月光 Opus 1
テレビドラマの挿入歌に『月光』が使われてから私の回りが変わったのは、販売と同時に売り切れる、コンサート・チケットだけではない。
「インターネットが普及し始めたので、久木田さんの公式ホームページを作ります」と、レコード会社から話があるなど、周囲が急に騒がしくなった。
それまでCDは出していたが、レコード会社の担当者も、いるのかいないのかわからない状態であったのが、最近は頻繁に連絡をして来る。
パソコンは持たず、ウィンドウズ95が何となくわかる程度の私が「ホームページが、よくわからない」と伝えたら、担当者が直ぐにやって来て、丁寧に説明してくれた。
要は、音楽産業も変化し、今までのような待ちの姿勢ではなく、アーティストの側から、積極的にファンに情報発信をしていくべきだというのだ。その方法の一つとして、ホームページは有効で、若手の有望なアーティスト数名に的を絞り、ホームページ作成を始めると説明された。
ホームページには、久木田陽子の普段の過ごし方や、趣味の話や、コンサートのために訪れた土地をエッセイ風に書いて載せていくという。
パーソナル・コンピュータを持つ人は、まだ僅かであるが、何れはテレビ並に普及するとも説明された。
「あまり文章は、得意ではない」と私が戸惑うと、もちろん専属の編集者がいて、私がメールなどで送ったものをチェックした後に、ホームページには載せるそうだ。写真と、私が感じたことさえ送ってくれたら、文章にしてくれるとまで言っていた。
パソコンは、近日中にレコード会社から配送され、セットアップという作業も、レコード会社の依頼を受けた業者がやるから、承諾が欲しいと頼まれた。
結局、説明は聞いたが「今は、ピアノだけに専念したいので……」と断った。どうも私には、ピアニストがそうした活動をするのがピンと来なかった。
幼い頃からピアノを弾き、将来はピアニストになるのが夢だったが、いざピアニストとして過ごしている姿は、自分が描いた像とは奇妙なズレが生じていた。
レコードが売れて、他に最近変わったのは、ファンレターが急に増えたことだ。
先日来たファンレターには、コンサートで私の『月光』を聴いて、小学校の授業で習った話を思い出したと達筆で書かれていた。
手紙には、送ってくれた人の年齢は書いていなかった。でも、書かれた言葉遣いから、随分な年配の女性であるのは、わかった。
記された内容は、ベートーヴェンが『月光』を作る時の話のもので、手紙を要約すれば、
――ベートーヴェンが若かりし頃、ある晩、友人と散歩をしていた。一軒のあばら屋から、ピアノの音が響いてきた。その曲は、ベートーヴェンの曲に違いなかった。二人が、耳を澄まし、そっとピアノの演奏を聴いていると、音が止み「何て素敵な曲でしょう。ねえ、兄さん、一度で良いから、演奏会に行ってみたい」という少女の声が聞こえた。
「家賃さえも払えないうちの状態では、そんな偉い人の演奏会なんかとても無理だよ」と妹に謝る兄の声を聞くと、ベートーヴェンは友人に「中に入って一曲、弾いてやろう」と、建て付けの悪い戸を開けた。
戸板からは、外の光が漏れる薄暗い蝋燭一本の部屋の中には、顔色の良くない兄と、盲目の少女がいた。
ベートーヴェンは、自分は音楽家だとだけ自己紹介をして、ピアノを弾かせてもらえないかと頼んだ。
少女の兄は訝しげに「音楽家って、あなたは、どなたですか?」と名まで尋ねたが、ベートーヴェンは「まあ、待ってください」と、先ほど少女が弾いていた曲を弾き始めた。
演奏を聴いていた兄妹は「ベートーヴェン先生ですか?」と、思わず声を合わせて叫んだ。
ベートーヴェンはピアノを弾き続け、兄妹はその音に酔い、ベートーヴェンの友人を含め、三人は夢を見るような境地であった。
その時、外から光がさし、パッと部屋の中が明るくなった。友人が窓を大きく開けると、雲に隠れていた月の光が入ってきた。
ベートーヴェンは、ピアノを弾き終えると、立ち去ろうとしたが「どうか、そのままもう一曲」と兄妹はせがんだ。
「それでは、この月を題にして、弾きましょう」とベートーヴェンは、即興で弾いたのが月光ソナタだ――というのだ。
このファンレターを、高校卒業までは、同じようにピアノを習っていた妹に話したら「ベートーヴェンの頃はピアノって凄く高価で、貴族や相当なお金持ちしか持てなかったんだから、ありえないわね」と言われてしまった。
教科書に載っていたというが、この『月光』の話は、私が知っている誕生話とは、随分と異なっていた。
ピアノ・ソナタ第十四番が『月光』と呼ばれたのは、実はベートーヴェン(一八二七年没)の死後である。
『月光』の名は、詩人のルートヴィヒ・レルシュターブが、一八三二年に第一楽章を「ルチェルン湖の月光の波に揺れる小舟を思い浮かべる」と語ったのに由来している。
つまり、ベートーヴェンがソナタ十四番を作曲した一八〇一年に、『月光』や『月光ソナタ』と呼ばれたわけではない。だから、月の光を見てこの曲を作った逸話は、この曲が『月光』と呼ばれるようになった後世に、誰かが作った話に違いない。
だが、第一楽章は、ファンレターに書かれた温かい物語が似合う、叙情性に満ちた曲であり、世界中で愛されている。