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魔法が使えない魔法使い  作者: 浮島 藍
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カフカの血

四章、カフカの血


 「母様……母様……」


すでにマイヤーが逃亡した部屋で、エンリケは母の名を呼び続けた。


「母様……はは…さま……う、うわあああああっ!」


叫び声はあたりに響き渡った。何事かと集まってきた屋敷の者達が見たのは、ぺたりと座り込んで叫んでいるエンリケと、その横で息絶えているツルカの遺体であった。

「ツ、ツルカ……?」

使用人を掻き分けて、カールがやってきた。妻の身体を抱き上げて、彼女が醒めることのない眠りについてしまったことを悟る。一瞬の冷え冷えとした沈黙の後、

「エンリケ!何があったっ?!」

カールはエンリケを問い詰めた。しかしエンリケはがくがくと震えるばかりで何も話さない。そんな中、使用人頭が青い顔で走ってきて、

「旦那様、マイヤーの姿がありません。どこにも。もしかしたら……」

「なっ……なんだと?」

カールは使用人頭を見返した。

「マイヤーは腕の良い教師だと聞いていたぞ?人々にも慕われていると。何かの間違いではないのか」

カールは言いながら、混乱した頭をなんとか落ち着けようとした。しかし、腕の中のツルカを見るたびに、その心は大きくかき乱される。カールは歯を噛みしめると、声を絞り出した。

「マイヤーを……探し出せっ」

「し、しかし」使用人たちはどよめく。

「すぐにだ!本家からも人を呼べ!」

鬼気迫るカールの怒声に、彼らはわらわらと散開した。


「……エンリケ」

カールは息子に目を向けた。エンリケはびくりと肩を震わせた。

「ツルカは……お前を守ったのだな?」

カールの言葉に、エンリケはうなずいた。もう父の目を見ることが出来ない。誰よりも彼女を愛していたのだから。

(僕のせいで、母様が死んだ)

役立たずの自分が、母を殺してしまった。皆に頼りにされていた母を。カフカ家の誇りだった母を。この自分が。

(父様は、僕のことを憎むだろうな……)

父だけでない、誰もが、エンリケを指差して言うのだろう。よくもカフカ家の宝を死なせたな、と。

 その時、頭に暖かいなにかが乗って、エンリケの髪の毛をかき混ぜた。

「……怖かっただろう。もう大丈夫だぞ」

カールはエンリケの頭を抱き寄せて言った。

「お前が無事で、なによりだ」

「え……?」

エンリケはやっと父の目を見た。哀しみに染まっていたが、たしかに『父』の眼差しだった。憎しみなど一欠けらも混ざらない、優しい目だ。その瞬間にエンリケの心は今まで人生で感じてきたどの悲しみよりも、重くて鋭い……罪悪感に支配された。

(僕は――なんてことをしてしまったんだ。父様から母様を奪い、アズブルクの人々が頼りにしている魔法使いを奪い―――なのに、こうして僕は心配されて、守られて)

エンリケは父の手を振りほどくと、脱兎のように屋敷を飛び出した。後ろで叫ぶ声が聞こえたが、エンリケは振り返ることなく夜闇の中に姿を消した。



 アイリンは仮の宿にしているギルドの中で一人、書庫に籠もっていた。上の階では酒を飲んでいる者たちが賑やかに騒いでいたが、彼女はそういう席には混ざらない。こうして誰もいない部屋で過ごすひと時が学院時代からのお気に入りであった。いや、けっして人付き合いが嫌いなわけではないのだが。ただ、じっと瞑想のように心を落ち着けることが、自分の魔道の秘訣だと、そう思っていたのである。

