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魔法が使えない魔法使い  作者: 浮島 藍
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準備

十四章(その9)、準備


 「行ってしまいおったわ……」

マスターは空を見上げながらつぶやいた。アイリンが行く時、いつもこのような光景を見るが、今日はどことなく寂しげな後味を残した。横を見ると、すでに見えなくなった師匠の背中を、いつまでも見送る少年がいる。彼は琥珀色の瞳にうっすらと何かを滲ませながら、微笑んでいた。

(ただの餓鬼じゃがのう)

マスターは思う。この少年が、アイリンの唯一無二の弟子であること。

名の知れた魔導師には何人もの門弟がいることが多い。しかしながらアイリンがなぜ今まで弟子を取らなかったか、そしてなぜエンリケを弟子にしたのかを、マスターはやっと理解した。

 アイリンが己が強力すぎる兵器であることを知っている。世間に多少大げさな噂が流れているとしても、火の無いところに煙が立たないのと同様、彼女が敵か味方かで優勢劣勢も決まる。と言っても過言ではない。

 マスターはエンリケのことをヘボ魔法使いだと思ってはいるが、アイリンの言う『夢の先』が何であれ、この少年ならば辿りつくことが出来るかもしれないとうっすら思い始めた。

(ふっ、馬鹿な。わしも耄碌し始めたか?)

「小僧、いつまで突っ立ておるつもりじゃ。仕方ないからわしがカンドゥールへ行く支度を手伝ってやるわ。ちっ」

マスターは舌打ちしながらも口の端に笑みを浮かべていた。



 エンリケが大きな一歩を踏み出すにあたって、世界の地理について少し説明が必要になるであろう。まず少年の出身であるアズブルクや課外授業で訪れたイッセン、エルマンの街があるのが『ラスカー王国』。その隣国、ここマドーラ地方が含まれるのが『ロシャン公国』。そして、カンドゥール学院があるのが非領土地区、ペルロッドである。ペルロッドは大陸の南にある大きな島で、そこには王もいなければ政府も無い。管理する組織はあれど、正真正銘、『どこの国でもない』地域である。



 その夜、エンリケは部屋で荷物の整理を始めた。もともと彼の所持品は少ないが、そこにアイリンの蔵書が加わったので量は大変なことになっている。

「……手伝う?」

やってきたのはマルジャだった。エンリケはぱっと顔を輝かせた。

「ああ、助かるよ!……師匠の本の量がすごくてさ。えっと、じゃあそこのをまとめてくれるかい?」

「分かった」

マルジャはうなずいて、てきぱきと動き始めた。彼女は仕事が早い。マルジャが来た途端、作業がはかどり出した。

「それにしても、エンリケが魔法の学校に行くなんてねー」

マルジャが言うと、エンリケもうなずいた。

「僕もびっくりだよ、はは。半年の期限付きだけど、僕の母親や師匠が通っていたところだから、ちょっと不安かな」

「不安?」

「考えてもみなよ」

聞き返したマルジャに、エンリケは向き直った。

「あの師匠があんなになった学校だよ?母も魔法使いとしては優秀だったし。でも僕は魔法が使えないからね。うーん、まあ劣等生になるのは目に見えてるけど、仕方ないか」

エンリケの表情はしかし明るい。新天地への期待が、彼の胸を膨らませているのだろう。

 マルジャは手元の書物に目を落とした。彼女には到底理解できそうもない、難しい文字の羅列だ。エンリケはずっとこれで勉強してきたのだ。

「エンリケなら、大丈夫だと思うけどなあ……。って、私は魔法使いのことなんて分からないけどさ。でも、あっちに行ったらこの街がつまらなくなるかも知れないね」

マルジャはひそかに溜め息を落とした。向こうに行ったら友人もできるだろう。魔法使いの友人が。対して自分は、こんな田舎の下宿屋の娘でしかない。

「そんなことあるもんか。ここは僕の第二の故郷さ。半年ここの料理が食べられないとなると、ちょっと寂しいよ」

エンリケの言葉に、マルジャの心は浮上する。

「本当?」

「うん」

エンリケは迷い無くうなずく。

「ふうん、そっか」

マルジャは何気なく相づちを打って、そっぽを向いた。顔が思わず赤くなるのを見られたくなかったからだ。

 しかし、そっぽを向いた先の光景に、マルジャは思わず声をあげてしまいそうになった。部屋のドアの陰に何者かが潜んでいたのだ。よくよく見ればアフとレイラである。アフはともかく、レイラは唇に意味深な笑みを刻んで片目をつぶってみせる。

(なっ……えっ……)

マルジャはちらちらとエンリケを気にした。彼はまだ気がついていない。マルジャはほっと胸を撫で下ろし、隠れている二人に向かってあっちに行ってというジェスチャーをした。レイラは「まあ残念ね」という表情をし、アフを引っ張って階下に消えた。

(まったく、油断もすきも無い……)

マルジャは二人が完全にいなくなったのを確認し安堵した。けれど、それと同時に押し隠していた寂しさが忍び寄る。

(あーあ、遠いところに行っちゃうなあ)

この三年の間で、密かな恋心の種が芽を出したのはいつだったろう。はじめは風変わりな少年にちょっと興味があった程度だ。だが今自分が抱えている想いは確かなものに違いない。

 けれどそれと同時に、エンリケにとって自分はただの友人であることも自覚していた。想いを打ち明けて彼を困らせることになったら、それはとても悲しい。

(うーん、でも、でも……)

今言えなければ、もう機会は無い。いっそ打ち明けて、さっぱり振られるのが良いか。

(いやいや、ちょっと落ち着くのよ私。そう、そんなに好きかって言われれば、それほど好きなわけじゃないかもしれないし?!)

「……どうしたの?」

顔に出ていたのかもしれない。エンリケが訝しげにマルジャを覗き込む。マルジャの心臓が飛び跳ねた。

「!べっ、別に、何でもないわよ……。はあ、ちょっと明日の朝ごはんの仕込みをしてくる……」

「え?あ、うん。分かった」

エンリケは首をかしげながら、一階に降りていくマルジャを見送った。


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