84話 『脱出』 (2010年6月8日 0回目)
1つ思い違いをしていた。
1回目に戻りはしたが、戻る前にこの1回目の世界もコアにより回収されかけていた。つまり、ここはまだダンジョンの中だ。
その事実を指摘したのは先生でもアルでもなく、意外にも長谷川さんだった。僕が、世界が特定の範囲で閉じていたことを説明した際、その説明を鵜呑みにせず思考実験のみでまだその世界の中である結論に至っていた。
なにやら、子供と会いに帰るより仕事優先、なんて発想をするなんて認識阻害の影響だ、なんて理由で確信していた。
そのため協会支部から早々に解放され、ここまで来ている。時間としても何かに図られたように10時直前だ。
「何か変化はあるでしょうか」
『出られなかったのは時間軸がずれていたからだろうな。となれば今ならいけるだろう』
複数の時間が重なりあった世界と、現実世界との間では致命的に隔たりがあった。多対一の関係性がある中で、先生のように『一』から『多』のどこかに入ることはできても、『多』の中の一つから本来の『一』に戻るのが難しいのは判らなくもない。
今は『多』がイチに集束――寧ろゼロに還元しようとしているので確かに通れそうな気がしてくる。
「着きました。――あ、行けそうですね」
来たのは僕の部屋の前の工事現場、その中央に位置する大岩の中、この世界――繰り返しダンジョンの入口だ。目の先には人工的な灯りが漏れてきており、どこかの建物の中に通じている。
この1回目の世界に戻る直前にも来た所だが、今はコアを通して、今までと違うことが不思議と感じ取れる。
「と言うより、後戻りできなそうですが……」
振り向くとそこは大岩で封じられている。突然崩れたとか、扉が閉まったわけでもなく、初めからそうだったの様な様相を示している。
もっとも、それをしているのは僕なのだろう。繰り返し世界の全ては僕の持つコアへと吸収されている。このダンジョンの入口――もはや出口でしかないそこを通ればダンジョンは消滅すると思われる。
『ふむ、では戻ろうではないか。ここにいてもどうしようもなかろう』
「そうだね。じゃあいこうか」
そう言って世界の境目を一歩踏み出す。その境目には認識阻害による妨害も、透明な壁もなく、踏み出した足はすんなりと別世界の床へと届いた。
――――ゾワッ――――
身体が全部外に出た途端、唐突に視界が暗転し直ぐに戻った。この経験は過去に3度味わったことがある。1度目と2度目はα時代の始まりと終わり、2度目は繰り返し中に発生している。
「アップデート!? このタイミングで?」
『それはそうだろう。コアが活性化したのだ。世界が変わって当然だろう』
アルの言葉は、僕がダンジョンから出た時に世界の改変が起きたのではなく、僕がダンジョンから出たから世界の改変が起きたという意味だろう。
ただそれは物理的な移動によるものではなく、コアによるダンジョンの回収が完了したからと捉えた方が良いだろう。そう思って振り返ると、案の定入口は消失しており、ただの岩の塊となっている。
確かに、世界がバグった1度目は別として、2度目の改変では先生がコアにレベルシステムを取り込むことで世界からレベルの概念が無くなっている。それがコアによるものである以上、僕のコアでも世界の改変が行なわれるのは道理かもしれない。
ただ、僕の認識より格段に規模が大きい。
「それって、僕のコアで回収したのは繰り返しの世界だけじゃなく、もっと根本的なバグ自体も回収していたってこと?」
『うむ。その理解で良いだろう』
となると、僕が回収したのはどんなバグであったか、そして世界の改変で何が変わったのだろうかを考える必要がある。
僕が取り込んだバグは世界の繰り返しに関連するものであることは間違いない。
繰り返し世界についていえば、大枠的にはパラレルワールドの分類なのだろうが、パラレルワールド自体をバグとしてしまうのは言い過ぎな気がする。
例えば極論であるが、魔物や神が元々居ただろう異世界も一種のパラレルワールドと捉えることができる。その世界ごと取り込んだとは思えないし、逆にその世界の存在が許されている時点で、多少の差違がある程度の並行世界だけがバグであるとも考えにくい。
繰り返し世界は、コアに接触した僕や『次元スライム』、部外者の先生やアル、『暴食スライム』が関与しなければ人の言動も変わらない変化のない世界だった。
いや、そうとも限らない。例えば、物部先生はバグである天体の違和感を感じていたが、それを認識阻害で同じ方向性に修正されていたに過ぎない。つまり、大筋は変わらないが細かいところでは差違があったはずだ。
実際、その僅かな差違が『増殖』の効果や、『次元スライム』のようなバグモンスターが重なりあって見える原因でもあると僕は考えている。
「そうか。そうなると居なくなったのはバグモンスターってことか」
自然に使っていたが、正に名前の通りだ。バグモンスターにはバグがある。
