剣士の門出
今回は短めです。
「今、何と言った」
王は、怒りを抑えた声でそう聞き返した。
レイザンは、王の怒りを買うことを承知で、もう一度言う。
「恐れながら申し上げます。私は、国王陛下から賜りました国軍大将の地位を、返上させて頂きます」
レイザンは深く頭を垂れたまま、そう言った。どんな厳罰も覚悟の上での決断だ。国王は勿論、部下達や青嵐の人々も皆、この決断を愚かと言うだろう。だが、自分にはもう他に取る道など考えられない。
「理由は何だ。場合によっては、いかに寛容な私でも許さんぞ」
レイザンは、顔を上げる。王の怒りに燃える目を見つめた。
「ルーチェ・グランチェスターの元へ参ります」
「…何だと?」
予想外の答えに、王は一瞬怒りを忘れた。レイザンは尚も続ける。
「彼女と共に生きたいのです。ルーチェは森から離れられない。ならば私が行きます」
「何故だ? 剣士のお前が、魔女に弟子入りでもするつもりか」
「いいえ。私は、…ルーチェを愛しています。ただ、傍に在りたい。それだけです」
レイザンはどこまでも真っ直ぐな目で、王を見つめる。王は、最早怒りを通り越して困惑の表情を浮かべていた。
「女の為に、今の地位を捨てると?」
「はい。今の私には、彼女以上に大事なものなどありません」
「グラン殿は、お前を受け入れるか? 彼女にとってお前は子ども同然ではないか」
「…それは、そうかも知れませんが、諦めるつもりもありません」
二人はしばらく見つめ合った。重い沈黙が広い部屋の中に広がる。
王は、国が誇る若き剣士を新たな目で見ていた。
これまでどんな令嬢と添わせようとしても全く受け入れなかった男が、今、自分で決めた女の為に全てを捨てようとしている。しかも相手は、明らかに一筋縄ではいかない女だ。しかし王は、不思議ともう怒りは沸いて来なかった。
王の妻は、身分の低い女性だ。彼女でなければ嫌だと思い、周囲の反対を押し切って妻に迎えた。
最初こそ、彼女は城の重鎮から疎外されて肩身の狭い思いをしていたが、彼女は強い女性だった。自分なりに城で自分の役目を見出し、やがて周囲に認められた。いつも心配しながらも何も出来なかった王に、彼女は得意気に言ったのだ。私は守られるだけの女ではないのよ、と。
彼女の存在は、王にとって何よりも大きい。王の責務を忘れた事はないが、彼女がもし国より自分を選べと言えば、自分は国を捨てただろう。だが、そう言わない女性だから、自分は王でいられる。
恋は、人生を変える。
自分がかつてそうだったように、目の前の若者も大きく変わったのだろう。
きっとこれは、本人が信じているなら正しい選択なのだ。
王はため息をつくと、彼への決断を下した。
レイザンは、ゼンリとフィルローにだけ別れを告げ、城を後にした。二人とも王のように初めは怒ったが、やがてやがてレイザンの決意を受け入れた。レイザンは、一度決めたことは絶対に曲げない。だから、最後には笑顔で送り出す事に決めた。
いつか再び、再会する事を約束して。
青嵐の魔女は、いつもと変わらぬ日々を過ごしていた。
以前と変わったのは、呪いによる新月の夜の苦痛から解放されたことと、ずっと止まっていた自分の体の時間が動き出したこと。そして、不意に思い出す人がいること。
今でもルーチェは、レイザンを思い出す。固定概念に囚われない、自由な若者。忘れていた人間らしい感情を、思い出させてくれた。
きっとこれからの彼の未来は、輝いていることだろう。青嵐の英雄は、これからも英雄で在り続ける。
そんな物思いに耽っていたが、ルーチェはふと森に誰かが入ってきた事を感知した。誰かが迷い込んだかと意識を集中すると、それは見知った気配だった。
レイザンは森の魔力に惑わされることなく、ルーチェの家に辿り着いた。一つ息をついて、扉を叩こうとしたが、その前に扉が開く。
そこには美しい魔女がいた。
レイザンは微笑んで、彼女を精一杯抱き締めた。
次回で完結予定です。
最後までよろしくお願いします!