 耳を澄ませば、あちこちから不思議な音が聞こえてくる。魔法使いだからこそ聞くことのできる、特別な音のせせらぎだ。それに耳を傾けて思案するのが彼女の日課でもある。

 その音の流れに、突然不純物が混じったのは、ほんの一瞬でしかなかった。しかしその呪われた旋律を、アイリンの耳は逃さなかった。

「これは……っ!」

アイリンは読んでいた書物をバチンと閉じると立ち上がった。彼女はゆったりした部屋着を着ていたが、着替えることなく外に飛び出す。

 ―――町では突然の落雷に人々が飛び起きたが、一回きりだったので夜の静けさが壊されることは無かった。



 エンリケはむちゃくちゃに走っていた。もう自分がどこにいるのかも分からない。

 前にもこんなことがあった、と思考の片隅で考える自分がいた。それすらも嫌で、エンリケは一層ぐしゃぐしゃに走る。


 少年の感情に反応してか、魔力がまた事故を起こしたらしい。エンリケの周囲の土が少し抉れていたり、草がなぎ倒されていたりした。けれど、エンリケはそのことに気がつかない。

(もうこのまま、死んでしまいたい。それで母様が生き返ればいいのに)

 その時、エンリケは柔らかい何かにぶつかった。全力疾走で勢いのついたエンリケを正面から受け止めても揺らがず、しっかりと掴むのは。

「大丈夫か?屋敷から逃げてきたようだな」

低めの落ち着いた声を聞き、エンリケはぐっと顔をあげて懇願した。

「助けて……アイリンさん―――!」


 「……」

屋敷にエンリケを連れ帰ったアイリンは、人々に囲まれている親友の亡骸の側に膝をついた。

「……」

周囲には嗚咽や嘆息が充満していた。ツルカの身体は綺麗に整えられた台に寝かされて、まるで眠っているかのようだった。

(ツルカ……目の前に見えているものが信じられないな。生きていない君の身体を、私は見ているよ)

アイリンは頭を垂れて、親友のために祈りを捧げた。そしておもむろに立ち上がると、人々を見渡して言う。

「この場に、魔法使いはいますか?」

答える者はいない。アイリンはツルカに向き直る。

「『死して旅立つ君の魂に……来世への祝福を。』ツルカ、君の息子はいい子だな」

呪いの穢れを祓い、アイリンはそっと目を閉じた。


 朝がやってきて、周囲を白い清らかな光で照らし出した。カフカ家の者は一睡もせずにマイヤーの行方を追っていたが、夜明けが来たことで徒労に終わったのだと悟った。

「カールさん、魔導師ギルドから連絡がありました。アズブルクの西南地区で、アッシュ・マイヤーの死体が発見されました。『本物の』、マイヤーは、一週間も前に殺害されていたようです」

アイリンの持って来た報せに、カールはやつれた顔でうなずいた。

「偽者だったのか……あの教師は。なるほどな」

「カールさん……」

寝てください、というアイリンの言葉に、カールは心配要らないと答えた。アイリンもそれ以上はもう言わない。


 アイリンはカールの前から退出し、庭に出た。何人か使用人たちが働いていたが、アイリンの目は彼らでなく庭のある区画に向けられていた。上等な棺の前で、ずっと立ち尽くしている一人の少年。その少し離れたところには、やや年上の少年が見守っている。

「エンリケ君」

「……アイリンさん」

「あの男は――逃げたよ」

「はい。そうみたいです」

「……君に話したいことがある。少しここを離れようか。景色のいいところにでも行こう。―――あの森とかね」

アイリンが指差したのは、いつもと変わらず佇むカリストの森だった。


 カリストは大木の陰からこわごわ顔を覗かせていた。彼女には、カフカ家で何か不吉なことが起ったと分かっていたのだ。

「精霊は気配に敏感なんだよ。カリスト、久しぶりだね」

アイリンが声をかけると、カリストはゆっくりと木の後ろから出て来た。

「カリストを知っているのですか?」

「ああ」アイリンはうなずいた。

「学院時代に、ツルカと一緒に遊びに来たんだよ。その時にツルカに紹介してもらった」

アイリンは手頃な太い木の根を見つけると、腰掛けた。

「ん」アイリンは隣を示してエンリケを座らせた。

「ツルカはね、特殊な体質だったんだよ」

「……はい、そうです」

「はは、君は当然知ってるか。けれど、ただ身体が弱いだけでは無いんだ」

エンリケはアイリンを見返した。

(そうか、この人は昔の母様を知ってるんだ)


