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車止めの向こう側の線路

 ぼうぼうと寝ぐせのような草が生えた廃線の上を男の子が歩いている。線路はすっかり赤茶色にさびていてどれが土か鉄かわからなくなっていた。たよりは紫雲の間から灯される満月の月光のみ、それでも男の子は廃線の上を歩き続ける。

 分岐線の所に到達すると、右側には手入れがされてなくうっそうと茂り、伸びた枝は皺だらけの老人のように幹がむき出しで、不気味な空気を醸し出していた。その妖しげな雰囲気の最奥に草陰に覆い隠された車止めが見える。


 満月の夜中、廃線の待避線にある車止めは別の世界への入り口で、もしその晩の間に戻らないと二度と戻れなくなるという元駅員であったおじいさんから男の子は教えられた。

 そのことを思い出すと、手がわなわなと震えあがる。最初聞いたときは迷信だと男の子は何も思わなかったが、おどろおどろしい姿を見せている廃線を目のあたりにした時、その話にどこか真実味があるかのように男の子は思えていた。けれども夜の闇よりも漆黒の目だけは真っすぐ待避線の奥を離さず注視していた。


 この先におじいちゃんがいってしまったんだ。


 びゅぉう。びゅぉう。空から一吹きの風が背中から冷たくのしかかり、待避線へと廃線の上に繁茂している草葉を揺らしながら入っていった。待避線に入るのをためらっていた男の子を、風がまるでより先に入っていくぞと誘っているかのようであった。男の子はぎゅっとこぶしを握り締めて赤さびと草木で包まれた待避線の方に足を踏み込んでいく。


 待避線の長さはそれほどで長くないのだが、奥に進めば進むほど、枝垂れた木々が視界を遮り陰うつとした空間を形成して、車止めが遠くにあるように見える。

 男の子が自分の膝よりも高く伸びた草をうっとうしくかき分けて進んでいくと、びゅぉうとまた風が男の子の背中を後押しする。


「引き返してちゃダメなんだ。この先にきっとおじいちゃんがいるはずなんだ」


 そう言い聞かせて木々の間からわずかにこぼれる月明かりをたよりに、車止めへと足を運んでいく。


 ツタが絡んで朽ち果てた車止めに到達すると、車止めの向こう側の暗闇からぼんやりと薄明りが入ってきた。それは薄曇のかかった金色の月のものでなく、糸状の銀の光であった。銀の糸は車止めの向こう側から流れ出ていた。男の子が車止めを乗り越えると、線路は続いていた。

 もちろん男の子は車止めの向こう側に線路があるはずがないということは知っていた。不気味である。それでも男の子は進んでいった。


「せ~んろはつづく~よ。ど~こまでも~」


 声が所々かすれつつも、ガサガサ草葉が揺れる淋し気な音しか聞こえないよりはと勇気を出して、歌を歌い、車止めの向こう側の線路を歩いて行った。

 ずんずん、前へ前へと足を運んでいく。奥の銀の明かりが糸から棒にへと太くなり、そのきらめきがいっそう濃くなっていた。見ると、銀の明かりは雑木林から出でていた。

 しばらく歩くうちに、線路がいつのまにか点検がされたかのように鉄の光沢が輝き、敷かれた石も銀に輝いていた、もはや赤さびの廃線ではない。


「た~のしいたびのゆめ、つ~ないでる~」


 ついに歌も終わるの方にまで歌い終わってしまい、次は何を歌って誤魔化すかと思案していると、膝小僧に何かが当たってしまいもんどりを打ってしまった。

 痛みで声を上げるのを我慢して、線路の周りをピョンピョンとバッタのように跳び跳ね回る。痛みが引いていき、憎々しく足をぶつけた犯人の姿を見てみると、一台のシーソーの手押し機が付いたトロッコが線路の真ん中に放置されていた。


「いたた。なんでこんなところにトロッコが。でもラッキーだ。これに乗って奥へ進もう」


 そう言ってトロッコに飛び乗ると、動力部であるバーを上下に動かし始める。バーは意外に重くほんのわずかしか動かない、男の子はバーによじ登ると体の重みでようやくバーが動くと、さっきまでの鈍さが嘘のようにトロッコがゆっくりときしむ音を立てながら線路の上を走り始めた。


