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青嵐の魔女  作者: 山下ひよ
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剣士と魔法使い 2

それから更に二日、レイザンは繕い物や刺繍を始め、料理や掃除も引き受けていた。どの仕事も鼻歌交じりに楽しそうに取り組んでおり、それをルーチェは妙なものを見るような目で観察していた。

 そして、レイザンが来てから五日、やはり大魔法使いが帰ってくることはなかった。しかし探し出す方法もないので、結局待つしかないのである。


 ルーチェは、毎日夕飯が終わるとすぐに湯浴みをする。この家の風呂場は、ルーチェが望む時間に不思議と湯が沸くようになっているらしい。そしてルーチェは、かなり長い時間を風呂場で過ごす。普段は全く表情がないし、身なりにもほとんど頓着しないが、どうやら湯浴みは好きらしいとレイザンは判断していた。女みたいだな、と思ったりしたが、言うと怒りそうなので黙っていた。

 その日も夕食が終わってすぐに、ルーチェは風呂場へ向かった。レイザンは、これも居候の務めだと夕食の片付けをしていたが、風呂場の脱衣所に忘れ物をしたことに気がついた。ルーチェは夕食後に風呂を使うが、レイザンはいつも夕食前に使用している。家主より先に風呂を使うのは、と思い最初は断ったが、ルーチェから自分はいつも長く使うし、後に使用する人間がいると思うとせっつかれて気分悪いから、ときっぱり言われて、結局先に使うことになったのである。

 ルーチェが上がってきてからでもいいのだが、かなり長いと想像がつく。男同士だしまあいいか、と思い、レイザンは風呂場の扉を開ける。

「悪いルーチェ、俺さっき忘れ物した…」

 そこで、固まった。

 ルーチェは、上半身に何も纏っていない状態で振り返る。その胸には、小振りだが男にはあり得ない膨らみが。

 しかしルーチェは恥じらう様子も隠す素振りも見せず、相変わらずの無表情でレイザンを見返す。

「忘れ物? ああ、これか」

 ルーチェは、鏡台の前に置いてある耳飾りに気付き、手に取る。そして、無造作にレイザンに差し出す。

 呆然としていたレイザンは、その仕草に気付き慌てて耳飾りを受け取る。

「…ありがとう」

 掠れた声でそう言うレイザンを訝しげに見返すと、ルーチェはレイザンを追い出すように扉を閉めた。

 追い出されたレイザンは、今見た光景を反芻し、呆然と呟いた。

「…おんな?」


 迂闊だった。

 初対面の時も、それからもずっと、ルーチェは男の格好をしていたからそう思い込んでいた。

 話し方も男っぽいし、先程見てしまった胸の膨らみも、いつもゆったりとした魔法使い特有の服装だったから全く気がつかなかった。

 国軍大将ともあろうものが、男女の区別もつかないとは。

 レイザンは、本気で動揺していた。未婚の娘が一人で暮らす家に押し掛けて居座っている自分が、とんでもなく非常識な人間である気がする。自分のせいでルーチェが将来お嫁に行けなかったらどうしようとまで考えた。

 とりあえず自分を落ち着かせようと夕飯の片付けを終わらせ、居間で剣の手入れをしてみるが、ルーチェが女だったという衝撃の事実は、なかなか頭から離れなかった。もっとも、ルーチェは隠そうともせず、見られても平然としていたが。


 どれ程の時間を悩んでいたのか自分でも分からないが、ルーチェが風呂場から出てくる気配がし、レイザンはびくりとした。程なくして、ルーチェが居間に入ってくる。濡れて肌に張りつく黒い髪や、ゆったりとした服の下から僅かに覗く、いつもより赤みが差した白い肌が妙に艶かしく見え、レイザンは思わず目を逸らす。

 国の英雄と言われ、国中の女性から絶大な人気を誇るレイザンだが、実は女性に関しては驚くほど経験値が浅かった。十代の頃に、好きになった女性や付き合った人はいたが、結局は「私より仕事の方が大事なのね」とか「一緒にいても寂しい」とか「思っていたのと違う」とか言われ、良い思い出はない。そんな事があって、レイザンはもう女には関わらないと心に決めたのである。

 ルーチェが女だと知ってこんなに動揺しているのは、きっと長い間女性と関わっていなかったせいだと自分に言い聞かせた。ましてルーチェはまだ少女だ。実際の年齢を聞いた事はないが、恐らくは十四、五歳程だろうと推測される。自分と十も年の離れた子どもに対して、抱いて良い感情ではない。

 そんな事を悶々と悩んでいるレイザンの様子に、ルーチェは眉根を寄せる。ルーチェの視線を感じ、レイザンはあることに思い至った。がたんと大きな音を立てて立ち上がり、ものすごい勢いでルーチェに頭を下げた。

「ごめん!」

あまりに突然の事に、普段は滅多に表情を変えないルーチェが驚いたような顔をする。レイザンは頭を下げていたので見ていないが。

「…何が」

「いや、さっき俺、その…、見た、から」

 恐る恐る顔を上げて言葉を濁すレイザンに、ルーチェはようやく得心がいったという顔をする。

「ああ、何だそんな事か。気にするな。別に減るもんじゃないし。それとも何だ。あんな貧相なものでもその気になったか」

 少女が口にするにはあまりにも男らしい台詞に、レイザンの方が動揺する。

「お、女の子がそんなこと言っちゃいけません! それにちょっとは恥じらいなさい!」

「謝ったり怒ったり、何なんだお前は」

 濡れた髪をがしがしとかき回すと不満そうに顔をしかめ、ルーチェは「もう寝る」と言ってさっさと部屋に入ってしまった。

 レイザンは力が抜け、どさりと椅子に座り込んでしまった。

 熱く火照った頬を手で押さえ、大きなため息をつく。

 きっとこれは、久しぶりに女性と近しく関わったせいだ。こんなに胸が高鳴っているのも、顔が熱を持っているのも、自分に向かってしかめ面をするルーチェを、かわいいと思ってしまったことも。

 これは一時の気の迷いだ。

 だから絶対に、恋情ではない。

 レイザンは必死で自分に言い聞かせつつ、眠れぬ夜を過ごした。

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