約束
※ ※ ※
(やっぱり…。)
俺は布団の中で、少々げんなりした気持ちになった。
布団から起きもせず、そのまま顔を時計のほうに向けると、時計は2時を指している。
もちろん夜中の2時である。
丑三つ刻と呼ばれる時間に響き渡る謎の声。
ある意味絶好のシチュエーションであるのだが、そういうのを望んでいない俺にとってはまったくと言っていいほど迷惑極まりないシチュエーションである。
今日も一日勉強しまくりで、見たいテレビもやりたいゲームも我慢している生活を送っている中、わずかな幸せが眠る時間というのに、それすらも妨害されているこの事実がたまらなく腹立たしかった。
俺は無視を決め込んで、そのまま寝ようと試みた。
今朝の叔父の会話から、この声の主達が所謂「人で無いモノ」であることが決まったのだから、変に気にしても仕方が無い。
中途半端に関わってはいけない存在であり、たとえ気づいたとしても無視するのが一番の対処方法であることを、俺は幼い頃からの経験で学んでいる。
―まだかの?まだかの?-
―今年こそは見られるじゃろかの?-
―もう何年見れておらぬかの?ー
―はて、何年じゃったかのー
ここまでは昨日と同じ会話だった。
だが、次の瞬間俺は自分の不運を嘆くことなる。
―そうそう、今日不思議な人間を見たぞー
―どんな人間か?-
―我の姿が見えるようじゃったー
―かの人以外で我らを見る者はおらなんだー
ーかの人の縁者かの?ー
(…もしや、俺のことか?)
夕方に見かけたモノノケを思い出し、布団の中で思わず聞き耳を立てた。
―かの人に似ていなくもないが、どうじゃろ?-
―縁あるものはかの人の約束、覚えておらなんだ様子―
―今年も無理かのー
落胆を帯びた声が、闇夜に響き渡る。
(約束?俺はそんなの知らない…。)
―早くせねば終わってしまうー
―そうじゃの。花の盛りは短いからのー
―今年こそは見たいのぉー
―見たいのぉー
ー今年こそは出してくれまいかのー
―出してくれまいかのー
(花?出す?どこから何を出すんだろう?)
約束というのが自分がしたものであれば、何かしら思い出されるのではないかと思い、俺はモノノケたちの会話を聞き、考えを巡らせていた。
声はどこから聞こえてくるのだろうと思い、俺は少し布団から顔を覗かせてみたが、夕方にみた不思議な存在の姿はなく、声も部屋の中から聞こえているのか、それとも外からなのか、一向に分からなかった。
そのうちモノノケが物騒な提案をした。
―いっそ、松尾大社の神々にお願いしてこの家に災いをもたらしてもらおうかー
ーそうじゃの、おおやまくいの神様なれば、きっと我らが願い聞いてくださるー
―あぁ、20年も待ったのじゃ。約束を忘れた人間が悪いー
(はぁ?なんでそうなるんだ??)
いきなりの展開に俺は思わず心の中で突っ込みを入れた。
―では、早速明日の夜に詣出ようー
―この家への災いを祈念しよう。―
―まずは約束忘れた縁者の目をば盗ってしまおうぞー
―さすれば思い出すじゃろぉー
モノノケというのは自分の物差しで動く。だからこちらの言い分など通用しない。
俺が約束をした記憶がなくとも、モノノケが勝手に約束したと思い込んでいる場合もあるのだ。
どんな些細なことであってもモノノケが生み出す不幸や災いは侮ってはいけない。時には人の命までも奪うからだ。
今の場合、俺の脳内では災い=受験失敗という構図があった。
(冗談じゃないぞ!?)