 ギーギーコットン、ギーギーコットン、トロッコの車輪が線路のつなぎ目とつなぎ目の間にさしかかると静かな雑木林の中に楽し気な音を響き渡らせた。男の子がバーを上下に動かしては、額や手にぽつぽつと汗をかいていく。むき出しのトロッコから流れてくる風が男の子の汗を吹き飛ばして、火照った体が冷えて心地よかった。


 ギーギーコットン、ギーギーコットン、まだまだ線路は続く。男の子の腕がバーと一体化したようにカチコチになるほど、雑木林の線路は長く、漕ぎすぎてへとへとになった。周りの景色はトロッコに乗ってから何も変わっておらずただひたすら直線に進んでいた。男の子は、バーから手を離してトロッコを慣性で走らせて、ちょっと台車に腰を下ろして休憩する。


「さみしい景色だな。木と線路と砂利ばっかり。このまま走り続けて、帰れなくなったらお母さんになんて言おう」


 膝を抱えながら男の子はじぃっとまだ続く線路の向こう側をさみし気な目で見続けていた。あまりにもさみしいので 男の子は上を向いてぽっかり浮かんだ満月を見上げた。

 男の子は左の手で右手を包み込むように丸めた。さみしいときは、手を丸めて胸の所へ持っていくそうすればさみしさはないとおじいさんから教えられた。




 両親が遅くまで仕事から帰らないときは、いつもおじいさんが男の子の右手をしわしわの乾燥した手で包んでくれた。おじいさんの手の皮はカサカサとささくれのように刺さり、冷たい。男の子の丸くて温かい手とはまるで反対だった。

 だが、次第にその冷たい手から男の子の芯が何か熱いもので満たされていた。さみしさもいつの間にか消えていた。

 そしておじいさんが男の子を抱き上げて、天窓を指さした。


「ほら月がきれいだろう。あの月のようにいつでもおじいちゃんはいるからね」


 男の子は目頭をぎゅっと押さえた。もう月を見たくなかった。



 

 だいぶ木の数が少なくなる。分岐線を一つまたぐと、遠くで、らんらんと月明かりとは異なる赤い灯りが見えてきた。ちょうどトロッコもタイミングよく速度が落ちてきてその灯りの近くに到着しようとしている。


「えっほ、えっほ。ほら届かぬか、ほれ届かぬか」

「まーだ届かぬか」

「届かぬぅよ」


 赤、黄、緑の信号機が喋っていて男の子はひっくり返りそうになった。だがトロッコがもっと近くに寄っていくと、それは小さな者たちが肩車して、信号の色は被っているヘルメットの色であり男の子は拍子抜けした。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。ついにトロッコは小人たちの傍で停車した。トロッコの音に聞きつけて、一番下の緑のヘルメットをかぶっている小人が線路の方を振り向いた。


「おっや、おっや。これはいいところにトロッコが」

「えーい、何を動いている!?」

「まだ終わらぬぅかよ」


 一番上の赤メットを被った小人が突然ぐるりと体を線路の方に向かされて、文句を言う。真ん中の黄色のメットを被った小人が、仕事が終わらないことに不満を愚痴る。


「おーや、こりゃびっくりだ。トロッコと、俺たちよりもでかいやつがいっぺんに来たぞ」

「なんだ。おまえさんはぁ? ……ははぁ、さては応援だなぁ。そうなんだなぁ」


 黄色のメットの小人は語尾が伸びて、男の子はその小人に少しまぬけな印象を持った。

 ちいさな者たちが一斉に肩車を止めて、トロッコを取り囲む。男の子はぎょぎょっとたじろいで、後ずさりする。緑のメットの小人がトロッコによじ登って、赤と黄色と緑の丸い物を男の子の手の中にぽとりと落とした。


