呪いの正体
今回短めです。
レイザンは燭台を持って書庫を飛び出した。
頭の中は怒りの感情に埋め尽くされていた。
ルーチェは、大魔法使いグランはずっと騙していたのだ。国軍大将がどんな人物か見定めていた。国からの要請に応じる気もないくせに。
何も気づかない自分を見て、楽しんでいたのだろうか。女と知って動揺する若い自分を、齢二百歳を越えるとも言われる魔法使いは嘲笑っていたのか。
レイザンは怒りのままに、ノックもせずにルーチェの寝室の扉を乱暴に開けた。
「ルーチェ! お前…」
レイザンの勢いは、そこで衰えた。
目の前にある、燭台の明かりに照らされた状況に、思考が完全に止まってしまった。
ルーチェは寝台に横たわっている。だが、その姿はレイザンが知っている少年にも見える容姿ではない。手足はすらりと長く伸び、女性らしい体つきに変わっている。大体二十歳前後の女性に見えた。この姿を見て少年と間違える人間はまずいないだろう。
だが、レイザンを驚かせたのはその変化ではなかった。
ルーチェは眠ってはいなかった。胎児のように体を丸め、胸を押さえて荒い息を繰り返している。長い黒髪は顔にかかり、表情が分からない。だが、ルーチェが苦しんでいることは分かった。
「どう、したんだ、ルーチェ」
あまりに意外な出来事に、先程まで頭を占めていた怒りはどこかへ行ってしまっていた。思わず駆け寄ろうとするが、ルーチェに怒鳴られる。
「近寄るな! …出ていけ!」
その声は掠れ、痛々しかった。
レイザンは迷ったが、このままにしておくことなどできず、一歩近づいた。
「来るなと言っている!」
ルーチェは尚も拒絶するが、レイザンは止まらなかった。寝台の傍らに膝をつき、ルーチェの具合を見ようとして、息を呑んだ。
遠目には分からなかったが、ルーチェの体には全体に鱗のようなものが浮かび上がっていた。鈍く輝く赤色の、美しい鱗だった。自分の目で観たものが信じられず、説明を求めるようにルーチェの顔を見る。そして、その顔にも変化が現れていることに気がついた。
目が、金色に変わっていた。猫の目ように、縦に黒い筋が走っている。ルーチェはその目でレイザンを睨みつけたが、やがて諦めたような表情になった。苦しげな息の中、言葉を紡ぐ。
「気味が、悪いだろう。もう、私に、関わるな。王都に、戻れ」
その声は震えていた。まるで、泣くのを我慢しているように。
レイザンは日記を思い出した。これが、ドラゴンの呪いだ。
百数十年ずっと、ルーチェはこの呪いに耐えてきたのだ。
この家で、たった一人で。
レイザンはルーチェの肩に触れた。鱗に覆われ固くなった体を、抱き締める。こんなに何かに触れるのが恐いと思ったことはない。
ルーチェへの恐怖からではない。自分が触れたら壊れてしまうのではないかという思いからだ。
「触るな」
ルーチェは身を捩らせ、レイザンを拒絶しようとしたが、レイザンは離さない。
「離せ」
「嫌だ」
「…離せ!」
レイザンはルーチェを抱く腕に力を込めた。
「嫌だ。苦しい時はそう言え。泣きたい時はちゃんと泣け。一人で我慢するな」
そう言ったレイザンの声は震えていた。泣きそうになっている自分が不甲斐なくて、歯を食い縛る。
ルーチェが困惑しているのが分かる。小柄な体は震えている。苦し気な呼吸だけが部屋に響く。
どれくらいそうしていたのか。やがてルーチェが動いた。
躊躇うようにゆっくりと、しかし確実に、レイザンの背中にその手が触れる。レイザンを、抱き締め返すように。
レイザンの肩が濡れた。ルーチェが、泣いているのだと分かった。
「…い」
「うん」
「痛い」
「うん」
「…怖い」
ルーチェの手に力が入る。彼女の手にも変化が現れていた。爪が黒く変色し、固く尖っている。それはレイザンの背中に小さな傷を作ったが、レイザンは動じなかった。
ルーチェの感じている痛みに比べたら、自分の傷など些細なものだ。痛みを、苦しみを、少しでも代わってやれたらいいのに。
二人は寝台の上で、一晩中寄り添っていた。
ルーチェの体から鱗が消え、彼女が痛みに疲れて眠りについたのは、明け方のことだった。
レイザンは寝台から下りると、ルーチェの頬をそっと撫でた。
グランの正体は、ルーチェだった。
少女に見えるが、二百年以上を生きている魔女。
人のために自らの孤独を選んだ、優しい女だ。
こんな孤独な生活から無理矢理にでも連れ出してやりたいと思う反面、呪いを受ける彼女を戦に巻き込みたくはないという気持ちもある。
レイザンは世話になったと書かれた置き手紙を残し、最後に朝食だけ作って家を出た。
国軍大将レイザン・アークは、城へ帰還した。