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魔法が使えない魔法使い  作者: 浮島 藍
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課外授業「イッセンの森」

七章(その2)、課外授業「イッセンの森」



 その空間はしんと静まりかえっていた。軽い気持ちで立ち入ってはいけないのだ、とエンリケは感じ取った。

(それにしても)エンリケは隣のアイリンを見た。

(師匠にあんな異名があったなんて、知らなかったな。轟……“雷”の……うっぷ)

エンリケは貧血を起こさないうちに考えるのをやめた。

「こっちだ。おいで」

アイリンの後ろをくっついていく。あちこちに先ほどの番人と同じ服装の魔導師が巡回しているところを見ると、よほど大切な場所なのだろう。

 やがて二人は一つの区画の前にやってきた。

(何だろう、これは?)

目の前には妙ちきりんな装置が置いてあった。うっすらと光っているのは内蔵された魔石だろうか。アイリンはその装置に手を置いて説明する。

「これは、何百もの魔法を記録できる魔法道具だ。ちょっとした事情で一種類しか記録させてないが、それでも素晴しい発明品の一つ―――」

その装置の名前が、プレートに記されて掲げられていた。

「『イシスタルの鏡』……!」

エンリケの胸が高鳴った。アイリンの顔もややほころんでいるように見える。

「なかなか使わせてもらえない代物なのだよ。こういう時、トーナメントで優勝した実績が役に立つ」

アイリンはにやっと笑って装置を稼動させる。すると、装置の前の床にぼんやりと光の線が浮き上がり始めた。どうやらこの装置が投影しているらしい。それは複雑な模様を描き、規則性のまったく分からない難解なものだった。エンリケはそれを見ながら、ふと思いついたことを口にした。

「師匠、もしかして『転送魔法』と関係が?」

「そうだ」アイリンはうなずく。

「これは魔法陣だ。『転送魔法』のね―――この装置が記録している唯一の魔法だよ」

「へえ……っ!でも、なぜ一つだけなんですか?」

エンリケの問いに、アイリンは一瞬沈黙した。

「師匠?」

エンリケは師匠の目にいくらかの影を見た。彼女は溜め息をつく。

「―――兵器にされないためさ。高すぎる性能も、時には厄介なものだよ」

アイリンは同情のこもった目を『イスシタルの鏡』に向けた。

「さあ、この魔法陣を見てごらん。とても複雑だ。これを人の手で描こうとしたら一苦労だろう。だからこの装置が代わりに描く。―――よし、頭で考えるより、まずは体験だ」

アイリンはエンリケを手招きして魔法陣の中に立たせた。

「手足をはみ出さないように気をつけろ。うっかり指を失くした魔導師を知っている」

エンリケはきゅっと身を縮めた。その隣にアイリンも立つ。

「エンリケ、これが『転送魔法』だ―――」

二人の姿は魔法陣に吸い込まれるようにして、消えた。


 めまぐるしく風景が変わる。まるで万華鏡を覗いているかのようだ。きりもみ状態になって落下していく―――と思ったところでエンリケの回転運動は停止した。

「ここは……?」

森?辺りは濃厚な緑の匂いで満たされ、どこを見ても木、木、木である。

(カリストの森……?)

エンリケは一瞬そう思ったが、カリストの森よりも広そうなのでその考えを打ち消した。

傍に立っているアイリンの顔がなんだか遠い。彼女はエンリケを見てちょっと笑い、

「ここはイッセン領の森だよ。ほら、立ちたまえ」

「あ」

自分が妙な姿勢で転んでいることに気がついたエンリケは、赤くなって立ち上がった。

(すごいな、一瞬だ)

アズブルク領からイッセン領に行くには、馬で旅して三日ほど掛かるはずだ。それが3秒も掛からなかった。

(これが転送魔法!)

