剣士と魔法使い
「どんな手段を使ってもよい。とにかく、『隠者の森』にいると言われるあの伝説の大魔法使いを連れてこい」
王は一見冷静そうにそう言うが、実は内心かなり焦っている事は、その場にいる全員が知っていた。
「期限は二十日、それ以上は待てぬ。奴等は必ずこの国に侵攻して来る。それまでに、あの大魔法使いグランを説得するのだ」
重々しい声でそう言う王の姿を、全員が固唾を呑んで見守る。そして、王の言葉を一身に受ける若者を。
「国軍大将レイザン・アーク。お主そういうの得意であろう。紅雷国を無血開城させた人好きのするその顔と口車で、偏屈なじじいを説得してこい」
「いや、別に顔と口だけで降伏させたわけではないのですが」
「そこは別に掘り下げんでいい。とりあえず行ってこい」
深刻な話をしている所にあまり緊張感のない受け答えをした国軍大将は、王命を受け頭を垂れた。
「かしこまりました、陛下。大魔法使いグランは、必ず私が陛下の御前にお連れいたします」
後ろで無造作に束ねた美しい金の髪。
瞳は空を切り取ったような澄んだ青。
彼の腰には常に、相棒である大剣が下げられている。
国軍大将、レイザン・アーク。
その冴えた頭脳と驚嘆すべき強さで、六年前に若冠二十歳で大将となった彼は、国の英雄とも言われている。王が冗談のように言った紅雷国の無血開城も、彼がその頭脳と人柄で勝ち取った結果であり、それが彼の評判を更に上げた。若い女性は勿論、年配のご婦人にも、男にすら圧倒的な人気を誇る。
しかし残念ながら彼は、驚くほどそういったことに興味がなかった。レイザンの関心は王への忠誠と剣術・武術の訓練、そして、男らしい彼の唯一の短所と言われている彼の趣味にあった。
そんな彼が今回受けた王命は、緑蓮の国との戦に備えての、自国にいる大魔法使いへの協力要請である。緑蓮は多くの魔法使いを輩出している国で、戦にも魔法を使用する。しかしレイザンの国、青嵐国はどちらかと言うと武力に優れ、魔法には強くない。全くの素人というわけでもないが、緑蓮と戦うには些か不利である。そこで王は、青嵐の最北端に住むと言われる大魔法使いに、協力を仰ぐことにしたのである。
だがかなり老齢と思われるその大魔法使いグランは、何十年も人々の前に姿を現さず、彼に会いに『隠者の森』に行った者全てを、その魔法でもって追い返しているという。そこで王は、英雄レイザンを遣わすことにした。その頭脳もさることながら、彼は年寄り受けがいい。剣士でなければ、老人の話し相手をするだけでお小遣いもらって暮らせるんじゃないかと、彼をよく知る王や友人達が密かに思っているくらいである。偏屈なじいさんの説得に、これほど適した人物もいないと判断した王は、早速レイザンに王命を下した。勿論、王の側近や他の武将達全員が、最適だと太鼓判を押して。
かくしてレイザンは、偏屈魔法使いの説得のため、北へと向かうことになったのである。
「着いた…!」
レイザンは、煉瓦造りの小さな家の前で、安堵の溜め息をついた。
城を後にして二日。『隠者の森』には、馬を飛ばしてその日の夕方には着いた。森の近くの村に馬を預け、意気揚々と森に入ったが、そこからが大変だった。
迷わないようにと木に剣で傷を付けながら進んでいたのだが、途中で同じ場所に戻っている事に気がついた。それからは、何度道を変えてみても、道なき道を行ってみても、どうしても森の入口に戻ってきてしまうのだ。これが噂の魔法か、と理解したが、打開する方法があるわけでもない。途方にくれたレイザンは、とりあえず体力を消耗したので休憩する事にした。焦ってはいたものの、方法がないのではどうしようもない。ふと顔を伏せた所に、自分のほつれたマントが目に入った。
「ああ、木に引っ掛けたかな」
何故か嬉しそうにそう言い、レイザンはおもむろに懐から裁縫道具を取り出した。慣れた手つきで針に糸を通し、自分のマントを縫い始めた。
「いやあ、気を落ち着かせるのに丁度いいな」
鼻歌でも歌い出しそうな声ですいすいと縫っていく。しばらく黙々と作業していたが、途中で手が止まる。
「ああー…。久々でつい熱が入って可愛くしてしまった」
そう呟いたレイザンの手に握られたマントには、可愛らしい鳥の刺繍が縫い付けてあった。
そう、レイザンの短所とも言われているのは、この刺繍の腕前である。レイザンは刺繍が趣味で、その腕は店が開ける程だが、国の軍隊を率いる立場の人間がちまちまと可愛い刺繍を縫っているというのは、どうも外聞が悪いらしい。レイザンは気にしていないのだが、周囲がやかましく「人前では見せるな」と言うものだから、普段は我慢しているのである。
あーあ、でも良い出来だなあと反省しているのか甚だ疑問に感じられる事を呟いていると、突然強い風が吹いた。一瞬目を閉じ、もう一度開くと、レイザンはあんぐりと口を開けた。
先程と、風景が変わっていた。木々が生い茂っていた場所に道が現れている。レイザンは慌てて裁縫道具を片付け、その道を行った。
そうして辿り着いたのが、この煉瓦造りの家である。
ここまで来られたということは、ここに住む大魔法使いが自分を拒んでいないということなのだろう。大きく息を吸うと、レイザンは扉を叩いた。
「失礼、こちらにグラン殿はおられるか。私は青嵐国大将…」
最後まで言わないうちに、扉が開いた。そこから出てきた人物に、レイザンは瞠目する。
