49話 『演習』 (2010年6月7日 612回目)
「なぁ、慧。今日こそ姉御にリベンジに……顔色悪いぞ、大丈夫か?」
「大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだよ」
正直大丈夫ではない。今後どう対処するかを悩み続けている。そのせいか、知らぬ間に放課後となっていた。黒田に心配されるのも当然だろう。
特に昨日は危うかった。1歩間違えれば未帰還者になっていただろう。助かったのはスライムがとっさに妨害してくれたからだが、そもそも悩んでいるのはそのスライムの危険性についてだ。
ことの発端はスライムの異変によるものだ。最初の異変はスライムが触手を2本増やしたことだが、その異変は周回を重ねるごとに大きくなっていった。2本が3本、4本と増えていき、最初は出し入れしていた触手を常時出したままに変わっていった。
初めの頃はそれでも見た目が変わるだけなので全く問題にならなかったが、段々と行動に異変が混ざり始めた。
まずは、スライムの食欲が減退していったことだ。あれだけ常時何かを食べ続けていたスライムが、時折蹲るようにじっと静止するようになった。今ではその時間が大部分を占め、柚葉さんのお菓子くらいにしか反応しない状態となっている。
そして、問題は次の異変だ。じっと静止している状態が長く続くようになり、それが限界を超えると、増えた触手が暴走し始める。暴走した触手は近くの棚や木箱を攻撃するようになり、やがて止まる。その繰り返しだ。
流石に何周にも渡って食事を与えていたため、スライムには少し愛着が出てしまっていた。昨日は心配して近づいたタイミングで暴走が始まった。
暴走の始まりはスライムの表面が振動するように震えてから始まる。昨日はその前兆の後、薄く緑がかった触手が複数本まとまって杭の様な状態になり、いきなり僕に向けて射出されてきた。
警戒していればギリギリ躱すことができるはずのその攻撃は、スライムに近づこうと足を踏み出した絶妙な瞬間に起こっていた。目に映るその光景を頭で処理することができず、ただ衝撃が繰るまでの時間を無駄に浪費していたところを、横から杭を叩き潰して僕を救ったのが青い触手だった。
つまるところ、スライムの中で理性と何かが戦っているのだろう。そしていずれそれが破綻するのも見えている。
「バグってきた……か」
バグトレントさえ討伐していれば、スライムはバグらないと思っていた。だが、消息不明になってからどんな行動をしているかは知らない。少しずつ魔物を捕食し、少しずつバグっていったのかもしれない。
「何とかしないとな……」
昨日の出来事が転機だ。家の倉庫という場所で完全にバグってしまえば、梓や柚葉さんにまで危険が及んでしまう可能性もある。
とても心苦しいが、改めてスライムを討伐することについて考え直さなければならない。
「さぁ、ホームルーム始めるぞー、皆座れー」
物部先生が教室に入ってきた。いつもであれば、黒田とそれなりに会話する時間があったはずだが、物思いに耽っているだけで時間が過ぎていたようだ。
「よし、座ったな。では簡単に終わらせるぞ。連絡事項としては明日の2時限目は従来の予定どおりに……」
今までは周回を重ねることで対策を練ることができたが、今後は周回を重ねると逆に悪化していくことが予想できる。周回を無駄に出来ないので、流石に黒田にも改めて協力を求める必要が出てくるだろう。
ホームルームが終わったら黒田に――――あれ?
今、何か違和感を感じた。その違和感は物部先生が話していた連絡事項だ。何かいつもと違うことを言っていた気がする。
「……以上だ。帰っていいぞー」
注意して聴こうとしたが、あっけなくホームルームが終わってしまった。周りの皆が席を立って移動していく。そのまま帰る人も、部活に行く人もいるが、僕は前の席に話し掛ける。
「なぁ、黒田、明日の2限ってなんだっけ?」
「あ? あぁ、デバッグの模擬演習だろ。面倒だよな、今日みたく自習にならんものかね」
古い記憶――先週の記憶を呼び起こすと、確かに今週から演習が予定されていた。
演習とは1ヶ月間に渡りデバッグについての実技や講習を行い、最後に試験で合格する必要がある必修科目だ。実技は体育扱い、講習はその内容に従って物理、化学、生活といった項目に割り振られている。
このご時世では、いつ何時魔物に遭遇するか、はたまたいつ何時『修正パッチ』を取得するか判らない。いざというときに対処出来るように授業に組み込むのは必須となっている。
一般人にとっては割りと重要な期間であるが、黒田のように既にデバッガーになっている人物にとっては退屈な授業となるだろう。
「なんで明日から再開なんだ?」
「いやいや、どちらかと言えば今日が自習になった方が異常なんだろ」
「いや、まぁそうなんだけどさ……」
僕にとってみれば今日の実技が自習になるのは規定事項だ。学校に来ないこともあったが、1回目を含めて例外はない。
気にしているのは明日の演習が有るという事実だ。6月8日の演習は1回目でも無かったはずである。
繰り返していると僕の行動により有ったイベントが無くなることは珠に起きるが、無かったイベントが発生することはほとんどない。まして、あまり僕に無関係なイベントなら尚更である。
「なぁ、一美。今日の演習がキャンセルになった協会の都合って何か知ってるか?」
「えー、知らないよー。……あ、でも最近なんか上の方がバタバタしてたかもー」
「……ってことは何か隠してるってことか?」
「……んー、私達にまで隠す内容となると……」
僕たちの席まで来た鈴原さんと、黒田が会話を始める。途中から小声になったのはデバッガー目線での会話だからだろう。
聴力が向上している僕には聴こえてしまうが、黒田も鈴原さんも理由は知らないらしい。
しかし協会の都合か。確かに演習は協会が主導で行うので、キャンセルが発生する、もしくはキャンセルがキャンセルになるのは協会関係で何か異変が生じているとみていいだろう。




