最後の授業
十四章(その6)、最後の授業
起き出して来た他の千夜荘の住人達も、アイリンの帰還に驚き、喜び、そしてすぐに出立してしまうことを残念がった。彼らは師弟の久しぶりの再会を邪魔しないように気を利かせ、朝食を終えると長居せずに仕事に出掛ける。
「エンリケ君、少し遅れてくるだろ?君の班の班長に伝えておくからね」
アフはそう言うと甲冑を着けて出て行った。
「お願いしますアフさん」
千夜荘に残ったのは、マルジャや主のジャファルを除いては、エンリケとアイリンだけになった。
「さて……と、エンリケ、我々も行こうか。ギルドにも顔を出したい」
アイリンはすっくと立ち上がると、エンリケを伴って外に出た。
「……僕、もう師匠が戻って来ないんじゃないかと、心配してたんですよ。戸棚のあれを読んで」
並んで歩きながら、エンリケは打ち明けた。アイリンは真面目な顔でエンリケを見つめる。
「ダニエル・アンフォッシ補佐官の報告書か。面識は無いが、彼はあのテュール・トーナメントの三回戦にまで進んだことのある猛者だ。それほどの魔導師が姿を消すということは、やはりあの組織には何かあるのだろう。君の懸念は最もだな。触れれば誰でも火傷をする可能性がある。だがそれでも、私は立ちふさがる全てを打ち破り、先に進むだろう。……実を言うと、さっきはしばらく帰れないと言ったが、もう私はここに戻らないつもりだ」
エンリケの足が止まった。
「……え?」
アイリンはすたすたと歩いて行く。エンリケはそんな師匠の背中を呆然として眺めていた。
ギルドにはいつものようにマスターが座っていた。彼はアイリンが入って来たのに気がつくと、新聞を広げた。
「……なぜ人が入ってきた瞬間に顔を隠すんですかね」
アイリンは溜め息をついてマスターから新聞を引き剥がした。マスターは鼻を鳴らす。
「ふん、戻ってくるなら一言知らせんか」
「ややこしい事情がありましてね。戻っては来たものの、すぐに発ちます」
マスターはじっとアイリンを見上げた。
「あのボンクラはどうする。弟子を置いていくつもりか?」
「人の弟子をボンクラとは、随分な言いようですね。まあでも、私の留守中、あの子を見てくれたことは感謝しますよ。――――エンリケ、いつまで外に突っ立っている?」
「……あ、すみません」
エンリケが入ってくると、アイリンは
「そのことも含めて、この子に今日話すつもりですよ」
と弟子の肩に手を置いた。マスターは二人を見比べると黙って肩をすくめる。
「さて今後のことを話そうか、エンリケ」
アイリンとエンリケは向かい合って座った。少年は浮かない顔だ。
「知っての通り、私には課せられた責務がある。だが君の修行より大切なものなど無い。三年前に引き受けてから今に至るまで、私は何よりも君の修行を優先してきたつもりだ」
エンリケはうなずいた。アイリンは続ける。
「一つの組織と対峙するには、時間が必要だ。組織が巨大であればあるほどな。君が読んだあの報告書以外に、私は多くの情報を外部から受け取っていた。ここのギルドを介して、随分と書類のやり取りをしたものだよ」
ギルド本部が知ったら、良い顔はしないかも知れない。だが、アイリンにとっては派閥の繋がりよりも、人同士の繋がりのほうが信じられる。アイリンは懐から銀のカードを取り出した。
「私は今手に入る情報は全て手に入れたと思う。その矢先に、このカードを受け取った魔導師が召集を受けた。私は、本格的に動き出さねばならない。エンリケ、今日が最後の授業になる」
「……」
エンリケの顔を見て、アイリンは苦笑する。
「私はね、久々に君を見て安心したのだよ。見れば分かる、君は成長した。私がいなくてもやっていけるぐらいに。それに、私が君の傍を離れても学べる環境は用意した」
アイリンがローブの下から取り出したのは一枚の書状だ。
「私やツルカの母校である、カンドゥール魔法学院への推薦状だ。正規の学生ではないが、研修生として授業を受けられる」
その言葉に、一番早く反応したのはマスターだ。
「カンドゥール、じゃと?」
エンリケは瞬きした。
「えっと、そんなにすごい学校なんですか?」
マスターはエンリケをじろりと見る。
「魔法学校の中では、まあまあじゃの。だが、他の学校には無い“特殊科”という学科がある。小僧が入るとしたらそこじゃろうて。あそこはのう……」
マスターはぼりぼりと頭を掻く。エンリケは不安になって眉を寄せた。だが、それと同時に魔法の学校というものに興味が湧く。
「でも僕はその学校に相応しいのでしょうか。普通の魔法は一切使えませんよ」
「なに、だからこその特殊科だ」
アイリンは微笑む。
「さて……そろそろ授業を始めるとしようか」
師匠の言葉に、エンリケは顔つきを引き締めた。




