慧。今日こそ姉御にリベンジに行かないか?」
結局、低確率な事象を拾ったが、その後のルートは同じだった。反射的に2回目以降と同じく断ろうかと思ったが、暫く会わないことになりそうだし、長谷川さんとも体感的には暫く会っていないので1回目と同じく付いていくことにする。
「あぁ、良いよ。でも、勝てないとは思うけどね」
「それがだな。良いコンボを考えて徹夜で練習して来たんだ。1ラウンドくらいは取るつもりだ」
まぁ、確かに凄いコンボだけど神回避されるんだよね。そういえば、徹夜明けだったのにバスケであれだけ動いていた方が凄い気がする。尤も、1時限目に爆睡していた記憶がある。
「ねえ、それなんだけど……私も行って良い?」
「お? 別に構わないがギルガンだぞ? 前に教えた時はもうやらないって言ってただろ」
「密かに練習してた。あなたには勝てないかもしれないけど高乃宮には勝ちたい」
驚いた。これは今までに無い流れだ。恐らくバスケの結果が響いたのだろう。桜庭さんの席は前の方なのに、このタイミングで会話に混じることができたところをみると、授業が終わると同時にこちらの席にまで来たのだろう。ギルガンの話をしていなかったら別の勝負を挑まれていた気がする。
「ねー、楽しそうにしてるけど、私も混ぜてよー」
「当然だろ。今日もギルガン行くけど来るよな」
「行くよー」
3人で話をしていたら、鈴原さんが寄ってきた。これもこれまでにない流れではあるが、鈴原さんも行くのは1回目と同じだった。
「さぁ、ホームルーム始めるぞー、皆座れー」
とここで、いつも通り物部先生が教室に入ってきた。わざわざ遠くの席からやってきた鈴原さんだったが、1言会話しただけで戻る必要に迫られて少し可哀想だ。
「よし、座ったな。では簡単に終わらせるぞ。連絡事項としては明日の2時限目だが引き続き……」
鈴原さんが着席することで物部先生がホームルームを始めたが、話す言葉節に若干の違和感を感じる。鈴原さんが座るまでに生じた時間の差違がきっかけだとは思うが、物部先生の言葉は今までよりやや早口となり内容も一部が簡略化しているように思う。やはり、珍しいイベントが発生すれば、多少は随所に影響がでるものらしい。とはいえ、内容にはそれほど違いがなくホームルームは終了した。
「へー、じゃあ桜庭さんも結構ギルガンするんだね」
「最初は弟の対戦相手にね。でも、負けるのも悔しいから練習してたらいつの間にか弟よりも強くなっていって、もしや無敵かも? って思ってたんだけど……」
自転車を押しながら、隣を歩く桜庭さんと話をしていると、案外ギルガンの話が通じることに驚いた。
桜庭さんも自転車通学ではあるが、黒田達に合わせて2人とも自転車を降りて速度を合わせている。その桜庭さんの視線が、黒いシャツを来た黒田の背中に向く。
「それで、さっきの初心者のフリして対戦したらボコボコにされた話になるんだね」
「そうよ、駅前で一美とアイスを食べに行ってたら、偶然ゲームセンターに行こうとしていた黒田に会って、教えてやるって言われたから……」
そこで過去の映像を思い出したのか、桜庭さんの目線が鈴原さんの方に向いた。その鈴原さんも、黒田と同じように黒い服を着ている。当然制服ではなく私服だ。2人で色を合わせているわけではないらしいが、揃う確率が高いように思う。
「それで本当の初心者だった一美の方が私より善戦してたのが悔しかったから猛特訓したのよ。まだ黒田に勝つ自信は持てないけど、高乃宮には負けないつもりだからね」
実際、鈴原さんはゲームのセンスが良い。ゲームセンターでもあまり積極的には参加しないが、いつも黒田の後ろで見ているためか、たまに参加する場合もそれなりに動いてくる。長谷川さんを相手にするときは、サポートに徹することで僕が入るときよりも善戦する場合があるくらいだ。
「まあそれも良いけど、今日は別の人と戦ってみた方が楽しいかもしれないよ。黒田でもボロボロにされる人だから」
「へー、それならその人に勝てたら私が一番ね」
凄くやる気を出しているようだが、再び絶望の顔を浮かべる桜庭さんの未来が簡単に予想できてしまい何か物悲しく感じる。