「こっれ、こっれ。これをこの木にくっつけるんだ。手伝ってくれや」

「ぼく、そんな暇はないよ。これからおじいちゃんに会いに行くんだ」


 男の子はおかしなことに巻き込まれると感じ取り、バーに手をかけようとしたが、トロッコの行く手には赤のメットの小人が赤信号のように遮られた。


「この先の駅にいーくんか? まだ列車はこーないはずだ。俺たちの作業が終わってからじゃないとこーないよ」

「そのための応援だろうぅ。俺たちが遅いからしびれを切らせて、高い奴を呼んだんだろうぅ。さぁ降りた降りた」


 後方の黄色のメットの小人にも言われて、しぶしぶ男の子はトロッコから降りたつ。

 歯のように白い線路の敷石を越えて、その信号の所へと歩く。緑の小人が「ほーれ、しっかりと見ろ。しっかり覚えろ。一番上が停まれの赤、真ん中が注意の黄色だ」と人形のような小さな指で、三つに仕切られた縦長の黒の金庫を指し示した。金庫は小人たち三人で肩車しても一番下に届きそうにないほどの高さにあった。

 もちろん、信号の色や意味などとっくに知っているので少しむかっ腹が立った。その金庫の中に緑の者に持たされた玉を入れようとする。よくよく見ると、男の子の手の中にあったのはソフトボール大のリンゴであった。他の黄色も緑もオレンジとメロンであった。嗅いでみると、どれも熟れていて、果物の甘美な芳香を放っている。


「なんだただのリンゴじゃないか」

「リンゴとは何だい?これは替えのランプゥだよ。」


 小さな者たちが言うランプはリンゴの赤、オレンジの黄色。ちょうど信号機のランプの色と同じであった。男の子が青は? と聞くと「馬鹿だね君は。学校に行ってたのかい。赤黄緑だよ信号は。常識だーよ」と赤の小人がちょびひげを偉そうに弄って、さも学がないのだなと見下した。


 ますますムカッと来て思わず手の中の果物を投げ出そうとしたが、おじいさんから食べ物は粗末にしてはいけないということを思い出して、肩の所まで持っていったリンゴを金庫の一番上の中に入れた。真ん中にはオレンジ、下にはメロンを置いていく。すると、金庫の扉がどこからともなく現れて果物を冷蔵庫の中に入れるように閉じ込める。

 金庫がパッと宝玉のように光沢を持って輝きだした。上はルビーの宝石、真ん中はトパーズの、下はエメラルド、中に入っているのは間違いなく果物のはずなのにどう見ても大変贅沢に灯される明かりにしか見えない。


「どーだ。どーだ。これは立派なランプだろ」

「そうだね。とてもきれいで宝石のようだ」


 そして小人たちにつれられて線路の反対側の沿線を歩いていく。

 地面を見ると、木のすぐそばに丸い木の実が落ちていて、どれもがりんご飴をかじったようにヒビが入っている。ちょっと踏んづけて見ると、パリンとガラスのように音が鳴り、砕けて中身をこぼしている。


「ほーれ。ここもだよ。線路脇の電灯ランプが落ちて暗くなってやがる新しく付け替えてやらないと。こっちにはこのランプをつけないとな。どうだ頗梨はりが美しいだろう」


 黄色の小人が下げたカバンの中から、まるでガラス玉のような丸いものが出てきた。ミラーボールよりも品があり、少し傾けると中を通った月明かりが神々しく輝きを増した。


「ランプって落ちるものなのかい?」

「どんなものだって寿命がある。お前さんだって鉄棒でぶら下がっているとき、元気があるときは持てるぅだろうが年取ったら持てねぇ。ランプゥもおんなじだ」

「病気になったら?」

「そん時、そん時、しっかり看病するさ。でもそれでもだめならしかたない。ランプも運命だと受け入れるだけさ」


 病気になったら看病する。この小人たちでさえ、それをしている。ぼくよりも小さいのに、背の高い木を看病して、世話をしている。

 ぼくはどうして、そばにいて看病をしなかったのだろうか。 




 おじいちゃんはゴホゴホと咳をしていた。おじいちゃんも「だいじょうぶだよ」と言葉をかけてくれた。きっと風邪だろうと男の子は思っていた。自分も何度も風邪をひいていたが、明日にはすっかり良くなった。きっとおじいちゃんもすぐに良くなる。そう思って近所の子たちと遊びに行った。

 その日の夕方、友達に大変なことが起きたので慌てて家に帰ると誰も返事をしなかった。珍しく両親が早く帰ってきていたのに、誰も「おかえり」という言葉を返さないことに不思議だった。

