ガニエール氏 Opus 3
沈黙が続いた。今まで黙っていた渉が私に「ハンスの指輪の話をするよ」と日本語でことわってきた。
「ド・シャルメ。私と彼女は、ガニエールさんの孫娘のマリーに、ある家に代々伝わる宝石を渡してくれるように頼まれました。そのために、ストラスブールで、マリー・ガニエールという女性を捜しています。もちろん、私たちに宝石を託した人が、マリーに家宝を渡すのは、彼女が宝石を持つにふさわしい女性だからです」
渉は、マリー・ガニエールが依頼した人間の娘である事実を匂わせた。
「どうして、あなた方に?」
ド・シャルメの耳がそのときピクンと動き、小さな声で口を噤んだ。
「どうして私たちのような外国の者に頼んだのか? と疑われるかもしれません。私は、一ヶ月余り滞在しましたが、ドイツのある街をたまたま訪れ、その方と知り合っただけであり、けっして古くからの彼の友人でもありません。私たちに頼んだ人にとっては、ただの旅人にしか過ぎないはずです」
渉は、私に同意を促すように見た。もちろん、私は肯いた。
「すると、あなた方は、何か報酬を得て?」
「いいえ、何も一切いただいていません。宝石を届けるのは、私たちの彼に対する、ささやかな感謝の印です。彼女も私もピアノを弾きます。機会があって彼の前で、私たちはピアノを弾きました。私たちの弾くピアノを聴いた彼は『ピアノの音で、私たちを信頼した』と言って、宝石をマリーに渡すのを託したのです。また、マリーの存在は『回りの人には隠しておきたいから』とも話していました」
ド・シャルメは右手で軽く口を塞ぎ、次に考え込むように耳を引っ張った。
「何の報酬もなく、ストラスブールで人捜しをされているのですね。お二人にとっての感謝とは、何に対する感謝でしょうか? もし、お話しできるなら、聞きたいものですな」
渉が話すつもりか。いや、渉は私を見ている。
「ド・シャルメ、私がお話しします。七年前、彼は何も理由も告げずに世界中を旅すると、私の前から去って行きました。密かに彼を愛していた私は、日本で、彼の帰りをずっと待っていたのです。一ヶ月前、私の元に、彼からドイツの小さな街しか書いていない葉書が届きました。それまで彼は、今も戦争が続いているサラエボにいて、私からは訪ねることができなかったのです。ドイツの小さな街としか書いていない葉書で、何も住所はなかったのですが、私は葉書に残った消印を頼りに、彼がいると思われるドイツの街を訪れました。バス停を降りて、泊まるホテルを探している時に、リストの『ラ・カンパネラ』が流れて来たのです。宝石を私たちに託した人が、この日、たまたま彼に演奏してくれと頼んだ曲でした。私は、その音を聴いて、彼が弾く『ラ・カンパネラ』に違いないと思って走り、彼を見つけたのでした」
どうしてだろう。話し終えたときには、涙があふれ出ていた。
「それでは、お二人は、七年ぶりに逢ったというのですか?」
「はい」
渉と私は、同時に、肯いていた。
「そうですか。マドモアゼルは、葉書一枚を頼りに、日本からはるばるドイツに来て、ピアノの音で、彼を見つけたわけですね……。聖書だけではなく、時として、信じられない奇蹟を神は起こす。きっと、音楽の神とあなた方に依頼した人が、二人を引き合わせたのでしょう」
ド・シャルメの目の瞬きの数が増えていた。
この小説を、こうした形で掲載していることを、近しい友人には告げていません。
最近、たまたま話した人が見てくれ、「とても面白くて、この先どうなるのか楽しみです。」と言葉をいただきました。
30余名の固定した読者(ブックマーク数)から増えることもなく、評価も全然ないなか、凄く励みになりました。
これから、二人の旅は、最後へと続いていきます。
どうかこれまでどおり、お付き合いください。




