ガニエール家の終戦 Opus 4
「長く引き留めてしまいました。どうやら、お昼を、過ぎたようですね」
ド・シャルメが、立ち上がり再び窓を開けると、カテドラルの鐘が部屋中を木霊する。
「日本の方は“フジャマ”を見ると、日本に帰ったと感じるそうですね?」
《フジャマ》と突然、日本語で語ったので、それが富士山と気付くのに、ちょっと時間が掛かった。
「mt.Fujiですね。ええ、日本人は、そのように言います」
「私にとっては、この鐘です。長くストラスブールを留守にして帰ってくると、カテドラルの姿で、ストラスブールに帰ったと思います。だが、本当に故郷にいると思うのは、カテドラルの鐘の音を聴いた時です。終戦時に、ブッフェンバルトから出て、ストラスブールに戻って来た時、カテドラルの鐘を聴いて、生きて戻って来たんだと実感しました」
ド・シャルメの話が終わるのと同じように、カテドラルの鐘の音は、長い余韻を残して消えていった。
「ド・シャルメ、ありがとうございました」
目を真っ赤にした陽子が、礼を言う。ド・シャルメは、ただ温かく、肯いた。
「ド・シャルメは、私たちがガンダーさんとガニエールさんを間違えていたのに、今日気が付かれたのでしょうか。実際は、昨日からご存知で、あの新聞を大切にするように言われたのでは?」
陽子は、ド・シャルメが「その新聞は、貴重なものだから、大切にするように」と俺たちに注意したのが気になっていたのだ。新聞には《フランス語名のガニエールは、ドイツ語のガンダー》と書かれていた。
「ええ、確かに気付いていました。だから、お二人に、新聞を大切にするように忠告したんです」
「もし、私たちがガニエールさんの名前に気付かずに、あのまま帰ろうしたら、どうされたのでしょうか」
昨夜、ホテルに帰った時に、支配人から「明日は午前中もホテルにいると伝えてくれと言われた」と聞かされていた。俺たちに、ヒントだけを与えて、答を出してくるのを意地悪く眺めていたのだろうか?
「あなたたちが出発する予定の今日は、私は、朝からここにいるつもりでした。息子には『お二人が私に会いたいと望まなかったら、是非お茶をご馳走したいので、部屋に来てくれるように』と伝えておきました。ただ………、だからと言って、私から話したかどうかは、今はわかりません」
この小説を書くために訪れたストラスブールに行く飛行機に乗ったのは、12月1日でした。前夜トヨタカップがあり、フットボールが好きな私は、(マンチェスター)ユナイテッドが1-0でパルメイラスに勝ち、勝利の雄叫びをあげるのを国立競技場で観ました。
成田から、ロンドンまでの便はヴァージンエアで、荷物を預けるときに「さっきベッカムたちが通った」と昨晩の国立の勇者たちが通ったのを教えてもらったとき、発音が良すぎてベッカムがわからなかったのを小説に盛り込みました。飛行機が、ロンドン上空に達したときに、後にナイトの称号を得るヴァージンのリチャード・ブランソンの祝福の言葉が流れ、するとあちこちからサポーターが大きな声を出しました。
次は12月11日(日)となります。読んでくださった方、ありがとうございます。