扉を開けたのは、少年だった。長い艶やかな髪をいくつかの束にして、肩に垂らしている。黒と白の魔法使い独特の紋章が入った衣装を纏い、その間から見える肌は透き通るように白い。そして瞳は、黒曜石のような輝く黒だった。せいぜい十四、五歳と思われるその少年の視線の強さに、幾多の戦いで勇猛を誇ったレイザンが気圧された。
少年は値踏みするようにレイザンを見つめていたが、やがて口を利いた。
「あんたがあのレイザン・アーク? 用件は」
冷たい声でそう言ったその少年に、しかしようやく立ち直ったレイザンは慌てて言い繕う。
「ああ、突然すまない。君はグラン殿のお弟子さんか? グラン殿はおられるか。…王より伝言を預かったのだが」
少年はその言葉を吟味するように、輝く瞳でレイザンを見つめていたが、次に少年が言った言葉はレイザンにとって不都合なものだった。
「…師は出掛けている。いつ戻るかは分からない」
「えっ、いないのか。ではどこに?」
「行き先は知らん。長いときは一年ほど戻らない」
レイザンは困ったように眉根を寄せたが、次に言ったのは少年にとって予想外だった。
「じゃあその間、君は一人でここにいるのか? さびしいな」
今まで無表情だった少年の顔に、困惑の色が浮かんだ。
「気にするの、そこか?」
「あっ違うな。俺グラン殿に会いに来たんだった。でもいつ帰るか分からないんじゃ、とりあえずここで待たせてもらうしかないな!」
「は?」
少年は、今度は心底不可解そうな顔をする。
「師は帰ってこないかもと言ってるんだが」
「でも帰ってくるかも知れないんだろ? どっちにしろ俺二十日しか時間もらってないから、ぎりぎりまで待って無理なら帰るし」
「じゃあ待たずに探しに行けよ」
「だって俺、グラン殿がどんな人か知らないし、この広い国を知らない人探すよりは、帰ってくる可能性のあるところ張ってる方が効率いいだろ」
さらりとそう言ったレイザンの事を、少年は本気で面倒くさそうに見やる。
「そんな目で見るなよ。部屋の隅でいいから泊めてよ。あ、師匠に怒られる?」
人懐こい笑顔でそう言うレイザンに、少年は大きなため息をついた。
「二十日経ったら出ていけよ」
かくして国軍大将と魔法使いの弟子の、奇妙な同居生活が始まった。
少年は、ルーチェと名乗った。
女みたいな名前だな、と思ったが、本人が気にしているかも知れないので指摘はしなかった。
ルーチェは、魔法使いとしては驚くほど勤勉だった。朝は早くに起き出して庭で育てている薬草の手入れをし、適当に作った朝食を取りながらも常に目は魔導書の文字を追っている。朝食を終えると書庫で莫大な量の魔導書を整理したり、途中でぱらぱらと捲った魔導書に目を留めてそのまま読みふけったり、かと思うと突然床に何かの公式を書き、「違うな」等と呟いたりしている。そして日が暮れるとさっさと夕食を食べ、床に入ってしまう。
レイザンは、そんなルーチェの様子が面白くてよく見つめていた。あまり見つめていると邪魔そうにこちらを睨むので、時々剣の素振りなどしてみたが、しばらくすると中に戻ってまたルーチェを観察した。たまに話しかけたりもしてみたのだが、大抵無視された。
最初の二日はそんな感じだったのだが、三日目に、レイザンは朝食を作ることにした。ルーチェがどのくらいの時間に起きるのかは大体分かったので、少し早くに起きてみた。二日間、レイザンの朝食はルーチェが何も言わず作ってくれていたのだが、さすがに泊めてもらっているのだからと、腕によりをかけてみた。
ここでの食事の材料は、全てが薬草と同じように畑で育てられている野菜である。どうやら肉は食べないらしい。レイザンは畑から食べ頃の野菜を収穫すると、手際よく調理する。ルーチェの料理もかなり美味なのだが、レイザンも負けてはいなかった。手芸の腕もさることながら、料理も得意なのである。
料理が出来上がる頃にルーチェが起き、台所に立つレイザンを驚いたように見つめていた。レイザンは、めったに表情を変えないルーチェの新しい一面を見て何だか嬉しくなる。のそのそとテーブルについたルーチェの前にレイザンはいそいそと料理を出した。
「ほれ食え。泊めてもらってる礼だ」
ルーチェは眉根を寄せつつ、料理を口に運ぶ。レイザンがわくわくと見守る中、呟いた。
「結構うまい」
「よっしゃ! そうだろ? 俺料理には自信あるんだよ」
「料理にも、だろ」
そう言い返され、レイザンは「何が?」と不思議そうに問う。
「お前、刺繍も得意だろう。森で迷った時に、マントに刺繍してた。森の中であんな寛いで縫い物する奴初めて見た」
「え、あれ見られてたのか」
さすがにレイザンは赤面した。しかし相変わらずルーチェは冷静だ。
「森には師の結界が張られている。誰かが来たら、師と私には分かるようになっている。様子を見て問題なければここに導く。お前のように」
「…俺、何で問題無しと見なされたんだ?」
「あの状況であんな緊張感ない奴警戒してもな。それに、せっかくだから繕い物でもさせようかと」
ルーチェは、そんな失礼な事を言いながらレイザンを見やったが、何故かレイザンの表情は明るくなった。
「え、繕うものあるのか? やるやる。どうせグラン殿戻るまで暇だし、堂々と刺繍出来るなんて久しぶりだなあ」
「…お前、王命受けてるのに良いのか」
「だって説得相手がいないんじゃ、どうしようもないないじゃないか。待ってる間何してようが別に良いんじゃない?」
「…そう」
ルーチェは呆れたようにため息をつき、再び朝食を口に運んだ。