アイリンは懐かしむように語った。

「……ツルカはね、持って生まれた魔力の大きさと肉体の強さが釣り合ってなかった。それだけでなく、その大きすぎる魔力は肉体の内に内にと籠もっていって、薬を飲まなければすぐに魔力の暴走を起こしてしまう。君みたいにね」

学院時代、よく寝込んでいたとアイリンは話した。

「でも、ただ寝込むくらいならまだいい。彼女の体質、というよりも、もしかしたら一種の才能なのかも知れないけれど、ツルカの体内に溜まった魔力は、ある形を持って体内から出てくる。何だかわかるかい?」

エンリケはしばらく考え、全く見当がつかなかったので首を振った。

「まあ、そうだろうね。このことは親友の私と、カフカ家の数人しか知らないことだ」

アイリンは懐から小さく光るものを取り出した。深い琥珀色をしていて、綺麗な八面体をしている。エンリケは受け取って手のひらでころころと転がした。

「―――魔石だよ。これは、最後にツルカの身体から出てきたものだ。棺の側に、落ちていた」

エンリケは目を見開いてその結晶を見つめた。母が魔石を生み出せることなど、全く知らなかった。

「カフカ家が、婿を取ってでもツルカを家から出したくなかったのはこれさ。魔石は種類ごとにランクがあって、これはそれほど高くはないけれど、高価なことには変わりない。まあ、市場に出回ると他の魔石が値崩れを起こすから、カフカ家がほとんどを表に出さずに保管しているけどね」

エンリケがじっと魔石を見つめていると、カリストが隣に跪いて同じように魔石に見入っていた。カリストは葉擦れのような声で

「……ツルカの匂いがする。とても良い匂い」

と囁いた。エンリケは精霊ほど鼻が利かないので分からなかったが、カリストが言うならそうなのだろう。きらり、と魔石がうなずくようにきらめいた。


 エンリケがアイリンに魔石を返そうとすると、アイリンは笑って手で制した。

「君が持っていたまえ。そのほうがツルカも嬉しいだろう」

「ありがとうございます」エンリケは石をぎゅっと握り締めた。

「それと」アイリンが石を見つめたまま言った。

「君も、ツルカの体質を僅かながら受け継いでいる。君に初めて会ったときに分かったよ。それと同時に、君には魔法を使う能力が無いこともね。魔石を作ることも不可能だ。残念だけど、本当だよ」

アイリンは哀しみに打ちひしがれた少年がさらに落ち込むのが分かった。しかし、アイリンが伝えてやらねば、誰も言わないだろう。


「けど、だからと言って、ツルカの言葉が嘘だったわけじゃない。ツルカは、君の中の魔力の存在に気がついて先生を探したんだろう?」

エンリケが訝しげに顔をあげた。

「どういうことですか?」

「要点だけ話そう」

アイリンは解せない顔のエンリケを見て、寂しげに微笑んだ。なき親友の面影を見ているようだった。

「エンリケ君、君はね、魔法が使えない魔法使いなんだよ。ツルカみたいに魔力は無尽蔵だが、それを使う力が無い。持っている魔力を魔法として行使できないんだ。使わない魔力は溜まっていく一方だから、たまに暴走の形で事故が起きる。分かるかな」

エンリケは今までに自分が起こした事故のことを思い起こした。なるほど、そうかもしれない。

「……どうして、分かるんですか?」

「これでも私は世界チャンピオンだよ。それに親友の息子のことだ、大体察しがつく」


 二人が話している横で、カリストがごそごそと地面に何かを探していた。目当てのものを見つけるたびに、その長さを確かめている。

「僕はどうしたらいいんでしょう。もう誰かに迷惑をかけるわけにはいかないんです」

エンリケは縋るようにアイリンを見た。この人なら何か答を知っているのではないだろうか?アイリンの答えは明確だった。

「魔法の勉強をしなさい。魔力の制御を知るには、それしかない」

アイリンは言った。

「偽マイヤーのお陰でこんな惨事に至ったが、本当ならば君はその訓練を受けるはずだった。めげずに新しい先生を探しなさい。ギルドに仲介を頼めば、確かな人を紹介してくれる」