だが、モノノケたちは俺の気持ちなど知る由もなく、松尾大社詣でに行く気満々の様子だった。
―明日の夜は松尾大社の神々に詣でようぞー
―詣でようぞー
ー今年こそは花を愛でようー
―今年こそは花見じゃー
やがて声は徐々に遠のき、小さくなっていく。
「ま、待て!!」
俺はがばりと布団を蹴り上げて起きたが、声はそのまま聞こえなくなってしまった。
辺りは何事もなかったかのように静寂に満たされ、俺だけが布団の上で呆然と立ち尽すという構図となっていた。
「おいおい…勘弁してくれよ…」
こんなことで受験に落ちたとしたら笑い話にもならない。
それに気になったのは「縁者の目を盗る」という言葉。
もしや目が見えなくなるということになったら、試験も受けられないではないか。
モノノケは明日の夜に松尾大社に詣でると言っていた。
だとすると残された時間はあと1日だ。
貴重な勉強時間が減るのは正直痛いところではあるが、このせいで試験に落ちるよりはましである。
俺は布団の上に座り込み腕を組むと、モノノケを止める方法は何かないものかと考え始めた。
※ ※ ※
ほぼ徹夜の状態で、導き出した結論は、モノノケが見たがっている「何か」を見せてやることだった。
だが、肝心な「何か」というのが分からない。モノノケたちが言っていた言葉からその「何か」を俺は回らない頭で必死に考えてみた。
春、花の盛り、花見…とくれば、桜の花だろう。
それにモノノケたちが「出してくれないか」と懇願していたことから、その桜の花はどこかに仕舞われてしまっているのだろうと推測された。
とは言うものの、20年も仕舞われっぱなしの桜の花であるのだから、生花である可能性は限りなく低いだろう。
「うーん。でも押し花とかなら生に近いかも。あ、でも押し花は生じゃないか…な?」
と一人ぼけ突っ込みをしてみる。
考えても仕方がないので、俺は手始めに自室の押入れを探すことにした。
自室といっても、居候の部屋であるから押入れの持ち物は自分の私物ではないのだが、この際そんな些細なことはどうでも良くなっていた。
ばたばたと押入れをかき回し、桜の花に関係がありそうなものを手当たり次第に探す。
大体にしてなんで自分がこんな厄介ごとに巻き込まれなくてはならないのか。
“かの人”が何かをして、それを血縁に託していたものの、その血縁者が約束を忘れてしまったことで、モノノケが怒っているという状況だ。自分には関係ないではないかと思う。
20年前まで居たという“かの人”。
“かの人”とは一体何者で、モノノケに何をし、血縁にどんな約束をしていたのだろうか。
「おはよう葵君。」
突然、背後から名前を呼ばれ、俺は驚きの余り立ち上がろうとして押入れで頭をぶつけた。
「いいってぇ~」
「あぁ、ごめん。驚かせようと思ったわけじゃないんだけど。」
俺が押入れから出ると、エプロン姿の叔父が恐縮したように言った。
ふと気が付くと部屋は明るく、窓からは朝日が差し込んでいる。
押入れの捜索を始めたのは明け方だったから、2時間近くも押入れで探し物をしていたことになる。
「あ、叔父さん!おはようございます。」
寝不足の俺は少しぶっきらぼうに言ってしまったのが、叔父はいつものように柔和な笑みを浮かべながら、部屋の惨状を見渡した。
部屋には押入れから出した様々な品物が所狭しと並べられていたからだ。
「朝からどうしたんだい?」
「すみません、勝手に色々あさっちゃって。ちょっと探し物を。……あ、気が変になったわけではないですから。あとできちんと片付けます。」
「うん、それは気にしなくていいよ。この家は君の家でもあるし。それはいいけど…なにか探しものかい?」
改めて叔父に聞かれて、俺は返答に困ってしまった。探し物だけど、一体何を探せばいいのやら。
「たぶん…桜の花…だと思います。」
「桜?桜なんて、押入れに無いと思うけど……。」
「……そうですよね。」