 その次の時、「おかえり」なんて言えるはずはなかったことを男の子はわかってしまった。

 年を取る。誰もが通る道。

 植物も、動物も、人間も、僕も、おじいちゃんも。永遠はない。さっき踏みつぶしたランプもそうだ。あれは年を取って力がなくなり、死んだ骸だ。

 永遠に続くものはないのだと、どうしてぼくは早く気付かなかったのだろう。


「どうした。なんで泣いている?」

「なんでもない、どうやってつけるの?」

「接ぎ木をするんだ」

「接ぎ木だって?」

「そうだー、木を別の木をつけたら実をつけるんだ。これも同じだー新しいランプを枝につけるんだ」

「やっぱり果物じゃないか」

「これはランプゥだ。ランプゥが果物に似ただけだ。ただ不思議なことにな、ランプゥは食えるんだ。果物みたいにな」


 やっぱり果物だと言い返すのも馬鹿らしくなり、男の子は小人たちがランプをつける手本を見ていた。

 ランプについているりんごのへたのような部分には螺旋が走っていて、それをグルグル電球を取り付けるように回した。クチッ、へたが枝と結ばれるとランプがマグネシウムが燃え盛るように眩い光を放ち、ガラスの皮が乱反射させて線路を灯している。


「どーだ、きれいなもんだろう。これで列車も安全に走れるもんだーよ」

「ほっれ、ほっれ、あんたも手伝いなさいなよ。早く列車を走らせたいんだろ」


 男の子は言われるがままランプを枝に接ぎ木した。小人たちが指示した場所にランプを取り付けて、暗然たる線路に光を散らせていく。二人の小人が替えのランプを乗せたトロッコを押しながら奥へ奥へと進んでいきランプを替えていく。

 だいぶ進んできたと思って男の子が振り返ると、あたりが一変していた。さみしく暗い木々ばかりの線路沿いのはずが、一本の大きな川が満月を浮かべさせて、川の中で星をちりばめている。新しくランプが取り付けられたかのように木々が喜んでいるように見えるほど木の葉一つ一つが、ランプが風に揺れて爛々と線路や木々に微細の光を浴びせる。

 空も地も川も光が満ちていた。


「ここはこんなにもきれいな場所だったんだ」

「そーだ。ランプがないとみんな見れない。みんなきれいな景色を見てあっちの世界へゆくんだからな。ほーれもうすぐ駅だ。列車が来るぞ」


 男の子と小人たちは一緒にトロッコに飛び乗り、また奥へと進んでいった。

 黄色の小人がバーを下ろすと、緑の小人が浮いて。緑の小人がバーを下ろすと、黄色の小人が浮いてを交互に繰り返して駅へと向かっている。男の子は小人たちを手伝いもせず、話もせずトロッコの縁に腰を下ろしていた。見かねた赤の小人が声をかけた。


「あんた、どうしておじいちゃんに会いにいくんだ?」

「ぼく謝らないといけないんだ。おじいちゃんさびしいことをさせてしまったから」

「そうか、そうか、えらいな」

「ぜんぜんえらくないよ。もっと早く、ううん。遊びになんて行かなければよかったんだ。そうすればおじいちゃんはきっとさびしくなかったはずなのに」


 男の子はそういうだけで赤の小人に顔を合わさなかった。


「ほれ、ほれ、ランプ食うか。働いて喉乾いただろ」

「いらない。僕には必要ないから」




 駅はさみしいたたずまいだった。ただホームの上に少し強い風でも吹けば飛ぶようなこじんまりとした木製の駅舎があるだけだ。だがその雰囲気は駅で列車を待っている乗客たちの話し声でかき消されていた。

 トロッコを待避線において、男の子が駅に下りた。すると、男の子が元来たところ線路からポッポーとおもちゃのような汽笛が風に運ばれてきた。汽笛の音がだんだん大きくなるにつれて、発信元の列車の全景が見え始めた。

 蒸気を吹き出しながら滑り込んできたのは雲一つもない満天の夜空の色をした蒸気機関車だった。汽車が噴き出す蒸気を汽車自身に吹き付けると、まるで夜に紫の雲がかかったかのようだ。汽車の車体にある真鍮の部品は星のように瞬いている。

