52話 『意識』 (2010年6月5日 613回目)
朦朧としていた意識がはっきりと覚醒する。
場所は当然先生の居た病室だ。ただ、そこには先程まで居た先生は居ない。そして置かれていた荷物や、寝具の類いさえも無くなっている。有るのは、病院には似つかわしくない柔らかそうなマットレスのベッドと、高級そうな木材で組まれた棚のみだ。
こうして見ると、どうやら黒田が居た病室よりもこちらの病室の方がより上等であるようだ。自然と開放されている入口に目を向けると、ドアから黒田が入院していた病室まで確認できた。
そう言えば、立ち位置こそ逆だが全く同じ状況があった。その際は、この病室で慌ただしく看護師さんが受け入れ準備をしていた記憶がある。
「そうか、このタイミングで先生が運ばれて来るのか……流石に鉢合わせは不味いよな」
あの時は『増殖』の効果で僕の部屋まで繰り返しで戻らなくなった時だった。初めての経験で身の回りの確認等をしていたが、時間にしても10分やそこらだろう。
つまりもうじきここに誰かが来るはずなので、黒田が居た病室の方に待避することにする。そちらに居れば経験上気付かれることはないはずだ。
「なんで来ないんだろう……」
黒田が居た病室から様子を見ること約30分、起きるはずの出来事がまだ起きていなかった。先生が運ばれてくる出来事以前に、看護師――実際は協会の職員による緊急入院用の準備すら行われていない。
今までは僕の行動により繰り返し内容が変わることはあったが、こんな最初から異なるのは初めての経験だ。
『なるほどのう。あながちその繰り返しとやらから外れているのだろうて』
「――――!」
周りに誰も居ないはずなのに、近距離から発生した返答に驚愕する。念のために後ろを振り向くが、当然そちらには誰も居ない。
それはそうだ。声は前方――むしろ、胸元から聴こえてきた。そこに有るのは、先生から渡されたアミュレットしかない。
「先生……じゃないですね。どなたですか?」
一番可能性が高いのが通話機能のある道具であるが、アミュレットに機械が埋め込まれているようには見えない。大方、黒田の剣のようなダンジョン産の特殊アイテムなのだろう。
通信機能であるならばその相手は先生であるのが自然だが、その声質は異なる。同じ男性のものであるが、先生に比べて低くて威厳が籠った響きがある。そして言葉遣いがやや古めかしいので、老人と会話しているような印象だ。少なくとも先生ではない。
『我か? 我はあやつに封印された憐れな魔物よ。名前なぞ無いが、あやつはアルと呼んでおるな』
「封印……」
封印という表現からすると、遠くから声だけ飛ばしているというよりは、本体がこのアミュレットに閉じ込められているイメージだろうか。
質量保存法則やら発声器官等が完全に無視されているが、この辺りは今更だ。会話ができる魔物という存在も気になりはするが、それよりも話の内容の方が今は気になる。
「あやつ、って言うのは先生ですよね? 先生が今何処に居るか判りますか?」
『さてのう……』
結構期待して質問したつもりだったが、呆気なく否定されてきた。だが、どうにも話が続きそうであるため、次の言葉を待ち続ける。
『そもそも、我らが目覚めたのがそこな病室だった。生じていたダンジョンに干渉した直後にここにおって不思議なものと思っていたものよ。あやつも重症であったしの』
「ダンジョンに干渉……ってことは、まさか外から来たってことですか?」
それは流石に予想していなかった。外から見た場合、この世界はどう見えていたのだろう。そして、その立ち位置であるならここから抜け出す方法も知っているかもしれない。
『そうさな。暴食スライムを追いかけてみればこの有り様よ。大方、意識だけが繰り返しとやらに捕らわれ、肉体はそのままなのだろうて』
確かに今の話には納得できる部分がある。外部の存在――太陽を除いた天体は連続した時間を刻んでいた。それでは繰り返し範囲の外部の人間が、繰り返し範囲の内部に入り込んだ場合果たしてどうなるのか。
こういう疑問が生じる現象をこの世界に突き付けた場合、大体どう処理されるのかは経験的に誰もが知っている。
つまり、バグる。どちらのルールも適用されず――というよりもどちらのルールも適用されるが故に、本来原理的に分けられないはずの意識と肉体でさえも呆気なく分離される。そんな物理的な異常も罷り通ってしまう。
「あぁ、それなら先生が重症になった理由なら知っています。……その暴食スライムの麻痺毒です。僕を庇って直撃していました」
1回目に僕を庇って先生に直撃していた麻痺毒の攻撃。外から来た存在は肉体が連続しているのであれば、約5年以上も意識不明にするだけの効果があることになる。
魔物が持つ毒は、単純な毒素というよりスキル的な要素が大きい。つまり、致死性ならいざ知らず麻痺という毒としては効果の低い効果をそれだけの期間持続させるのは異常だ。
だがそれもアミュレットに封印された魔物――アルが口にした『暴食スライム』という名称で納得できてしまう。α時代のラスボスである『暴食スライム』であればそれくらいの能力があってもおかしくない。
バグる前のスライム状態は別として、バグった後は『暴食スライム』という名もそれ相応だ。僕はバグる前のスライムの姿や様子から別の個体の可能性も考えていたが、どうやら黒田の予測の方がも当たっていたらしい。
『ふむ。あやつならやりそうなものよ。しかし、そんな強力な能力どこで喰ったのだか……今捕食するのは苦しいだろうに』
アルが気になることを呟いているが、その言葉から元々『暴食スライム』は捕食したぶんだけバグっていくのだろう。そしてそのスライムも外から来たということは肉体――つまり、捕食して強化されたぶんは繰り返しても引き継ぐことになるものと思われる。僕が繰り返しで何もしていなかった時期を含めて、着々とバグによる強化が進んでいたのだろう。
しかし、そう考えると繰り返す度にスライムのバグが直っているのは不思議ではある。強化面が肉体に依存し、バグ面が意識側による依存するものということだろうか。
確かにスライムは毎回飽きずに倉庫で捕食を続けていた。スライムは僕と同じように意識を継続させていたと思っていたが、どうやら意識を繰り返していないと考える方が自然な気がしてくる。
僅かに違和感が残っている気もするが、もしかすると他にも『暴食スライム』自体の特殊な能力でもあるのかもしれない。
「そのスライムについて聞きたいのですが」
『あぁ、奴の話はなかなか面倒でな。詳しい話は後にしてくれ。今日は話し過ぎて疲れた。我は暫し寝る』
まだ大して話しているとは思えない上に、封印された状態で睡眠が必要なのは疑問だが、その言葉以降うんともすんとも反応しなくなった。
「とりあえず、一旦部屋に帰るかな」
ずっと病室を無断で占有していたが、流石にこの状況はまずいだろう。スマホでも携帯電話でもないただのアクセサリーに向けて会話をするのは、端から見れば完全に不審者だ。そもそも病室で通話する行為自体もあまり心象がよろしくない。
アルも後にしろと言っていたし、聞きたいことを整理する時間も必要だ。もっと落ち着いた場所で改めて話す機会を持った方が良いだろう。