おそらく一生に一度の体験だ。エンリケはどきどきする胸を押さえた。

「さあ、ちょっと散策してみようか。ここは希少な植物が多いし、何より『魔力の吹き溜まり』があちこちにある」

アイリンはすたすたと歩き始める。エンリケは彼女の後を追った。

 少し行くと、太い幹を持った背の低い木が、ゆっさゆっさと身を揺すりながら二人の前を横切っていく光景に遭遇した。

「!」

「ふむ、あれはタビサンザシだな。実が薬や酒になる。―――よし」

何が「よし」なのか、アイリンは歩く速度を上げると、タビサンザシの実を一つもぎ取った。その途端、

 タビサンザシが、消えた――――いや違った!突如として走り出したのだ。目にも留まらないスピードだ。およそ植物のものとは思えない。

「エンリケ!」アイリンが叫ぶ。

「あの木から、実を十個とっておいで」

「は―――はい?」

エンリケは面食らった。

「あの、師―――」

「言っただろう、私の指導は厳しい、と。さあ、引き離されてしまうぞ」

「え、ええー」

エンリケは訳も分からぬまま、逃げる木を追いかけた。逃げる木ってなんだ。

 森なので地面がでこぼこしている。サンザシは器用に根を使って走るが、エンリケの二本足はしょっちゅう転んだ。

「ま、待て!」

エンリケは歯を食いしばった。木々の間を、サンザシはぶつかることなく逃げていく。

「くっ、くそー」

タビサンザシの体力は底抜けのようだ。エンリケの持久力が先に尽きそうだとは、一体どういうことだろう。

 ―――やがて、目標を見失った。疾走する木など、視界の何処にもない。

(参ったなあ……)

エンリケは肩で息をしながら途方にくれた。

「ちょっと休もう……」

エンリケはどさっと座り込み、目を閉じた。

 そよ、と風が吹く。

「ん……」

近くから、ちゃぷんちゃぷんと音がした。水の音ではない、魔力の音だ。エンリケは目を開けた。

(どこからだろう?)

その時、アイリンの言葉が蘇った。

「『魔力の吹き溜まり』!」

エンリケは立ち上がった。目には見えないけれど、確かにこの辺りには魔力が充満している。とても小さな範囲に。

「分かったぞ!」

エンリケは歩き出した。

(タビサンザシがずっと走れるのは、魔力の吹き溜まりを通って逃げているからだ!やっぱりあの木も走ると疲れるんだな……魔力はあの木の体力なんだろう)

エンリケは耳を澄まし、魔力の音を感じる方へ歩いて行った。ばらばらに点在している吹き溜まりのどれを通るか迷って、なんとなく魔力が少ないような方を選ぶ。あの木が魔力を食べていっているから、減っているはずなのだ。

「!」

しばらく歩いて、地面に小さな赤い実が落ちているのを見つけた。エンリケは微笑んだ。拾ってポケットに入れる。

「この先だ」

少年は足音を忍ばせて進んでいく。やがて―――

(いた!)

タビサンザシは追っ手を撒いて安心したのか、立ち止まって休憩している。エンリケはそうっと近づいた。

(よし、いける!)

エンリケは手を伸ばし、実がついた枝を掴んで、折り取る!

 ――――哀れなタビサンザシは再びマラソンをする羽目になった。


 「あ、どうしよう」

エンリケは再び試練に見舞われていた。

「遭難した……」

広い森の中をジグザグに走ってきたから当然だ。目印になるようなものもないし。アイリンはおそらくスタート地点にいるのだろう。

「うーん」

(困ったぞ……)

タビサンザシの実はちゃんと手に入れた。しかし帰れないのでは意味が無い。

「考えろ!」

迷子になった時には、むやみに動いてはいけない、と言う。しかし、アイリンがエンリケを探しに来てくれるだろうか?

(……自力で戻らないと、だめそうだなあ)

エンリケは勘を頼りに歩き出した。





 アイリンは木立の中から植物の塊が這い出してきたのを見て微笑んだ。

「楽しんだようだな、エンリケ」

「……ひゃい」

茎塊の間から苦しげに聞こえるのは、弟子の声である。彼は植物が巻きついた腕をぷるぷると伸ばし、赤い実がたっぷりついた枝を差し出す。しかしアイリンはすぐには受け取らなかった。「1、2、3……」と実の個数を数えている。

「は、早く助けてくだひゃい」エンリケは訴えた。

「……10、11、12個。よしよし」

アイリンはエンリケから植物を引き剥がしてやった。

「はあっ……」

エンリケは自由になった身体を見下ろした。泥だらけだ。

(ひどい目にあった……)

 大変な帰り道だった。エンリケはまたしても動く植物に出会ったのだ。ただ一つタビサンザシと違ったのは、今度はエンリケが逃げる番にまわったということだ。アイリンが解説する。

「これはワタリエンドウだ。動物に巻きついて、種を遠くへ運んでもらおうとする。いきのいい動物にほど嬉々として寄ってくるから、エンリケ、君は相当頑張って逃げたらしいな」

アイリンは地面に落ちている大量のワタリエンドウに目を落とした。

「あの、死ぬかと思いました」

エンリケはほんの少しの抗議も込めて言った。なぜ植物といっしょに森を駆け回らなくてはいけないのだろう。けれど、師匠の「よくやった」という思わぬ褒め言葉に、ついはにかんでしまう。

「私が初めてタビサンザシの実を取って来れたのは十四歳の時だから、君のほうが優秀だな」

アイリンはさっと杖を振って、エンリケの服の汚れを拭った。

「さあ、森を出よう」


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