薄日 Opus 1
死が突然に訪れるのには、俺は慣れていた。砂時計を引っくり返して、なくなるのをじっと待つような死は、旅に出てからは遇っていない。
サラエボでは、いろんな形の死を見たし、直接目にした死の数は、指を折って確かめられる以上にあった。
「渉、驚かないでね。ハンスが、死んだんだって。昨日の朝……」
電話の向こうのミッターマイヤーさんの様子で、何かが起こったのは想像できたが、まさかハンスの死だとは、考えられなかった。ハンスの体の具合が悪くても、よもや昨日今日の問題だとは、思いもしなかったのだ。
俺たちがカイザースブルクを出た翌日に、ハンスは死んだ。マリアに指輪を渡すのを俺たちに託して、安心して、帰らぬ世界に逝った。
これで、カイザースブルクに戻っても、ハンスに家宝の指輪を返せる状況ではなくなった。ストラスブールで何が何でも、ハンスの願いを叶えなければいけないのだ。
陽子はロビーのソファに座ると、ショックのため、俯いてしまった。
死を悼み、悲しむ。生と死の垣根が低くなった世界にいたためか、陽子のようにハンスの死を受け止められない自分に、気が付いた。いや、死が悲しくっても、うまく表現できないんだ。
「渉、ハンスに、マリアさんに宝石を渡せたと伝えたかったわね」
顔を臥せたまま、俺に話しかけてきた。髪が邪魔をし、どんな顔をしているのか、はっきり見えない。
「陽子、ハンスが死んで、これで詳しい場所もわからなくなったね」
二日間、カテドラルから市役所までの三本の通りを歩いたが、マリアやガンダー家の場所について、何もわからなかった。もう少し詳しい情報を得るために連絡を取ろう、とした矢先にハンスが死んだのだから、途方にくれてしまう。
「そんな……。詳しい場所よりも、渉はハンスが死んで悲しくないの?」
陽子は《死を悼む》気持を訊いているのだろうか? 非難するような話しぶりだ。
「そりゃ、俺だって悲しいさ。でも、陽子のように、人が死ぬたびに悲しみ、嘆く世界には、いなかったんだ!」
少しきつい口調になった。ただでさえ、日本語で話しているのに、それ以上に目立ってしまい、ホテルの支配人やコンサルジェの好奇の目が俺たちに集まった。
「わかったわ。ごめんなさい。悲しいのは私だけではないのに……」
俺は、コピーを頼もうと、立ち上がって電話帳を手にした。ガンダーが八軒、よく似た名前のガンターなら十二軒載っていた。
陽子は、チラッと、俺の手にある電話帳を見た。




