桜咲く頃
※ ※ ※
「くっそ!!」
一向に見つかる気配の無い“桜の花”に俺は少々焦りを覚えていた。午前中はあっという間にすぎ、窓から指す光がオレンジ色を帯び始めていることで、もう時間は夕方近いことが分かった。
睡眠不足のせいかもしれないが、俺はとうとう切れた。
「絶対に突き止めてやる!!」
そういいながら家中の物置という物置、押入れという押入れの中をくまなく探し回ったが、“桜の花”に関係するようなものはわずかだった。
見つけられたのは、桜の描かれた数枚の食器と、ポストカード、それにアルバムの写真だった。
「もしかして、卒業アルバムの写真とか……か?」
桜の花が写った写真など山ほどある。どれがモノノケの求める代物なのかまったく持って見当がつかなかった。
「だいたい、これらにどんな約束があるってんだよ……。」
頭を掻き毟りながら俺は必死に考えた。
モノノケの言う夜がいつからなのかは分からないが、日が沈む前には見つけなければならないだろう。日没まであと1時間。それまでに見つけられなければならないと思うと余計に焦りが募った。
「落ち着け、もう一度考えよう。」
自分を励ますつもりで言い、大きく深呼吸をした。
まず、桜の花は間違いないだろう。そして、それはモノノケたちが花見ができるようなものなはずだ。ということは、それなりの大きさを持っていると考えられる。ならば、現在俺の前に並べられた“桜の花”に関するものはすべてモノノケの求める物とは異なってしまう。
一方で、“かの人”は叔父と何かを約束したのだ。“かの人”がいなくなってから“桜の花”を見れなくなったようだったから、“かの人”は叔父に“桜の花”を出すように言っていたはずだ。
「出す……どこから何を出すんだ?」
もう、家中のものを引っ張り出している。だが、モノノケの反応は何も無い。
そのときだった、またあのモノノケが姿を現したのだった。
昨日と同じ、三白眼に緑の顔をしたモノノケは、山伏の格好でひょこひょこと歩きながら、鼻歌まじりに外に出て行く。
―さてさて、そろそろ夕刻じゃ。-
―松尾大社へ参ろうぞー
「ちょっと待て!!」
今度こそ逃がさないぞとばかりに、俺がモノノケ達に声をかけるとモノノケは、驚き顔でこちらを見つめた。
―またじゃ!!-
―こいつ、我等が見えるぞー
「お前たちは何が欲しいんだ?」
―桜の花じゃー
―かの人の縁者よ。もう一人の縁者は忘れてしまっておるが、お主は知っているか?-
「何をだよ?約束のことなら詳しくは分からない」
―そうであろう。―
―あと、もうじき。黄昏時が終わり、夜の帳が下りる頃、我等は松尾大社へ祈願に行くぞー
―祈願に行くぞー
「もう少しだ!もう少し詳しく教えてくれたらお前らの欲しがっているものを出してやる!」
俺はモノノケ達に言ったが、モノノケ達は聞く耳を持たないらしく、そのまま小躍りしてどこかに消えようとした。
「おいこら!逃げるな!」
俺が、モノノケを追おうとした矢先、居間のほうからリンリンと電話がなる音が聞こえた。
電話を無視してモノノケを追いかけようかと考えたが、叔父の留守を預かる身である以上、この家にかかってきた電話を無視することはできなかった。
内心舌打ちしながら、急いで電話を取ると、それは意外な人物からの電話だった。
「と、父さん…」
『葵か?』
「あぁ。」
一気にテンションが下がる。父親からの電話ならば無理にとることもなかったのに。
父親の声はいつもと同じ感情がない、ぼそぼそとしたものであった。正直、あまり好んで聞きたい声ではない。
「……叔父さんなら今いないよ。」
俺は早く電話が切りたくて冷たく言い放った。しかし、親父の返答は俺の予想外の内容だった。
『いや、お前に用事があって電話した。』
「……なに?」
『変わりはないか?』
研究一筋に生きてきて、家族のことなど省みない父親が、息子である俺のことに関心を持って電話はかけてきたということは、俺にとって衝撃的な内容であった。
「うん……」
なんと言っていいか分からず、俺は短く答えた。
「……。」
『……。』
「……。」
『……。』
お互いしばし電話口で無言だった。何をどう話せばいのか、お互いが戸惑っている、そんな感じだった。
ふと、父親が思いついたように話題を振ってきた。
『そっちは……もう桜が咲いているのか?』
「は……?あ、うん」
『そうか……。』
「そっちは?」
『まだ蕾だと思うが。しばらく外に出ていないから分からないな。』
「相変わらずだね。」
『……桜といえば、今年はもう屏風を出したのか?』
突然のことで父親が何を言っているか、俺は理解できず間の抜けた返事をした。
「は?屏風?」
『お前の母さんが好きだった屏風だ。桜の花に……たしか亀の絵が描かれている屏風だ。あいつは春になるとそれを好んで飾っていた。丁度……そう今くらいの時期だ。桜が満開を迎える頃に。』
この父親の一言で、すべての点が繋がったと俺は思った。
興奮でどうしていいか分からず、俺は父親に何か言って慌しく電話を切った。何を言ったかよく覚えていない。「ありがとう」なんて、柄にも無いことを言ったような気がする。
