薄日 Opus 2
「ねえ、どうかしら。訊いてもいい? このホテルの人に、ガンダーさんの家について。こんなに古いホテルだから、何か知っている人がいるかもしれないわ」
悲しみを乗り越えようと、陽子はクッと口を結んでいた。確かに、古くからあるホテルだから、期待が持てそうだ。
「いいけど。ハンスのことは、何も話さなくてもいいよ」
陽子はパウダールームで、口紅を差して戻ってくると、若いコンサルジェではなく、レセプシオンに向かった。
「ボン・ソワール」と支配人に声を掛けた。
「ボン・ソワ、マドモアゼル!」
さっきは俺たちを、ちらちらと見て気にしていたようだが、今はもう初対面の時と変わらない。
「あまり上手にフランス語が話せないので、おゆるしください」
そうことわって、陽子は微笑んだ。
「わかりました。ところで、何か御用が……?」
支配人は慇懃な態度を崩さない。
「実は、ある人を捜しているのです」
陽子は、ゆったりと微笑みを浮かべながら話す。
「ストラスブールで、ですか?」
「ええ」
そばにいた俺も気になり、立ち上がって陽子の後ろに行った。
「捜しているのは、お二人の国の方ですか?」
支配人は、俺と陽子を交互に見る。
「いいえ、こちらの方です」と陽子が答えた。
「アルザシアンを捜していらっしゃるのですか。わざわざ日本から。それで、私どもに、何をお望みで?」
話の内容に全く関心がないのか、それとも関心はあるが、そんな様子を見せないのか。少々冷たい機械のように、言葉を返してくる。言葉は丁寧だが、昨日今日と尋ね歩いた、街の人たちとあまり変わらない。
陽子は「英語で話してもいいでしょうか?」と了解を取り、苦手なフランス語を止め、英語で話し始めた。
「五十年以上前に、ストラスブールに住んでいたのは確かなのです。この古いホテルなら、どなたかがご存知ではと思って……」
支配人は、五十歳、いや六十歳に近そうだ。この辺りに住んでいたのなら、マリアを知っているのかもしれない。
「お二人は、ご存知でしょうか? ストラスブールといってもとても広いのです。今いらっしゃるGrand-Ileは、この街のほんの一部です。詳しいご住所は、知っていらっしゃるのでしょうね?」
「いえ、その住所がはっきりしないのです。第二次大戦の頃にGrand-Ileに住んでいて、カテドラルから市庁舎に向かって二分ほど歩いた所に家があった、と伺っているだけです」
「カテドラルの近くですか。それなら住所さえわかれば、何かわかりそうですね。カテドラルから市庁舎までは、直線で約三百メートル、通りは三つあるだけです」
「ええ、脇道も含めて三つの道を全て歩き、尋ねられる限り回ったのですが、駄目でした」
横にいた俺が口を挟んだ。
「で、お捜しの……?」
「住所はわからないけど、名前でしたら」
ちょっと支配人が躊躇したので、陽子がすかさず付け足した。
「教えていただければ、何かお手伝いできるかもしれません。マドモアゼル」
「ありがとう。でも、私ならマダムで結構です」
陽子は俺を見て、次に支配人に微笑む。
「それは、おめでとうございます。パスポートをご拝見した時には、気が付かなくって。ご結婚されていたのですね?」
「いえ、一昨日、婚約したばかりです」
陽子は、嬉しそうだ。
「ご婚約ですか。では、やはり、おめでとうございます。ただ、神の前での契約が未だな人に、マダムと呼ぶのは早いようですね。やはり今日は、マドモアゼルと呼ばせていただきましょう」
支配人の口調は、さっきまでの堅さが取れて、優しさが含まれていた。
「私たちが捜している人は、マリア・ガンダーさんです。戦前、Grand-Ileに住んでいたガンダーさんの孫娘にあたるマリアさんを、捜しています。終戦の頃に三歳だったのだから、一九九七年の今の年齢は五十六歳になる女性です。ガンダー家は、ストラスブールで代々法律家をしてきた家だとも伺っています」
支配人はじっと考えている。右手を、顎に触れて語り始めた。
「法律家で、ガンダー氏ですか? やはり私は、聞いた覚えはありません。ストラスブール全体では知りませんが、ガンダーと名の付く法律家は、いまはあの三つの通りには住んでいないでしょう」
かなり自信を持っているようだ。
「じゃあ、マリア・ガンダーではなく、マリア・ベルンハルトは?」
ハンスについて、できれば触れたくはなかったが、ベルンハルトの名を俺は出した。
「生憎、今の二つの名前共に、知らないですね」と首をゆっくり動かし、否定の意志を示した。
陽子が俺を見て、「渉、やっぱり無理みたいね」と日本語で残念そうに呟く。
急に気落ちした陽子の様子が、誰の目にもよくわかった。
本年最後の掲載となりました。
西暦2015年は、パリで大きな事件が起こり、多くの人にとって不安の残る年でした。
戦乱の地から離れ、ヨーロッパを求める多くの西アジアの移民たち。
安全は確保されても、能力があってもイスラム系だというだけで、就業はできないといった問題が待っている現実。
10年後、自分たちを受け入れない社会への不満を持つ若者が、父母が捨てたイスラムの地に向かい、戦士となるとしたらなんてかなしいことでしょうか。
移民を受け付ける”善行”は、その子どもたちの将来まで保証しなければいけないことを、どれほどの人が気がついているのか。そんな思いがした、年の瀬でした。
真面目に懸命に生きている人が、あたり前の幸せが得られる世界がどこの国にもあることを願っています。
新しい年も、よろしくお願いします。




