ガニエール氏 Opus 2
「しかし、お二人は、本当に珍しい人を思い出させてくれました。法律家のガニエール氏を……」
ガニエール氏で、言葉を止めた。昨日もそうだったが、ときどきド・シャルメはこんな風に話を途中で止める癖がある。気にせず、口を挟まずにいれば、また話し始めるのだ。
「ガニエール……、ガニエール氏とは懐かしい響きのある名前です。私をある種の感傷に誘います。カテドラルから、市庁舎に向かう三つの道のうち、ちょうど真ん中の道を歩きます。どの道もそうですが、今は多くの商店が立ち並ぶ通りです。その途中の奥まった所に、大きな菩提樹のある家があります。あの木は、私の物心が付く頃から、今と同じように大きな木でした。たぶん樹齢百年や二百年は経つのでしょう。菩提樹の木のある家が、ガニエール氏と呼ばれた恰幅の紳士の家で、パリで革命が起こった頃からこの地で住み始め、確かに代々、法律家を出していました」
菩提樹のある家は、Sanglier通りにあった、冬枯れした薔薇のアーケードの家に違いない。
すると、林田という日本人の娘がピアノを学んでいる所のはずだ。しかし、あの家で会った女性は、歳はハンスの娘に近いが、ハンスを想像するには難しい、黒髪を持つ浅黒い肌だった。
「今もガニエールさんは、住んでいらっしゃるのでしょうか?」
「最近は、どうでしょうかね。私が知っている法律家であったガニエール氏は、戦争中に不幸が重なり、戦争が終わった後、一年を待たずに死を選びました……」
ガニエールさんが死を選んだ。これが、渉がずっと気にしている《汚いものは俺だ》といった、ハンスの言葉の正体に連なるのか。渉を見ると、ぐっと手を握りしめて驚き、口を塞いでいる。
「死を選んだとは? いったい、どうして、ガニエールさんは亡くなられたのですか?」
呆然とした様子の渉は、きっと訊ける状態ではないと思い、沈黙を続けるのが嫌な私が尋ねた。
「ガニエール氏が亡くなったわけですか? それまでは、お二人に話す必要はないでしょう。あなた方の人捜しへのご協力はいたしますが……」
ド・シャルメは自らをたしなめ、また話すのを止めた。私たちは、ド・シャルメの次の言葉を待った。だが、なかなか口を開こうとしない。
「歳をとりますと、饒舌になっていけません」
ド・シャルメが再び語り始めた。
「……異国の若い人と話しているせいでしょうか。今日の私は、少し話し過ぎている気がします。このストラスブールに住む者は、古くから隣国であるドイツやフランスの支配を受けてきました。お二人は、他国に支配されながら、生きていく術をご存じでしょうか。それは、自分たちの心の中を、けっして容易には開かぬことなのです」
ガニエール氏の死については、もうこれ以上は断固として話さないという意志が伝わってくる、ド・シャルメの言葉だ。