とにかくこれですべての謎は解けた。後は、その屏風を探すだけだ。
※ ※ ※
再び一度部屋中に並べたものを確認するが、屏風は見つからなかった。屏風なんて大きなもの、見落とすはずは無いと思いつつ、何度も何度も確認する。
「どうしてないんだ!!」
絶対の確信を持ったのに、肝心の屏風がどこにも見つからない。俺は焦りで震える声で叫ぶように言った。
「おやおや。こんなに引っ張り出して、葵君も骨董が好きになったかい?」
振り返ると仕事を終えた叔父が、電気をつけるところであった。
時計を見ると、もうまもなく日没という時刻だ。
俺は藁をもすがる思いで叔父につかみかかり、懇願するように言った。
「叔父さん、覚えている?桜の花の描かれた屏風を!母さんが好きだった、屏風だよ!!」
「姉さんの好きだった……あ!!」
叔父ははじめ訝しげな表情をしたが、何かを思い出して鞭打たれたように走り出した。
俺も叔父の後に続いて走った。
この家の敷地はこんなに広かったのだと思うくらい全力疾走で結構な距離を走ると、叔父と俺がたどり着いたのは大きな蔵の前だった。
叔父は手際よく蔵の鍵を開ける。ぎいという重い音とともに、扉が開き、中からは埃くさい饐えた匂いがする。
俺にとっては暗闇の蔵の中は得たいの知れない空間で、一歩足を踏み出すこともできない状態だった。だが叔父はそのまま無言で蔵に入ると、まるで導かれるかのように蔵の最奥へと進む。そして、大きな何かを抱えて戻ってきた。
「葵君、これだよ!!」
息を切らして戻ってきた叔父が抱えてきたのは大きな屏風だった。
もう、まもなく日が沈む。その寸前に俺はその屏風を受け取るとそのまま庭に広げた。
瞬間、突風が吹き、その風とともに黒いものが屏風に向かって行き、そして消えた。
そして庭に響いた大きな歓喜の声。
―あな、嬉しや!-
―20年ぶりの花ぞ!!-
―久方振りの花見じゃ!-
―あな嬉しや!-
―あな嬉しや!-
「い、今……なんか黒いものが屏風に吸い込まれたように見えたんだけど……。」
新調したばかりの眼鏡をとり、目をこすりつつ叔父は言った。そんな叔父に俺は少し悪戯っぽい笑みで答えた。
「そうですね。きっとこの桜を待ちわびていたものたちですよ。」
視線を戻すと屏風には見事な桜が描かれていた。淡くてはかなくて、今が盛りの満開の桜。その屏風の端には2匹の亀が仲良く桜を見ようと首を伸ばしている。
確かに屏風が畳まれた状態では、左端に描かれている亀達からは右端に描かれた桜が見えないのだろう。
「すっかり忘れていた。」
屏風を見つめながら、叔父がポツリと呟くように言った。
「この屏風、姉さんが好きだったんだ。春になるといつもこうして飾っていた。丁度、桜が咲く時期にあわせてね。…約束も、思い出したよ。」
「どんな約束だったんですか?」
「年に一度、春にはこの屏風を必ず出すってことさ。出さないと亀達が悲しがって化けて出るわよといっていたなぁ。」
「母さんが……そんなことを?」
「あぁ。姉さんはよく不思議なものを見る人だった。僕にはそういう力はないからよく分からないけど、物や植物の気持ちが分かるっていうか、精霊とか見えたみたいだったよ。よく、そういう話を聞いたなぁ。僕がまだ小さい頃だったから、そういうものが見れる姉さんがとても羨ましかった。」
その話を聞いて、自分の能力に納得がいった。突然変異だと思っていたモノノケを見る力は母譲りのものだったのか。
ふと、母はどんな思いでこの家で過ごしていたのだろうと思った。
確かにこの家には骨董品も多く、さまざまなモノノケの存在を感じる。
―あな、嬉しや!―
こんなモノノケの姿を見て、母は嬉しかったのかもしれない。だから毎年出し続けていた桜の屏風。その屏風絵の桜の花は、俺になぜか優しい母を思い出させた。だからだろうか。屏風の桜を見ていると不思議と心が落ちつき、今までの不安が嘘のように消えていた。
「こうしていると、姉さんのこと、思い出すな。」
叔父も同じことを思ったようだった。
「ねぇ叔父さん。今夜はここで花見をしようよ。」
丁度今夜は満月。夜桜を眺めるのもいいと思ったのだ。
叔父はそんな僕の提案に意外そうに笑って言った。
「でも、勉強はいいのかい?」
「えぇ……そうですね。たまの気分転換ですし。」
「そっか。そうだね。」
そういって叔父はいつものようにやんわりと笑った。
気づけば蔵のそばには大きな桜があり、まさに今は盛りと咲き誇っている。俺は周りが見えていなかったのかもしれない。その証拠に、自分の部屋から見える位置に蔵があるというのに蔵の存在も気づかなかったし、桜が満開に咲いていることにも気づかなかった。
同じように俺の体調を本気で心配してくれた叔父や、様子を気にしていた父の心境にも気づかなかったのかもしれない。
いろいろと反省することは多い。試験まであとわずかという時間の中で、勉強しなくてはならないという思いはあるけど、今日くらいはいいだろう。
今日は亡くなった母の愛した桜を、それを待ちわびていたモノノケと共に愛でよう。
そして今はただ、告げられた春の訪れを感じよう。
終