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青嵐の魔女  作者: 山下ひよ
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魔法使いグランという人物

 翌日もレイザンはルーチェに対してぎこちなかったが、対するルーチェは憎らしいほどいつもと変わらず、その日の昼にはレイザンもかなり冷静になり、いつもの調子に戻った。

 やはりあの症状は一種の気の迷いだったのだと安心したが、その後もルーチェが不意に見せる仕草や表情に、時にレイザンは動揺した。国軍大将としての矜持で、それを気取られるようなへまはしなかったが、本人はなかなか心休まらなかった。


 レイザンが城を出て十日が過ぎようとした頃、その日レイザンは書庫の整理をしていた。莫大な量の魔導書以外にも、様々な国の伝記や薬草学の本、中には子ども向けのお伽噺もあった。レイザンは興味深げにタイトルを眺め、種類別に整理していた。と、その時、一冊の本が目に留まった。くすんだ藍色のその本には、タイトルがなかった。他のものより小振りでぼろぼろになっており、傷みが激しい。他の本を見る限り、大魔法使いもルーチェも本を大事に取り扱っている印象を受けていたレイザンは意外に思い、思わず手に取ってそれを開いた。

 ぱらぱらと捲っていくうちに、レイザンはそれが日記であることに気がついた。丁寧な字で、日々の出来事が綴られている。何気なく開いたページを読み進めていくと、そこにはこう書かれていた。


『ドラゴンの呪いを解く方法は見つからない。毎日、ドラゴンの怨嗟の声が私の中に響く。奴は、いつか私の体を乗っ取る気でいる。そうなれば、奴は私のこの体で多くの人間を殺すだろう。私はそれを許すわけにはいかない。自殺を試みたが、魔力の強すぎるこの体の殺し方が、私にすら分からない。この呪いを受けたまま、人々の中には戻れない。誰とも関わることも出来ない。私は一体、いつになれば死ねるのか』


 レイザンは息を呑み、何度もその文章を目で追った。ドラゴンは、百数十年前に滅んだはずだ。かつて、人里に舞い降りては多くの人間を殺したドラゴンを、人々は討伐しようとした。しかしことごとく失敗し、誰もが絶望したときに現れたのが一人の魔法使いだった。

 その魔法使いの名は、グラン。

 今まさに、レイザンが会わんとしている人物だ。彼は、ドラゴンを滅ぼした魔法使いとして有名になったのだ。

 ここは彼の家の、彼の書庫だ。ならばこれは、大魔法使いが書いた日記だ。彼は人間が嫌いで、こんな所に住んでいるのではない。呪いを受けて、人と関わることが出来なかったのだ。

 レイザンは、自分が震えていることに気がついた。今や伝説となっている大魔法使いの真実の一片に、自分は今触れている。それがどんなに畏れ多い事か、彼は考えてしまった。だが同時に、疑問が脳裏を過る。

 呪いのために人間を避ける大魔法使いが、なぜルーチェを弟子にしたのか。そもそも、呪いを受けて人目を避けているはずの彼が、安全な森を出てまでどこに行っているのか。

 そう考え込みながら、レイザンは更に日記のページを捲っていった。日記は、その本の半ば辺りで終わっていた。最後には、こう書かれていた。

『痛い。苦しい。怖い。死にたい。死にたくない。消えたくない。死にたい。…会いたい』

 震える手で書いたかのようなその字は、所々滲んでおり、胸に迫るものがあった。そして最後の『会いたい』という言葉。レイザンは不覚にも、涙が出そうになった。

 どれ程の孤独を、この魔法使いは感じていたのだろう。家族にも会えず、たった一人、呪いに蝕まれ、しかし死ぬことも許されない。レイザンが目元を拭い、大きなため息をついたとき。

「どうした」

 びくりとして振り向くと、書庫の前を通りかかったらしいルーチェが訝しげにレイザンを見ていた。

 レイザンは人の日記を見てしまったことに後ろめたさを感じ、咄嗟に日記を棚に戻した。

 ルーチェはその行動には気がつかなかったようだ。レイザンの返事を待っている。

「ああ、いや、面白い本があったから読みふけっちゃって」

「ふうん」

 ルーチェは大して興味も無さそうに相槌を打つと、そのまま行ってしまった。

 レイザンは、緊張が解けてため息をついた。


 自分は少し、魔法使いグランの事を知らなすぎたのかも知れない。国中の皆が偏屈で人間嫌いの老人と言っているし、自分もそう思っていた。だが、本当はきっと違う。真実を知らなければ、説得など出来るはずもない。

 そして今、真実に最も近いところにいるのは、唯一の弟子。

 ルーチェは教えてくれるだろうか。


 その日の夕食も、ルーチェは黙々と食事を口に運びながら、魔導書を読み耽っていた。レイザンはちらちらとルーチェを見ながら、いつ話題を切り出そうか悩んでいた。

 その視線が余程鬱陶しかったのか、とうとうルーチェは魔導書を閉じてレイザンを睨み付けた。

「何だ」

「あっ、いやその、何だ。何読んでるのかなと思って」

 ルーチェは心底そんなことか、という顔をしたものの、きちんと返事はしてくれた。以前なら無視されているところだ。幾分心は開いてくれたらしい。

「呪いを解除する術式を研究している。なかなか興味深い方法を編み出せそうだ」

 レイザンは呪いという言葉に、否応なしにグランの日記を思い出す。その呪い解除の術式を調べているのは、師のためなのだろうか。

 会話が始まったのを好機とし、レイザンは思い切って聞いてみた。

「ルーチェ。グラン殿って、どんな方だ」

「何だ突然」

「説得するのには、少しでも相手を知っておいた方が良いと思って」

 レイザンは正直に言う。ルーチェはしばらくレイザンを見つめていたが、やがて息をついてこう言った。

「偏屈で変わり者。愛想がなくて、自分がこの世で一番不幸だと思っている、卑屈な人間だ」

 弟子が言うにはあまりにも容赦のない酷評に、レイザンは唖然とする。

「容赦ないな。何でそんな変わった人の弟子なんかやってるんだ」

 するとルーチェは一瞬黙った。少し考えるような素振りを見せ、やがてレイザンの予想もしない答えが返ってきた。

「どうしても理由がいるというのなら、そうだな。師が死ぬのを見届けなければ納得いかない、といったところか」

 レイザンは言葉を失った。

 魔法使いとして尊敬しているとか、偉大な人物だからとか、実は優しい人だとか、そういう答えが返ってくると思っていた。しかし、今の発言はまるで。

「…グラン殿に、死んで欲しいのか」

 レイザンのその言葉に、ルーチェは笑みを浮かべた。

 ルーチェの笑顔を見るのはこれが初めてだったが、その笑顔は怒りを圧し殺したような、妙に迫力のあるものだった。それは、これ以上聞くなという無言の警告だった。

 ルーチェはさっさと食事を終えると、自分の食器を片付け、無言で風呂へ行ってしまった。

 レイザンは、その後も動くことが出来ず、先程の会話を心の中で反芻していた。

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