カテドラル Opus 3
ライン川の向こうに、黒い森が見える。黒い森の切れた辺りにドナウエッシンゲンの街がある。
ドナウ川の源といわれる泉がある街だ。ドナウエッシンゲンから、黒海までドナウ川は、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニア、ウクライナを流れる。
私が留学したウィーンもドナウ川は流れ、中流には旧ユーゴの首都ベオグラードがあり、支流の一つは、渉のいたサラエボを流れドナウ川と合流する。
「陽子、信じられないかもしれないけど、内戦の前までは、ユーゴスラビアでの民族間の関係は全く違った。さっき、カテドラルの前で見たジプシー、いや、ロマの人々の言葉でのテレビ放送まであったんだ。たぶん、地球上どこを探しても、ロマ語のテレビ番組なんかないのに、ユーゴスラビアにはそれがあった。そんな国が、平和な時のユーゴスラビアなのさ」
さっきカテドラルの前で、ロマの人に出会った。ウィーンで、変に返事をしてしまった為に、身体を引っ張られて、お金を渡さないと放してくれなかった経験がある。だから、いつも出会うと、さっきのように、無視をして足早に通り過ぎるように決めていた。
「全てが内戦によって変わったんだ。サラエボで、東欧の戦争調査団の医師に会った。その医師は、ある家の門の前に、吊された死体を見つけた。その死体は無惨にも目をくり抜かれたもので、リンチでもされたのか、体のあちこちに傷跡があった。死体を解剖すると、胃から消化されていない人間の目玉が出てきたんだ。つまり傷を加えた人間は、生きている人間の目を取り、それを食べさせた後に殺したようだという。さっき話した少数民族であるロマ語の放送をするのも、生きている人間の目を食べさせるのも、同じユーゴスラビアといわれた国の人なんだ」
戦争とは、なんて惨いものだろう。「考えられないほどの絶望を与えるのが戦争であり、そんな所から出て来た俺は、もう金輪際あの世界に触れたくない」と、ユーロップ橋を渡った所で渉が語ったのが、よくわかる。
「サラエボでよく顔を合わせたフランス人ジャーナリストが『二十世紀はボスニアで始まり、コソボで終わろうとしている』と話していた。サラエボは、第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子夫妻の暗殺があった都市だ。今ようやく戦禍が去ろうとしているコソボも、どちらも九十年代の始めまで存在した、ユーゴースラビアといわれた国の一部さ。EUが拡大し、ヨーロッパが一つになろうとしている。その一方で、ユーゴスラビアでは、第二次大戦時の、ウスタシャ(クロアチア人)やチェトニック(セルビア人)を思い出させる略奪、虐殺、強姦を繰り返し、二〇世紀を終えようとしている」
欧州議会のあるストラスブール。ヨーロッパの平和を象徴する街の、最も代表的な建物で、二〇世紀の血塗られて歴史を私は聴いていた。
「そんな以前から、いろんな問題を抱えていた地域が、第二次世界大戦後は一つの国であったなんて、奇蹟みたいね」
もうこれ以上は戦争の話は聞きたくないはずなのに、湧き上がってきた素直な疑問を、渉には告げずに入られなかった。
「第二次大戦後のユーゴスラビアは『七つの隣国、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字により構成される一つの国』と表現されたんだ。第一次大戦の頃から、バルカン半島はヨーロッパの火薬庫だっただけに、ヨーロッパの人にとっても、一つの国であり続けるのが不思議だったんだろう」
一つの国であったのが奇蹟みたいと叫んだ私だが、渉に会うためサラエボに何度も行こうとしたため、今の話は知っていた。
七つの隣国とは、国境を接しているイタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア。
六つの共和国は、ユーゴスラビアの中にあるスロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルチェゴビナ。
五つの民族は、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人。
四つの言語は、スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語。
三つの宗教は、カトリック、セルビア正教、イスラム教。
二つの文字は、ラテン文字とキリル文字のはずだ。
最後の一つを、渉は国といったが、国ではなくチトーという一人の卓越した指導者を挙げる人もいる。
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