 七両ある客車のドアが開くと乗客たちはいっせいに乗り込み始め、男の子もそれに続こうとするとのっぽの乗務員が男の子の行く手を遮った。


「こまるな、無賃乗車は。君は切符がないだろう」


 切符とはどういうことだろうかと不思議に思った。駅舎には駅員もなく、それを買う券売機すらもない。どこで切符を買えばよかったのか皆目見当がつかなかった。男の子がポケットを探ると、出てきたのは小銭ばかり、普通の列車なら片道分の金額はあるはず。それを乗務員に見せつけて「切符を下さい」と言っても乗務員は帽子の下で首を振った。


「ここじゃそんなものは使えないよ。切符はここに来る人なら全員持っているはずだ。金や銀や銅に灰に白。まあ白なら問答無用で降りてもらう必要があるけどね。とにかく乗せられないよ」

「じゃあ作業員として乗らせてよ。作業員なら切符はいらないでしょ」


 乗務員は男の子の同情さに口をへの字に曲げた。


「作業員ねぇ。道具もランプも持っていないじゃないか。どう見てもただの……」

「ほーら、これを被ってけ」


 赤の小人が男にさっきまで被っていたヘルメットを男の子に渡した。ほかの小人も作業道具を渡した。


「途中でランプゥが落ちてるかもしれないから。替えのランプゥも持っていけ、腹が減っても大丈夫なようにな」

「うん、うん。これならどこを見たって立派な作業員だ。おかしくね。なっ」


 乗務員は渋い顔をしたまま、乗降口を退き男の子を乗車するように示唆した。

 車内は木目調で統一されていた。漆が塗られているクロスシート席には乗客がおしゃべりに夢中で、列車の通路を男の子が歩いていることに気付かない。車両が大きく揺れて窓の外から汽車の白煙が流れていくのが見えてた。ゴトンゴトンと車内を上下に揺さぶりながら、外から列車が揺れる音が聞こえてくる。

 男の子が視線を左右に振るとどの客も老人ばかりだ。次の車両に進んでも乗っている乗客の六割が老人、二割が中年の、残りが若い人や男の子と同年代の人であった。

 誰もヘルメットを被った男の子に気付かないと思いながら通路をずんずん進んでいくと、脇に座っていた乗客が男の子の服の袖を引っ張った。その人物は病院で寝ているはずの男の子の友人だった。男の子の服から、友人の細かい震えが伝わってきていた。そのくしゃくしゃな顔からしても自分がどうなったのか理解が及んでいない様子だ。


「おい、お前は隣の家の……なあどうなっているんだ? おれは脚を滑らせて頭を打ってそれからいつの間にかここにいたんだ……なあここは一体どこなんだ?」

「ぼくは作業員です。人違いです」


 男の子は険しい顔をヘルメットを深くかぶりその表情を友人に見せないようにして、服を払い次の車両に進んでいく。

 

 次の車両もまた老人ばかりだった。男の子は注意深くシートに座っている乗客の顔を見て探していると、一人の老人が窓辺にひじを乗せて外の景色を眺めていた。老人はもの憂う表情でじっと外を眺めていた。窓は半分開いており、間から入ってくる風がヤギのような細長いあごひげを風がゆらゆら遊んでいる。

 それはおじいさんだった。男の子はおじいさんの向かい側の席に座りようやく被っていたヘルメットを取るとおじいさんは視線を窓から外した。


「あとを追ってきたのか? 残念じゃ」

「違うよ。車止めの向こう側から来たんだ」

「そうか、ならよかった。この窓から今までの思い出に浸っていてな、ちょうどお前のことも映っていた」


 窓の外をのぞいてみると、一本の光の線が描かれていた。それは男の子が取り付けたあのランプから放たれるものだった。線はだんだんとモノクロの色がつき、鮮明な映像が流れ始めた。

 男の子が生まれた時。初めて自分の力で立った時。小学校に入学した時。怒られた日、泣いた日、笑った日、そして…………おじいさんが亡くなったときの夜のことも映し出された。


 葬儀の前の晩、男の子はおじいさんに寄り添った。傍から見ればただ寝ているようにしか見えない、しかし顔に乗せられた白い布は昔いたずらでティッシュをおじいさんの顔に乗せた時と異なり、ふわりとも浮き上がらない。両親が仕事でいなく淋しくなる時、いつも祖父が握るしわと乾燥した細い手は人形のように固く冷たい。それでもおじいさんの手を必死に握り締めていた。

