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ラ・カンパネラ  作者: Opus
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ガニエール氏 Opus 6

「これが不幸の始まりでした」と、ド・シャルメは立ち上がった。

 机の上の電話を手にすると、コーヒーを二つ持ってくるように指示した。

 部屋の中は暖房が効き過ぎて熱くなり、立っていたド・シャルメが窓を開けると、冷たい空気が入って来た。

 空は、冬晴れの青い空で、東京で見る空とは違い藍色に輝き、カテドラルの尖塔が見える。

《アルザス人であることは 風がよく入るように 窓を大きく開け放つことだ》

 昨日ド・シャルメが読んでくれた、マントルピースの上に置かれた額の詩の言葉だが、窓から見える風景に、素敵な詩を思い出した。

 ほどなくホテルの従業員が、コーヒーを持って来てくれた。私も渉も、ド・シャルメに勧められ、目の前のコーヒーに手を伸ばし、口をつけた。

 さっき、渉が、ハンスがピアニストを辞めて、SSの将校になったのに凄く驚いていた。ド・シャルメは気にせずに話し続けたが、なぜあんなに渉が驚いたのか、理解できなかった。

 ハンスがピアニストを辞めた理由は、ハンスと二回しか会っていない私でも、容易に想像がついた。

 ド・シャルメは知らないかもしれないが、若い才能のあるピアニストが、ピアノを辞める理由は一つしかない。何か、アクシデントが起こったからだ。つまり、ピアニストとして、演奏ができない怪我をハンスが負ったから………。

 ハンスの右手の人差し指は、第一関節から先が、なくなっていた。たぶん、ウィーンにいる時に、何かの事故で右手の人差し指の先を失ったのだろう。

 プロのコンサート・ピアニストは、指が十分に動かなくって演奏ができるほど、甘いわけではない。

 名ピアニストは、人並み外れた大きな手をして、よく指が回るのが最低条件。体の小さい私でもピアノが弾けるのは、普段は人前に出すのが恥ずかしい、この大きな手があるからだ。

 『月光』だって、ハンスのような指では、第三楽章を弾きこなすのは至難の業だろう。

 スイスやアメリカへの亡命ができたはずとド・シャルメは言うが、それは、ピアノの世界を知らないからだ。指を失った状態では、たとえ亡命がかなっても、ピアニストとしてはやっていけない。つまり、異国で飢え死にしてしまうか、惨めな人生が待っているだけなのだ。

 ハンスのように、指を失ったら、その瞬間からピアニストではなくなる。それは、私たちにとって、今日まで積み重ねてきた人生がなくなるのを意味するのだ。

 きっと、怪我のために、演奏が困難になったため、ハンスはストラスブールに戻ったのに違いない。

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