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青嵐の魔女  作者: 山下ひよ
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弟子の正体

 それから更に数日が過ぎたが、ルーチェは相変わらず何事もなかったように日々を過ごしていた。

 レイザンは、あの日以降グランの話はしないようにしていた。そしてグランは、やはり帰っては来なかった。


 とうとう残り二日になった頃、突然ルーチェから頼みがあると切り出された。

「え、何。どうしたんだ」

「この形の刺繍を、この布にして欲しい」

 相変わらず淡々とした様子のルーチェが差し出してきたのは、ルーチェの片腕程度の長さの正方形の白い布と、複雑な図形が描かれている小さな羊皮紙。

 レイザンはその羊皮紙の図形をじっと見つめる。精緻で複雑で、美しい図形だった。沢山の円が重なっているように見える。だが、レイザンの見立てでは、集中すれば一日で出来そうだった。

「いいけど、これ何? それにルーチェも刺繍出来るし、魔法を知らない俺よりルーチェが自分で作った方がいいんじゃないの」

 魔法に疎いレイザンでも、この図形が魔法陣と言われるものであることは推測出来た。魔法に乏しい自分が作っても、意味がないのではないかと思ったのである。しかし、ルーチェはかぶりを振った。

「これに限っては、私では無理だ。お前に頼みたい」

 その真剣な眼差しに、レイザンは忘れかけていた胸の高鳴りを再び意識した。しかし、そんな自分を誤魔化し、平静を装ってルーチェに笑いかける。

「よく分からないけど、泊めてもらった礼だ。明日の朝には仕上げるよ」

 ルーチェは安心したように微笑んだ。それは、グランの話をした時とは全く違う、穏やかな笑顔だった。


 レイザンは借りている部屋に戻ると、赤く火照った顔を両手で覆った。

 何だ今の笑顔は。可愛すぎるだろ。

「ヤバい俺。明後日にはここ出るのに。…気のせい気のせい」

 必死でそう言い聞かせ、気を紛らわせようとルーチェに頼まれた刺繍を始める。そして、やがてレイザンは他の全てを忘れるくらいに夢中になった。


 レイザンが刺繍をしているころ、ルーチェは先日食卓で読んでいた魔導書の表紙を、ゆっくりと撫でた。

「ようやく、…」

 続く言葉は、小さすぎて掻き消えた。しかしそう呟いたルーチェは、レイザンに見せたのと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。



 翌日、刺繍が完成した。

 その出来栄えは見事なもので、表情に乏しいルーチェを再び笑顔にするには十分な出来だった。

 その笑みを見たレイザンが動悸を必死で抑えていると、ルーチェがレイザンを見た。

「ありがとう」

 ルーチェからの初めての礼に、レイザンは今度こそ動揺した。

「い、いやそんな。お前が礼言うなんて落ち着かないから止めてくれ」

 その失礼な言葉に、ルーチェはむっとした表情を浮かべた。その顔まで可愛いと思ってしまい、思わずレイザンはルーチェから目を逸らす。

 ルーチェはしばらく、そんな様子のレイザンを見ていたが、訝しげに眉をひそめただけでそれ以上踏み込んでは来なかった。

 レイザンは、心臓が元通りのリズムを刻むようになった事を確認してから、ルーチェに言った。

「今日で最後だな」

「ああ、期限は二十日だったな。残念だったな、大魔法使いに会えなくて」

「うん、まあいいや。戦は難しくなるだろうけど、こうなることは陛下も予測しておられたし。ご期待に添えないことは心苦しいけどな」

 ルーチェはレイザンからもらった刺繍を大事に折り畳みながら、その話を静かに聞いていた。

 レイザンが言ったことは本心だ。青嵐の王は、協力するか分からない魔法使いに全てを委ねるほど、愚鈍ではない。協力してくれるなら勝率は確かに上がるが、断られる可能性があることも計算済みだ。レイザンも、こうなった以上は全力で戦うつもりだった。

 そしてレイザンは今、グランに会えなかったことよりも、明日でルーチェと別れることの方が気にかかっていた。ルーチェにとっては元通りの生活に戻るだけなのだろうが、レイザンはかなりルーチェを気にかけている自分に気がついていた。

 ルーチェはきっと、自分のことなどすぐに忘れるのだろう。だがレイザンは、きっとルーチェを一生忘れない。

「なあルーチェ。今日は最後の夜だし、ぱあっと飲まないか」

「断る」

 考える間もなく断られ、レイザンは肩を落とす。

「そう言われると思ったけどさぁ。普通もうちょっと考えないか?」

 その言葉にルーチェが不機嫌な顔になったので、レイザンは咄嗟に「ごめんなさい」と謝った。

 ルーチェはふんと鼻を鳴らすと、さっさと部屋に戻ってしまった。


 最後の日と思えないくらいに、ルーチェはいつも通りだった。魔法の研究をし、食事をした後に風呂を使う。そして憎らしいほどいつも通りに、床に入ってしまった。



 レイザンは悪いと思いつつも、ルーチェが床に眠ってからこっそりと書庫に入った。あの日記が、どうしても気になっていたのである。そして、ルーチェがグランの死を望む理由も分かるのではないかと考えた。お節介だと思いつつも、ずっとそれが気にかかっていた。

 今日は新月で、月明かりすらなく真っ暗だ。レイザンは燭台の明かりを頼りに、以前棚に突っ込んだ日記を探した。

 日記はすぐに見つかった。燭台を床に置くと、自身も床に座って日記を開く。そして、ドラゴンの呪いについて記載されている部分の前後を読み始めた。

 読み進めて行くうちに、レイザンは自分や王、この国中が、グランについて大きな勘違いをしていることに気がついた。グランが家族の事について書いている部分に、「私の夫」という言葉が出てきたのである。

 夫がいた。つまり大魔法使いグランは女性だったということになる。そしてさらに読み進めて、娘と息子がいたことも分かった。呪いを受けたことで、会うことが叶わなくなったことも。

 レイザンは緊張で手に汗をかいていることに気づき、一度日記から目を離して大きなため息をついた。人の心を覗き見ているようでいたたまれず、やめようかと思い小さな炎に照らされた書庫を何気なく見渡した時。

 一瞬、信じられないものを見た気がした。もう一度、目に入ったものを確認する。

 それは、本棚の一番下にあった。たった一冊だけ、だが確かにそこにあったのだ。背表紙には、こう書いてあった。

『光の魔法と闇の魔法の技法と研究  著:ルーチェ・グランチェスター』

 ルーチェ・グランチェスター。ルーチェとグラン。

 二人の名前が入っているこの著者は誰だ。

 まさか、と思いながらその本を取り出し、開く。

 その筆跡は、グランの日記と同じだ。

 レイザンは理解した。


  師は留守だと言った魔法使いの弟子。

  グランの死を見届けなければ納得できないと言った弟子。

  「いつになれば死ねるのか」という大魔法使いの日記。


 この家には、初めから一人しか住んでいないのだ。弟子など存在しない。

 ルーチェこそが、大魔法使いグランなのだから。

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