 だが、いつまで経ってもしわだらけの手は指がちっとも動かず、震える手は握り締めてくれなかった。男の子のさびしさはとうとう抑えきれなくなったのだ。

 男の子の目じりにはらりと雫がこぼれた。


「おじいちゃん、ぼくも一緒にいく。おじいちゃん一人じゃさみしいでしょう」

「孫、ここは山を下りた人たちを迎えの汽車が私たちを迎えに来たんだ。まだ引き返せるぞ。それにおじいちゃんは……」


 ぼろり、ぼろり大きな粒が木目の床を大きな円を描いて褐色に変色させた。

 おじいさんは少し押し黙ると席から立って、男の子の前にひざを折るとその手を握り締めた。しわしわで乾燥した手は相変わらずだった。しかしあの日と異なり、温もりが訪れた。


「山ってなぁに?」

「人生山あり谷ありというだろう。でも山も谷も事故や病気がある。自分から下りていく人もいる。その人たちはみんな人生という山を下りてさっきのような駅にみんなたどり着いて列車に乗るんだ」

「おじいちゃんは降りたほうでしょ。そしてぼくは……おじいちゃんをさみしい思いにさせてしまった」

「いや、違う。私の方が孫をそうさせてしまった。謝るのは私の方なんだ。ずっとというのはうそだ。いつかお別れが来ることを言わなければならなかった。ほらこれがその証明の切符だ」


 おじいさんが懐から一枚の切れ端を男の子に見せた。もうすでに切符に鋏を入れられていた金色に輝く切符だった。


「私は、もう年だった。もう山を越えてしまったから大往生なんだ。……本当はちょっとさみしかったけどな。だが、孫がこうしてここまで来てくれた。もうそんなものはさっきなくなったよ」

「ぼくのおかげなの?」

「うん。おじいちゃんもお前のおかげでさみしくなくなった。次の駅までまだ時間があるから空の景色を見ておこう、とてもきれいだ」


 おじいさんに言われた通り、マグネシウムの燃焼のように燃え盛り過去を映したランプから視線を外して、月夜を眺めた。あまたの銀色に光る大小の星々が金色の月を引き立たせて、その明るさを引き立たせている。奥に見える湖水が夜空をそっくりそのまま投影している。列車が速度を上げても、下げても星も月もずっと男の子を見ていた。

 ぼろりぼろり、男の子は涙が止まらなかった。




 ギィィ。列車が強くブレーキをかける音が車内に響いてきた。男の子が外を見ると、乗車した駅と同じくまたもさみしい駅があった。すると、通路から先ほどの乗務員が後ろに友人を引き連れて男の子に呼びかけた。


「作業員君。ここから先はお客さんと乗務員しか乗っちゃいけないんだ。降りた降りた。ついでにこの子も一緒にだ」


 乗務員が、友人の持っていた切符を取り上げると男の子にそれを見せた。 


「ほら、彼の切符が真っ白だ。白はまだ乗車できないんだよ。乗ったとき灰色だったから怪しかったけど、白になったならここで降りるんだな。この子も作業員君もこの峠を越えたらもう二度と戻れないんだよ。けどまだ若いんだからいいことだよそれは」


 乗務員が二人を列車から下ろすと、列車はすぐに発車した。列車の窓からおじいさんがにっこりと微笑んで手を振ると、男の子は列車を追いかけることもせず、少し呆然として小さく手を振って見送った。

 列車の最後尾のテラス車が駅から過ぎると、男の子は友人に目を合わせたくなかった。

 だがぐぅぐぅと二人のおなかが静かな駅に鳴り響くと、男の子は気まずそうに小人から渡されたランプを突きつけた。


「食べなよ。ランプゥは食べられるんだって」

「果物みたいなランプだな」

「違うよランプゥだ。ランプじゃないよ。けどさっきまでそれが線路を照らしていたのに、食べられるだなんて変だよね」


 そう言いながら、男の子はランプをかじりついた。口の中がじゃりんじゃりんとガラスを踏む音を奏でるが、一口食べればイチゴの、二口食べればブドウの、三口目はパイナップルと次々と異なる果物の味がしてきた。

