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ラ・カンパネラ  作者: Opus
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菩提樹の家 Opus 5

「そういう訳だったの。あなた方は、頼まれて来たのね。あのハンス・ベルンハルトに……」

 マリー・ガニエールが、すんなりとハンスを認め、宝石の入った箱まで簡単に受け取ったのが意外だった。

 手にしていた小箱を、マリーは開けた。中身を見た時に、一瞬ふと目を細めたように見えた。

 だが、パチンと乾いた音を立てて、直ぐに蓋をした。

「ハンス・ベルンハルトは、今は、どうしているのかしら?」

 ハンスが亡くなったのを話すべきかと渉を見たら、私の返事を待たずに、マリーがまた話し始めた。

「ここ数ヶ月の間、何度かハンスから手紙が来ていたわ。パリに古くからガニエール家が持つアパルトマンがあって、管理人が毎月の家賃を小切手にして、Grand-Ileの局留で送ってくるの。小切手なんてと、全てにおいて合理主義を尊ぶ日本人は、驚くかも知れないけど、祖母の頃から続けている方法なのよ。私はいつも郵便局に受け取りに行くんだけど、この家が戦時中の一時期にガンダーと呼ばれたのを知っている郵便局員がいて、返送してくれればいいのに、気が利かなくハンスからの郵便物も一緒に渡してくるの。ハンスには申し訳ないけど、最初の手紙以外は開けていないわ」

 病身のハンスが心を込めて書いた手紙のはずだが、最初の一通以外は、読まれていないとは。

「体が悪い中、ハンスが書いた手紙だから、できれば、他の手紙も手にあるのなら読んであげてください」

 どんな内容か全然わからないが、娘であるマリーには、手紙に全て目を通して欲しい。

「確かに、手紙には『体の調子が悪い』といったことが書いてあったと思うわ。でも、私にはハンスの体調なんて関係ないし、今さら読もうとしても、来た手紙は全部、捨ててしまったから。あなた方がどこまで知っているのかわからないけど、いろんな事情があって、ハンスからのものは、私は何も見たくはないの。そんなわけだから、この指輪もハンスに返していただけるかしら」

 マリーは手にしていた小箱を返そうと、私の前に出してきた。

「その指輪は、もう受け取れないのです」

 最初から強引にでも、マリーに受け取らせるつもりだったので、どうしても拒むしかない。

「受け取れないって、ハンスに、頼まれて持って来たんでしょう?」

「だから、もう受け取れません。私たちが受け取っても、返す人がいないんです。……ハンス・ベルンハルトさんは、三日前に亡くなりました」

 私は、静かにハンスの死を伝えた。

 なぜかマリーは、私の言葉に冷たく微笑んだように見えた。綺麗で気品のあるマリーから、温かさを奪った無機質な表情が残った。

「ハンスは死んだの……。ハンス・ベルンハルトは死んだ。あなた方は、私とハンスの関係は、わかっているのよね?」

 親娘であるのを、知っていると答えるべきなのだろうか。ハンスの死を話したためなのか、マリーには話し始めた頃の冷静さが、失われてきた。

「ハンスとガニエールさんが、親娘であるのは伺っています」

 私が黙ったので、渉が代わりに返事をしてくれた。

「そう、ハンス・ベルンハルトは、私の父なの。でも、父が死んだのに、哀しみが湧いてこない。どうしてだか、わかる? ハンスは私の父であるけど、母を殺した人でもあるから」

 冷たい顔だ。頬の赤みが消え、青く、それでいて怒った顔になっている。言葉はきつく厳しいが、どこか寂しいものが漂っていた。

「ハンスと、ガニエールさんのお母さんの間に起こった不幸についても、知っています」

 渉が言うと「本当に?」と疑うように、まじまじと見た。

「ハンスに聞いたの? 恥ずかしくもなく、ハンスはそんな話まで、あなた方にしたのね!」

 ハンスが私たちに話したとマリーは勝手に想像し、呆れた様子だ。ハンスではなく、ド・シャルメから聞いたのだが、あれほど話すことを渋っていたのに、マリーに話すわけにはいかない。渉も私も、どちらともつかないような、何もわからない振りをした。

「それなら、私の気持ちはわかるでしょう。祖父母がそばにいなければ、ハンスは母だけではなく、私まで殺すつもりだったのよ」

 マリーの言葉が、一層きつくなった。いや、きつくなっただけではなく、ハンスが母親を殺したと信じられない話をしている。

「ガニエールさんのお母さんを、ハンスが殺したのですか?」

 二度もハンスが殺したと言うため、私はマリーに訂正させるために尋ねた。

 マリーの話は、ド・シャルメにガニエール氏が語ったのとは違う。ガニエール氏は、マリーの母の死の原因を、暴発による事故だと話していたはずだ。

「母が死んだ原因を、聞いたんじゃなかったの?」

「事故だと伺っていました。私には、あのハンスが、あなたのお母さんを殺したり、あなたを殺そうとしたなんて、信じられません」

 ハンスを庇い、私はマリーの言葉を完全に否定するように、信じられないと言った。

「あれを事故にしたかったのね。私は三歳の時に、目の前で、母がハンスに殺されるのを見たんだから! 母を殺し、銃を手にしたハンスが、真っ赤に手を染めながら、私を見ていた。祖母が『ナチスの人殺し!』と叫んで、私の盾にならなかったら、次には私が殺されていたわ。その場にいなかったあなたにわかるはずないし、ハンス・ベルンハルトが本当はどんな人間か知らないから、『信じられない』なんて言えるのよ。ハンスが簡単に過去を忘れて、のうのうと生きていける人間だとね」

 目の前のマリーは、怒りでいっぱいだ。

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