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ラ・カンパネラ  作者: Opus
53/96

カテドラル Opus 2

 プラット・フォームからは、眼下のストラスブールの街がよく見える。

「なんという美しい風景。新しい楽園のようだ!」

 一七七〇年四月、法律を学ぶために、ストラスブールにやってきた二十歳のゲーテは、ここに登り、この眺めに感嘆してこう叫んだという。それほどの景観だ。

 眼下のストラスブールの街は、綺麗な絵のようで、動いている路面電車(トラム)が、古い街並みの中にアクセントを添えていた。イル川が旧市街を囲み、駅のほうには一昨日の朝にも見た観覧車と、近代的なビルが見える。

 ずっと西を見渡すとヴォージュの山々、東にはライン川が流れ、いくつかの運河が横切っている。ヨーロッパの川は、大地を流れる血のようだと聞いたが、まさにそんな絵を見ているようだ。

「サラエボって、あっちの方向……?」

 私は、南東の方角を指さして、渉に訊いた。遠く離れていて、臭うわけないのに、なぜか火薬の香りがする。

 渉は、私を振り向いただけで、何を考えているのか、言葉を返さない。

「あのライン川の向こうの街は、ハンスがいるカイザースブルクかしら?」

 指で示しながら、また渉に話しかけた。

「ねえ、渉。どうして人は争うの……? 簡単に人を傷つけられるのかしら……?」

 渉から、サラエボの話を聞いた後、ストラスブールに来ると、大きな命題を与えられでもした気がする。

「さあ、どうしてだろう。俺も同じ質問をした覚えがあるよ。そうしたら『どうして人が争うのか? がわかれば、戦争なんか起こらない。きっと誰も答を見つけられないのさ』と呆れられた」

 私たちの後に登ってきた子供たちが、プラット・フォームに登り、下に向かって手を振り、大声で叫び始めた。

「渉に話した人は、本当にわからなかったのかしら? 渉は、サラエボで、昨日まで同じ机を並べていた友人同士が殺しあうのを見たって話してくれたけど、どうして殺しあうまでしなければいけないの……。それなら陸続きのヨーロッパなんだから、どこかに逃げればいいじゃないの」

 サラエボだけではなく、中東などの争いを見ても、いつも私は思うのだ。

「確かに、出ていく人間もいる。実際、ここ何年間かの間にユーゴスラビアから、地球の裏側のオーストラリアへの移民が増えた、と聞いたよ。でも逃げた者の心に残るのは、自分は“民族の卑怯者”だという意識なのさ」

「民族の卑怯者?」

「要するに、逃げた人間は、同胞を裏切った卑怯者として、その後の人生を送る。それが耐えられない人間が多く、闘う道を選ぶんだ。たぶん陽子には理解できないんじゃないかな。平和な時には、そんなって思う出来事が、現実となるのが戦争なのさ」

 確かに、私には理解できない。

「渉は、わかるの…? その人たちの気持が?」

「何となくだが、わかる。というより、あの世界にいた時は、わかるつもりでいた。ただ、今のように平和な所にいると、まるで自信がない。俺に『民族の卑怯者として生きるのが耐えられない』と話してくれたのは、サラエボで親しくなったムスリムの青年なんだ。彼の父親はイスラム教徒だが、母親はセルビア人のクリスチャンだという。『内戦が始まるまでは、自分はムスリムでもセルビア人でもなく、ユーゴスラビア人だと考えていた』って……。それが戦争によって、自分の帰属を鮮明にしなければいけなくなったそうだ」

 渉は、深く溜息をついていた。

「サラエボの人は、卑怯者として生きるより、死を懸けて戦うというのね。命よりも重いものなんて、あるわけないのに……。それなら、みんなが卑怯者になればいい」

 勇気とは何かと思う。闘うだけが勇気なのではなく、戦争を回避するために、逃げる勇気があってもいいはずだ。

「確かに陽子の言う通りさ。だが、実際の戦場を満たしている狂気の前では、今の陽子の言葉も、硝煙と銃声の中に消えていくんだ」


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