 二人がランプを食べ終えたちょうどその時に、列車が来た方角からギーギーコットン、ギーギーコットンという音が聞こえていた。それはあの三色のヘルメットを被っていた小人たちがトロッコを漕いできた音だった。


「おーい。何をやってんだ?」

「おや、子供が増えているな。増えとるな。ついでだ、帰りは途中まで乗せていってやるぞ。お前、顔色良くなっているじゃないか」


 男の子たちは小人たちに乗せられて、元来た駅にへと送ってもらった。

 そして友人を駅に下ろし、分岐点の手前までトロッコを漕ぐと小人たちはトロッコから降りた。


「やあ、やあ、今日はありがとうな」

「そーだ。おかげで列車が遅れることなくランプを替えれた」

「そうだぁ。おじいさんに謝れたかい?」

「……うん。できたよ」


 男の子はぽつりとそう言って小人たちに一礼して、また一人でトロッコを漕いだ。

 帰りのトロッコは不思議と軽かった。小人たちが油でもさしたのだろうか、バーは滑るように滑らかに上下に動き、車輪もギーギー耳障りな音を出していなかった。遠くで車止めが見えてくると、男の子は手を休めて慣性で動かした。

 そして車止めにコツンと当たりトロッコが停まった。

 男の子が降りると、トロッコは役目を終えたかのように車輪が線路から外れ、崩れた。


 男の子はトロッコに手をあてて、だいぶ金色が薄くなった月を眺めた。これはおじいちゃんが与えてくれたものかもしれない。どうしてか知らない。でもおじいちゃんはいつでも見ているといっていた。だからこのトロッコはおじいちゃんそのものだったのかもしれない。

 そうして男の子はトロッコに「さようなら」と別れを告げて車止めを越えた。




 ゴウゴウともう夜が過ぎようとしている木々が風に揺れると、男の子は廃線の上を駆け抜けた。木の枝がぐにゃりと手招きをするように揺れるがそれを低く屈めて逃げた。向かい風がゴウと男の子に吹き付けるが、男の子はしっかりと足を踏みしめた。

 あの木に触れると、あの風に飛ばされるとあの車止めの向こう側に行ってしまいそうだ。最初はそんなことどうでもよかったのに、もう戻ってはいけないという意志が男の子にはあった。

 まだその時じゃないんだ。

 男の子は暗い木々の間の廃線を抜けて、分岐点を越えて、家に駆けだした。家に帰ると母親が仁王立ちで男の子を迎えた。


「一体どこに行ってたんだい」

「おじいちゃんを見送りに行っていたんだ」

「夜遅くに墓場に行ったのかい? まあいいけど、ほら早く着替えてきなさい。病院にいくのよ。お隣さんの子昨日まで生死をさまよっていたのが、急に息を吹き返したのよ」


 やはり帰って来たんだ。あの白い切符はまだ生きるべきという暗示だったのだ。ぼくに切符がなかったのは、まだその時じゃなかったんだ。

 だがおじいちゃんはもう帰ってこないんだ。もうその時が来ていたんだ。


――ポッポー


 どこかで汽車の汽笛の音が聞こえた。あの夜空の色をした汽車の汽笛に違いなかった。

 おじいさんの言い伝えの話には続きがあり、その世界には死んだ人間が駅のホームで汽車を待っているという。もしその列に並んだら最後、その人たちと一緒に終点まで乗らなければならないという。


 きっといつか、両親も自分も友人もあの汽車に乗って、切符を携えて行くのだろう。でもその日が来るまで、金の切符を携える日が来るまで毎夜月を見ようと、男の子はぎゅっと一人で手を握りしめた。

 もうさみしいという気持ちはなかった。

九藤さんよりファンアートをいただきました。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] ネタバレありの感想です。未読の方はご注意ください。 冬童話2019より参りました。 切ない物語でありながら、美しい描写に圧倒されました。特に印象的だったのは、ランプゥの描写でしょうか。リン…
[良い点] 美しい童話でした。丁寧に丁寧に。心を込めて書かれたものであることが解ります。確かに、ご自身が仰るように銀河鉄道を彷彿させるものでしたが、これはこれ独自の立派な作品です。拝読できて良かったで…
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