 その時、カリストがエンリケの袖を引いた。

「なんだい?カリスト―――それは」

エンリケににっこりと笑いかけ、カリストは少年の手から魔石を取ると、何かを結びつけて返した。

「ん……。これって」

「ほう、これは」

覗き込む二人の顔つきを見て、カリストは満足げに微笑んだ。自分の首元に掛けている木苺の首飾りを指差して、エンリケに渡したものを指差す。

「首に掛けるの?」

「そうらしい。なるほど、お守りというわけだ。これなら身につけていられる。考えたなカリスト」

エンリケはもらった首飾りを掛けた。小さな魔石が少年の胸元できらきらと光る。

「うん……ちょっと元気が出たみたいだ。ありがとうカリスト」


 カリストに見送られて森を出た二人は、草原をゆっくり歩いていた。

「アイリンさんは、これからどうするんですか?ギルドに戻るのですか?」

エンリケが尋ねると、アイリンは「そうだな……」と短い黒髪をかき混ぜた。

「それもいいが、流れの魔法使いに戻るつもりだ」

「では、特にお役目は無いんですね?」

エンリケは立ち止まってアイリンを真っ直ぐに見つめた。彼の瞳には決意の色が浮かんでいた。


「アイリンさん、僕に魔法を教えてください!」


草原をひときわ強い風が駆け抜けていった。エンリケの髪の毛を持ち上げ、アイリンの部屋着を翻す。アイリンは溜め息をついた。

「丁重にお断りさせてもらうよ、エンリケ君。私は君の教師には向いていない――いや、相応しくない」

アイリンは髪と同じ色をした瞳を遠くに向けた。どこかここではない場所を見つめて。


「――言ったっけな。私は軍隊にいた。私が極めた魔法の多くは、攻撃魔法だ。若い頃から戦場に出て、物事の判断も付かないうちからそれを使って人を殺した。エンリケ君、私はツルカを殺したあの男と同じ、人を殺したことがある人間なんだよ」

「――っ。でも、僕は……」

アイリンは肩をすくめて歩き出す。

「すまないね。私も出来れば君の期待に応えたかった。さあ、戻ろう」

草原は二人の心を呑み込んでいく。言葉にしない気持ちを、その草擦れの中に誤魔化してしまう。


 アイリンはしばらく歩き、エンリケがついて来ていないことに気がついた。

「エンリケ君?」

「アイリン『先生』!」

エンリケは叫んだ。

「僕はずっと自分が無価値だと思ってた。そして僕には努力が足りなかったんだとやっと気づけて、やるべきことを見つけた矢先に、僕のせいで母様が死んでしまった。僕が前に進むために、先生の力を貸してください!先生じゃなきゃだめなんだ」

アイリンは呆れて手を額にあてた。

「君ね―――」

言葉を続けることが出来ずに、アイリンはエンリケに近づいた。少年の燃えるような瞳が、一心にこちらに注がれている。


「あのね、エンリケ君―――」


「お願いします!『先生』!」


エンリケはさっと頭を下げた。低く、低く。魔石の首飾りが地面につきそうなほど。

 魔石が、きらきらと光を弾いている。その色は生前のツルカの瞳、そしてエンリケの瞳の色と同じだった。

「はあ……」アイリンはじっと魔石に魅入られながら息を吐き出した。

 沈黙が流れる。二人の側を何度も風が行ったり来たりを繰り返し、アイリンが答えるのを待っていた。


 「――――私の指導は厳しいよ」

その言葉に、エンリケはばっと顔をあげる。アイリンがエンリケの目を射抜くように見つめていた。

「是非……っ、僕を弟子にして下さい!お願いします」

「よし」アイリンは顔をわずかに緩めた。

「まあ、ここで『はい』と言わなかったら、どこまででもその体勢でついて来そうだからね。それは少し困る。―――じゃあ、屋敷に戻ろうか、『エンリケ。』……ツルカの葬儀が始まる」


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