48話 『触手』 (2010年6月6日 582回目)
両手で持っていた箱を左腕で抱えるように持ち替え、空いた右手で金属製の扉のノブを握る。それを時計方向に回しながら、体重を掛けるように扉を押し開ける。
この倉庫に、この時間に入るのはもはや習慣化している。違うのは持っている荷物の中身だけだ。
その中身については、餌と表現するには少し高級品過ぎるし、流石にペットのように扱うのも畏れ多い。善にも悪にもなるその相手に対して使うなら、お供え物という表現が比較的近いだろうか。
倉庫の奥の方へ赴くと、やがてその御神体が見えてきた。うっすらと青く、2メートル程の半球形の物体であり、質感も含めれば水大福という表現になるだろうか。
そいつが木箱の横に積まれている袋――恐らく米が30キロ程入っている袋に触手を突っ込みながら中身を漁っている。
「なぁ、それって泥棒だよ」
『きゅ!?』
これは毎回注意していることだが、直る気配は全くない。言葉が通じていないのか、直すつもりがないのかどちらかだろう。
注意されたことを考えているのか、僕がいきなり現れたことに驚いているのか、触手を米の袋に入れたまま動きが止まっている。
「ほら、そんな素材のままよりもっと旨いものがあるぞ」
そう言って両手で持っていた箱の1つを近くの木箱の上に降ろす。その箱はケーキ等を積めるための形状の箱である。
よくそんな物が家にあったなとも思ったが、来客が提供したおやつに感動してお土産として持ち帰りたいと言う場合が時たまあるらしい。確かに、柚葉さんの作るものならそんな感想も出るだろうと納得出来てしまった。
箱を展開するように開けると、硬直していたスライムの視線が箱に向いた。
今日の中身はアップルパイだ。より正確に言うならば、アールグレイ風味のカスタードアップルパイとなる。その見た目や味は既に専門店すら超えているような出来映えだったが、柚葉さんが言うには原価を無視して良い素材を使わせて貰っているからだと言っていた。
事実も謙遜もどちらも含まれているとは思うが、何はともあれその味は素晴らしい。この美食スライムも気に入ること間違いなしだ。
『きゅおおお!』
触手で様子見とばかりにつついていたが、その素晴らしさを理解したのか一気に本体ごと飛び付いていた。
そのアップルパイを捕食する様子を見ていると幸せそうな気配が伝わってくる。こいつも僕と同じように世界を繰り返しているはずだが、閉塞感に苦しんだりしないのだろうか。
言葉が通じている認識はないが、特に期待せずスライムへ問い掛けてみた。
「なぁ、お前はこのダンジョンから出たいとは思わないのか?」
『きゅ? きゅきゅきゅい? きゅい』
スライムがアップルパイを食べるのを止めて一瞬こちらを見て何かを応えた。が、直ぐに僕への興味を失なったのか再びアップルパイを食べ始めた。
「なるほど……全くわからないな」
もしかすると、スライム語を解読できるようにならないと繰り返しから抜け出すヒントを得ることが出来ないのかもしれない。そんな非現実的なことを考えながらスライムの様子を見ていた。
『きゅきゅい?』
「まだあるよ。これで最後だから少しずつ食べなよ」
結局スライム語は解らないが、時々何を言いたいかが判る場合がある。今のは「おかわり」と言ったところだ。
元々アップルパイは3箱持ってきており、その最後の1箱をスライムの前に置き、箱を開いてやる。
『きゅきゅ……』
言葉が通じたのか、今回は本体ごとアップルパイへ飛びついていかない。1箱目は1口、2箱目ですら2口程で完食していた。
流石に柚葉さんのお菓子をそんな食べ方では勿体無いと思い忠告してみたところだ。
『きゅっ!』
「は? なんだそれ。そんなこと出来たんだ……」
悩んだと思われる末に到達したと思われるスライムの行動が初見だった。
やや緑がかった細い触手を2本伸ばし、1本をナイフ状にしてアップルパイを切り分け、そしてもう1本を二又のフォーク状にして切り分けたアップルパイを口と思われる所に運んでいた。
『きゅい? きゅい! きゅい!』
アップルパイの1片を食べながら、スライムが見せびらかすかのように触手の形状を丸くしたり鋭くしたり器用に変形させてくる。
だが、気になったのはそこではない。触手を変形できるのは、斧状に変形させていたこともあって既に知っている。
驚いたのは細い2本の触手が増えたことだ。いつだかスライム状態とバグスライム状態における触手の数の差が気になっていたが、まさか本当に増減可能とは思っていなかった。
「バグった……訳では無さそうだけど……」
その触手の質感はスライムのそれだ。別の魔物の物でも、重なって見えるような異常は確認できない。
冷静に考えてみれば、確かに形状変化が出来るのであれば、本数を増やすのも可能な気がしてくる。
しかし、その姿がバグスライムに近づいたと考えると、根拠のない不安を覚えて仕方がない。
『きゅっ、きゅっ、きゅー』
そんな僕の不安など露知らず、柚葉さんのアップルパイを上品に食べ進めるスライムがそこにいた。




