姉弟 Opus 4
しばらくすると、こちらから声を掛けようかと、目が合うのを待っていたメートルがやってきた。
「デザートは? それとも、フォマージュ(チーズ)は?」と薦めてきた。俺は断ったが、陽子は「私の人生の楽しみの一つだから」と、フランス人が言いそうなお決まりの台詞を笑って口に出し、チーズの盛り合わせを頼んだ。
ちょうど食べごろのマンステールとブリー、ロックフォールが皿に載せ運ばれてきた。
「このマンステールは、アルザスで作られるチーズを塩水で拭いたものです」と、メートルが説明してくれた。
陽子はマンステールのクリーム状になった部分を、固く焼いた付け合わせのパンに載せ、食べ始めた。
「陽子、美味しそうに食べるね」
「きっと、食いしん坊だから、パクパク食べると言いたいんでしょう?」
コケティッシュに笑い、ふんといった感じにわざと顎をツンとあげる。
ちょうどそのとき、外からヴァイオリンの音が響き始めた。『アイネ・クライネ・ナハトマジーク』だ。
生演奏を通りで演奏するのは、ヨーロッパの都市では良くある。クラシック文化の違いを感じさせた。
「ヴァイオリン、上手ね」
「ああ、それに比べるとチェロは? だね」
ヴァイオリンに比べチェロは、かなり拙く感じた。
「うん、渉のほうが断然上手いわ!」
「それは、失礼だよ」
「そんなことない。私、渉のチェロ好きよ」
「俺のは、少し囓っただけさ。弓の扱いも自己流だし」
ピアノならまだしも、チェロを褒められると、冷や汗が出てきそうだ。
「渉は、ピアノじゃなければ、チェロをした?」
「チェロは好きだけど、ピアノをやらなければ、チェロを弾く機会はなかった」
音楽一家の陽子の家とは違い、我が家ではチェロなど考えられなかった。
「陽子、チェロの話をすると、ロストロポーヴィッチが聴きたくなってきた!」
CDで何度も聴いた、カラヤンの指揮で、ベルリンフィルハーモニーと行ったロストロポーヴィッチの名演が浮かんだ。
「チェロ協奏曲ロ短調、うん、ドヴォルザークが、聴きたいな」
音楽を考えると、直ぐに旋律が頭の中に舞う。
「阪神大震災の直ぐ後に、ロストロポーヴィッチのチェロを、サントリーホールで聴いたわ。渉、神戸で地震があったのは知っている?」
「一昨年の一月だよね。外国にいたって、日本人なら知らない人間なんかいないよ」
まさか関西で、何千人もの人が死ぬような大きな地震が起こるなんて、考えていなかっただけに、すごく驚いた。ニューズウィークの特派員から見せてもらった表紙になった、廃墟となった街に立つ若い日本人女性の姿を、俺は一生ずっと忘れないと思う。
「震災の直ぐ後に、ロストロポーヴィッチはN響と共演したの。指揮者は誰だと思う? 小澤征爾よ。N響に小澤征爾といったら、音楽に詳しい人なら、色々とあったから、きっと驚くわよね。ロストロポーヴィッチにとって弟子に当たる小澤征爾が指揮をして、オケがN響。最初の曲が『G線上のアリア』で、次がバルトークの『管弦楽のための協奏曲』。三曲目はドヴォルザークの『チェロ協奏曲ロ短調』だったわ。すごく力強いチェロだった。アンコールは、地震で多くの人が亡くなった後だから、弾き終わっても拍手はしないでとロストロポーヴィッチが言って『無伴奏チェロ組曲 第五番サラバンド』を独奏した。大きな地震のショックで日本中が震えている時に、地震で亡くなった人の霊を慰める、綺麗な音を響かせていた。私もそうだけど、終わった後、涙が止まらなかった人がたくさんいたわ」
サントリーホールでのコンサートの話に酔った。もし東京にいたら、きっとそのコンサートには出かけただろう。
音楽の話は楽しく、心地よい気分に耽りながら、外から聞こえる大道芸人の奏でる演奏に耳を傾けた。ブラームスの《ハンガリー舞曲第五番 嬰へ短調》が演奏されている。
ヴァイオリンがリードしながら楽しく最後まで弾き続け、曲が終わった時には、かなり人が集まったのか、溢れんばかりの拍手が沸いた。
「ねえ、渉が行ったバルセロナはカタルーニャだから、カザルスの故郷よね。鳥はみんなピース、ピースと鳴いていた?」
「ああ、フランコもいないのだから」
ガウディの建築が溢れるバルセロナは、素敵な街だった。初めて地中海の青い海を見た時は、一生ここで暮らしたいと心底思った。
「陽子、サン・ジョルディの日って、知っている?」
「四月二十三日でしょう」
陽子はすっと当てて、何か魂胆があるのか、笑っている。
「あれっ? 良く知っているね」
「だって、渉からは何もプレゼントとをもらったことはないけど、私の誕生日の前の日だもん。サン・ジョルディの日は、確か、本を贈る日だったけど?」
陽子は恥ずかしそうに髪を撫でた。学生時代に良く見た、照れた時にやる仕草だ。
「日本では、サン・ジョルディの日を、本の日と言うよね。バルセロナがあるカタルーニャ地方の守護聖人がサン・ジョルディなんだ。もとは、カタルーニャの人は、この日に一冊の本と薔薇を交換した。フランコがいた頃は、カタルーニャでは、カタルーニャ語を使うのも、カタルーニャ語の本を持つのも許されなかった。だから、バルセロナの人たちは、隠し持っていたカタルーニャ語の本を、この日に薔薇と交換したんだ……」
「そうなの、サン・ジョルディの日が、そんな特別な日だったなんて……。今まで私が何も知らなかっただけで、何かみんな意味があるみたい」




