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ラ・カンパネラ  作者: Opus
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ド・シャルメ Opus 1

 昨晩約束したアポイントメントは、午前十時だった。朝食を食べ終え、時間があるため、私たちは街を見ようと外に出た。

 北風がとても冷たくて、口だけではなく、鼻からの息まで白く濁った。

 今日は珍しく、渉は食が進まなかった。かといって、食べ残すわけではなく、私の分までは食べなかっただけだが……。

 渉はガイドブックを片手に、もちろん私は専属ガイドを隣において、日が昇ったばかりのGrand-Ileを歩いた。

 Grand-Ileの古い時代の建造物の姿は、日本でいえば、愛知県にある明治村のようだ。もちろん明治村に似ていても、フランスやドイツにある、古い建造物を寄せ集めたわけではない。

 どれも人が住んだり、実際に現在も何らかの形で利用されている。

「地震や、戦争の影響を受けなかったからだわね」

 昨夜からなぜか元気がない渉を励まそうと、私は朝からいろいろ話し掛けていた。

「きっと、あまりにも美し過ぎて、手が出せなかったんだ。まるでナチスが、パリを燃やさなかったように……。つまり、あれだよ。学生時代の陽子に対する俺みたいなものなのさ」

 最後に余分なものがなかったら、「コピーライターではなく、詩人に成れるかも」と褒めるのだけど、これでは大幅な減点だ。

「バカ! 元気がないのを心配して、損をした気分」

そう言って、先を歩いた。

 昨夜、部屋に戻ってから、渉は塞いでいた。ロビーで沈んでいた私のほうが、あの後はカラッとしてしまい、ハンスの死のショックが少ない気がする。

「死の向こうには、いったい何があるのかな」

 ベッドに入ってから、ぽつりと出た渉の言葉が、今もチラチラしている。

 普段、日本で生活している時は、一瞬の時間に流され、死について、特に考える必要もなかった。Grand-Ileの中で、こうも歴史的な建物に囲まれていると、今まで叩かなかった心の扉をノックし、開けてみたくなるのか。

 何か、全てが昨日までとは違うように、見えてきている。

 東京では、コンクリートに囲まれたアスファルトの道を、せわしなく目的地に向かい、歩いていた。だが、石畳の道は、ただゆっくりと踏みしめ、絶えず考えながら歩いてしまう。

 初冬の街は、そこはかとなく寂しいが、その寂しさが心を休めてくれた。

 葉の落ちた木々の向こうに、四角と八角の二塔になった建物が見える。マーティン・ビューサーという、宗教改革の頃の指導者がいた、サン・トーマ教会堂だ。

 サン・トーマ教会堂にはパイプオルガンの名器があり、モーツアルトはここで演奏会を開き、パイプオルガンの音色に歓喜したのは、私も知っていた。

 音楽の世界では、バッハの研究家として名高く、パイプオルガン奏者でもあり、また医学者でもあったアルベルト・シュヴァイツアーは、若い頃、このサン・トーマ教会堂の助任司祭だった。

 モーツアルトにシュヴァイツアーと何代も重ねた歴史が、Grand-Ileのあちこちに息づいていた。

 音楽を考えると、ピアノが無性に弾きたくなる。ハンスの店で弾いてから、ピアノに全く触れていなかった。日々、レッスンを重ね、触れないことはないピアノがそばにない。耐えられない。

 渉は、こんな暮らしを何年も続けていた。それなのに、どうしてあんなピアノが弾けるのだろう。コンサート会場をいっぱいにすることができるのに、いつも残るあのむなしさ。

 今、ピアノを弾けば、どんな音を響かせられるだろうか、きっと、旅の前とは違う演奏ができるはずだ。

 何もかも忘れて、今はただ、ピアノが弾きたい。

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