先程の原因であるとして、そもそもなんで並行世界に居る同一の存在と重なるなんて現象が起きるのかという話だ。並行世界間に干渉ができること自体がバグの本質だろう。
「――――その話、私も混ぜてくれないかしら」
唐突に横方向――大岩の陰から声が掛かった。声が掛かった方に振り向いてみると、腕を組んで佇んでいる人物が居た。
その白衣を来た長髪の女性は見覚えがある。先生の奥さんでαデバッガー、雷水の魔女の異名を持つ人物。その人の名前は――。
「貴方が慧君ね」
「え? ……なんで僕の名前を」
呼び掛けようとしたところで逆に僕の名前の方が呼ばれたことに驚く。先生も爺さん経由で聞いたことがあるとは言っていたが、初対面で名前を当てるのはだいぶ無理があるだろう。
と、そこまで考えた時に初対面ではないことに気づいた。時間にすれば3日前、会話こそ成り立っていないものの、僕はこの場で彼女を目撃している。つまり、向こうからも僕が認識できたということだ。3日もあればそれが誰か調査することもできるだろう。
「あ、いえ、もしかして先生から聞いていましたか?」
驚く必要があったのは名前を知っていたことではなく、ダンジョンの入口の横で待っていたことだ。そうだとするならば、初めから僕がこの時間に出てくることを知っていたことになる。それを知る術は1つしかないだろう。
「聞いたというより指示された、というのが正しいわね。『以下の文字列をそのまま書いて、3日間置いておいてくれ』――最初のメッセージはそれだけよ」
あの時は、先生は歳を重ね車椅子の状態だった。彼女にとっては疑問がたくさんあっただろう。確かに何か別の言葉があっても良かったような気がしないでもない。
とはいえ、身体が麻痺毒で動きづらい中、必要なことを単純化して伝えたのだろう。僕には重要な結果に繋がっているので、先生を非難することもはできない。それとなくフォローを入れるべきだろう。
「あのデータは凄く助かりました。その節はありがとうございます」
「わざわざ回りくどい方法を取る必要があったのは後で聞くとして、『オロチ』だったかな。どんな重要な情報かと思ったらゲームのデータだなんてね。……大方、美冬との交渉にでも使ったのでしょう」
「よく、判りましたね」
どうやら、長谷川さんがダンジョンの中に居たことは把握しているようだ。
また、暗号がゲームのデータだと気づいていたのも流石だ。僕においてはギルガンのユーザーであったにも関わらず、何周も気づいていなかった。
「いいえ、私は特に何もしていないのよ。たまたま丁度そういうデータに詳しい人がいてね。その結果がまさかその人が作ったゲームのデータとは思わなかったし、美冬が巻き込まれているのもその人から聞いた話よ」
ギルガンは爺さんの出資が入った、この街に本社がある新規のゲーム会社の制作だった筈だ。
そのため、開発者が彼女と知り合いであることがあり得ないとは言い切れないが、長谷川さんとも近しい関係の人物だったとすると偶然が重なり過ぎている気もする。
「あぁ、なるほど。その人が『長谷川さん』ですか」
「知っていたのね。その通りよ」
この『長谷川さん』とは、長谷川さんではなくαデバッガーの長谷川さん――つまり、長谷川さんの旦那さんだ。
先生のように大きく活躍したわけではないのでそこまで有名ではないが、データ操作関連の『修正パッチ』を持っていた筈だ。
爺さんの出資の上でαデバッガーの能力を活用すれば、急成長するゲーム会社を立ち上げることも可能だろう。
そうだとすれば、長谷川さんがギルガンの仕様を異様に熟知していたのも頷ける話だ。
「そういえばアル。長谷川さんのように、ダンジョンの中に居た人達――巻き込まれた人達って、こっちの世界ではどういう状態だったんだ?」
僕の中では1回目の世界が本当の世界という先入観があった。ただし、1回目もダンジョン内に作られた世界であり、今居る世界が本当の世界であることは既に知っている。
となれば、あれだけの人数が一気に消失していた筈だ。だが、アルからそんな話を聞いた記憶はないような気がする。
『さてな? 暴食スライムの奴を追いかけてここまでやってきたからな。……ふむ。そう言われると、この研究所以外では人に会っておらぬな』
「恐らく取り込まれたのはその直前ね。貴方達が侵入した後に調べたら忽然と住民が消えていたわ。もしかすると、その異変があったから暴食スライムが姿を見せたのではないかしら」
あの人とは先生のことだろう。また、『暴食スライム』についても最初から敵意はなかったし、積極的に『次元スライム』と戦っていた。初めから危険を感知し、先生に脅威を知らせていたなんて話だったとしても不思議ではない気がする。
「逆に、さっきのアップデートで自然と全員戻っていると思うわ。……あの人を除いてね。最後のメッセージで『すまない。子供達を頼んだ』なんて、酷い話よね」
「あ、それは……」
どうやら1つ認識違いがあるようだ。
戻ってからまだ一言も発していない人物について早々に伝える必要がある。