自分でも無茶苦茶なことを言っていると自覚しつつも、昨日までのこととこれから自分がしようとしていることをどのように説明していいか分からず、俺は曖昧に笑った。
ふと、叔父を見るとなにやら違和感があり、俺は叔父をまじまじと見た。
少し長めの髪が寝癖でくしゃくしゃなのは相変わらずで、エプロン姿もいつもとなんにも変わらない。 いつものようにメガネをかけて、柔和な笑みを浮かべている。
と、そこで違和感があった。
「お、叔父さん!!そのメガネどうしたんですか?」
見れば叔父のメガネに大きなヒビが入っている。違和感の原因はこれであった。
ちょっとおとぼけな感じの叔父が、メガネのヒビのせいでおとぼけ感に拍車が掛かっている。
「いや、今朝起きたらこうなっていたんだよ。メガネは机の上において寝ているんだけど、寝ぼけてなにかやったのかなぁ……。」
叔父はちょっとはにかんでそう答えた。
「そんなに大きいヒビじゃ、メガネかけてもよく見えないんじゃないですか?」
「うん。そうなんだよね。でも、メガネが無いと、なにも見えないからね。仕方がないから午前中はメガネを直しに行って来るよ。」
そのとき、俺の脳裏の深夜に聞いたモノノケのセリフが思い出された。
『まずは約束忘れた縁者の目をば盗ってしまおうぞ』
目を奪うとは視力を奪うのではなく、メガネを壊すことだったのではないか。ということは、約束を忘れた縁者というのは、叔父のことなのではと俺は思い立った。
そうであるならば、おれ自身が約束を覚えていないことにも辻褄があう。
「叔父さん、ちょっと突然聞いてもいいですか?」
「ん、なんだい?」
相変わらず柔和な笑みを浮かべて叔父は答えた。
「何か約束忘れていないですか!?」
また唐突な俺の質問に叔父は面食らった顔をしたが、俺の真剣な表情に断りきれなかったのか、うーんと考え込みながら答えた。
「約束……?葵君との約束?……ごめん、覚えていない。昨日約束した?」
「いや、俺との約束じゃなくて、……20年くらい前にした約束です!」
「20年前?そんな昔の約束、葵君は生まれていないだろう?」
「~!!」
そうじゃなくてっと思いっきり叔父に突っ込みを入れたい衝動をなんとか押さえ、俺はなんとか叔父に思い出してもらおうと考えを巡らせた。
「たぶん叔父さんは20年前に誰かと約束しているはずなんです。桜の花を何かするとか、それを掘り起こすとか、そういった感じの約束だと思います。」
俺はゆっくりと言葉を紡いだ。叔父の失われた記憶を呼び戻すために。
「20年前…か。僕はまだ12歳…小学生の頃の話だね。」
「そうなりますね。」
まだ30代そこそこの叔父であればそうだろう。どんなことを叔父が思い出し、話してくれるのか、俺は固唾を呑んで見つめていた。
「うーん。20年前だと、まだ姉さんがこの家にいたころだろ。両親はもうその頃には事故で死んでしまっていたけど、お祖父さんは健在だったなぁ。……お祖父さんからは、この家を継いでくれと約束させられたようなものだけど、それが桜の花とはなんの関係もないしなぁ。」
次々と思い出される叔父の記憶。それは俺が知ることのない母の家族の記憶であった。
「それで、他には?何かありませんか?」
「うん……ごめん。やっぱり分からないや。」
だが、叔父は困ったように眉をひそめると、申し訳なさそうに言った。
確かに桜の花というキーワードだけで20年前の記憶を思い出してほしいということの方が無茶なお願いだと思う。
「本当にごめんね。」
「いえ、すみません。突然変なことを言って……。」
「あ、そろそろ朝食を食べないといけない時間だね。今日は午前中は休診だけど眼鏡を直しに行かなくちゃならないしね。葵君は…勉強かい。」
「あぁ……まぁ……」
本当は勉強しなくてはという思いがあるものの、モノノケの呪いを阻止すべく、今日中に“桜の花”を探さなければならない。俺は叔父の問いかけに曖昧にうなずいたのだった。
※ ※ ※