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ラ・カンパネラ  作者: Opus
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ガニエール家の終戦 Opus 2

「ストラスブールは解放され、カテドラルにも市庁舎にも再び三色旗が翻りました。ドイツ軍は、いえガニエール家の娘婿はといえば、劣勢が明らかになり連合軍が接近して来ると、妻と妻の両親に対し、彼が最も安全だと考えるドイツ国内に移るように薦めました。でも、ガニエール夫妻も彼の妻も、拒みました。アルザス・ロレーヌがドイツに併合され、アルザスに残った人々は、一応はドイツ国民となりました。ドイツ国民にはなったが、連合国が攻めて来たからと、ドイツ本国に逃れるアルザス人など、ほとんどいません。ガニエール氏の娘婿は、連合軍の侵攻によるドイツ軍の後退と共に、軍務としてストラスブールから去りました」

 あのハンスが銃を持ち、闘っていたのだ。サラエボで感じた戦争の話をしたら、「時を経れば、人は必ず愚かな過ちを、また繰り返す」と覚めた口調で語っていた。あれは、自分の行いをひどく後悔したからだろう。

「あのまま終われば良かった! そうすれば、この後の悲劇は、起こらなかった。時の悪戯や気紛れが、新たな不幸をもたらしました。クリスマスまでに、ストラスブールのカテドラルに、再び鈎十字の旗を翻すとヒットラーに誓ったドイツ軍は、精鋭を集め、戦線を整えて連合軍の一瞬の間隙を突き、ストラスブールに攻めて来ました。危険な中を、先陣を切ってストラスブールに戻ったガニエール氏の娘婿は、ガニエール家の地下室で妻と娘を、見つけました。彼は是が非でも、自分の故郷であるドイツへ妻子を連れて帰ろうとしました。あのままストラスブールに残ることによって、ドイツ人と結婚した妻とその子が陵辱されるのを恐れたのかも知れません。だが、白兵戦の続く中、幼い娘を連れてドイツに行く危険を考え、彼の妻は従いて行くのを拒みました。また、ドイツに行くのを嫌がる娘のために、銃を手にしたガニエール氏は『このままドイツに去ってくれ!』と彼に帰国を促しました。だが、彼は岳父に脅されてのうのうと去るわけではなく、逆にガニエール氏が持つ銃を奪おうとした。そして、ガニエール氏と彼が争う中、二人の間にある銃が暴発した。その銃弾は、ドイツ人にとって妻であり、幼い娘にとって母であり、またガニエール氏にとって娘であった女性に気紛れな弾が当たりました……。もう少し、フランス軍が守りを固め、ストラスブールへの再侵攻を防ぐことができればよかったのに、一度はストラスブールの完全放棄も考えた連合軍ですが、どうにか持ちこたえ、ドイツ軍は再び退却し、ストラスブールを舞台とした戦争は終わりました」

 そうだったのだ。結果的には、ハンスは、自分の奥さんを殺してしまったんだ。

「ストラスブールの戦争は終わったが、ガニエール家の戦争は、これで終戦を迎えたわけではありません。不幸は、まだ続きました。戦争が終わると、戦争犯罪人の追及が始まりました。誰がどんな罪を犯し、どの罪が重いか軽いかなど、あの時代において、元から誰も正当に評価などできるものではありません。罪刑の軽重は、時の流れと勢いが決めました。戦争をいいことにして、私怨を含め、魔女狩りのように、戦争犯罪人を見つけよう、いや祭り上げようとする人々が、このアルザスにもいました。その頃には、私は、ストラスブールに帰っていましたが、私の目から見ても不思議なほど、我こそレジスタンスの活動家だったという人物が増えていたように思えたものでした」

 ド・シャルメと目が合った。柔和さが消えた、鷹のような厳しい目をしている。

「あの時代は、見過ごすことを含めれば、何も罪がない者などいないはずです。また、ドイツだけがファシズムに覆われたわけではありません。ドイツにおいてもナチスと闘った人々はいました。たとえばミュンヘン大学のある学生は、回りがヒットラーの信奉者ばかりいる中で、孤独な闘いを選び、死んでいったのですから」

 ド・シャルメは、たぶん白バラ抵抗運動の学生の話をしているのだ。

「その反対に、フランス人全てがレジスタンスを行ったわけではありません。カルティエ・ラタンでファシストのフランス人学生がデモをする姿は、一九三〇年代からあった光景でした。レジスタンスの闘士であった、先程のフランソワ・ミッテランも、若かりし日に、自らがそんな一人であったのを後に告白しています。フランス人の中にも、ファシストと同じ考えの者は溢れんばかりいたのです」

 ハンカチを出すと、ド・シャルメが額に当てた。

「話が、横にそれてしまいましたね。ガニエール氏に戻ります。彼は、ナチスの協力者として疑われたが、一度は、それほどの罪ではないと見なされました。だが、時間の経過と共に、ガニエール氏の身辺は穏やかではなくなりました。ガニエール氏は法律家として、アルザスの人々の権利を守る仕事をしていたのですが、娘婿のこともあり、ナチスへの《熱烈な加担者》とされ始めたのでした」

 また、ド・シャルメは言葉を止め静寂が訪れた。だが、この静寂は話すのを止めたのではなく、きっと考えを整理しているのだ。

「あの時代は、人々は自分を守るのに精一杯でした。誰かが、罪を問われる時は、自分の安全が保たれる時でした。ある狡猾な者が、幼いユダヤ人の少女に、少女の両親がナチスに捕まった時に、ガニエール氏がそこにいたと言わせました。ガニエール氏は、ユダヤ人の医師と家族を、終戦間際まで匿っていました。ナチスも、まさかドイツ人SS将校と娘が結婚していて、法律家としてドイツ政府の下で仕事をしている弁護士の地下に、ユダヤ人家族が隠れているとは思いませんでした。誰の密告かわかりませんが、ユダヤ人医師一家が見つかる直前に、ガニエール夫妻は、ユダヤ人の娘を、ナチスの目に入らぬように隠し守っていたのです。それなのにガニエール氏は、逃走中のユダヤ人を自宅の地下に巧みに軟禁し密告をした、ナチスの協力者とされました。ガニエール氏は、自分の犯した覚えがない罪で、罰を受けるのを許さなく、終戦から一年を経たずに死を選びました。戦争中、ストラスブールで最も幸せなガニエール家には、ガニエール氏の妻と孫とガニエール夫妻が守ったユダヤ人の医師の娘が遺されたのでした……」

 ド・シャルメの言葉の後、沈黙が流れた。全てを知ったのが良かったのか、複雑な気分だ。


 この10月は、NHK交響楽団のオーチャード定期のオープニングと、新国立劇場オペラのオープニングに出掛けました。N響の第二曲目はアランフェス交響曲。生で聴くのは、たぶん三回目、少しだけ以前よりも理解できるようになった気がしました。

 新国立劇場は、『ニーベルングの指環 第一日 ワルキューレの騎行』。4年前よりもテオリンが太っていたなんて関係ないですが、やっぱりいいですね。前から6列目と席も良かった。但し、字幕の位置と舞台の角度が問題で、やはり新国では二階席くらいが良いのかなと思いました。

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