ラ・カンパネラ Opus 3
いつもはカウンターに注文した品を置くハンスが、珍しく頼んだコーヒーを手にして、俺の座っているテーブルに持って来た。
「ショウが初めてうちに来た夜、ピアノを弾きたいと言ったのを覚えているか?」
少し話し辛そうにして訊いてきた。
「よく覚えているよ。あの時は、美味しいビールを飲んで、酔った勢いで、ついあんな図々しいお願いをしてしまった」
初めての客には弾かせないとハンスはすげなく断ったのだが、ビールを飲み過ぎているのに、弾きたいと言ったのが良くなかったのかと、俺は反省していた。
「どこの誰かわからない人間に、ピアノを弾かせたくないから、始めてきた客には、誰に対してもああやって断っているんだ。悪く思わないでくれ」
あれ以来、ハンスの店のベヒスタインは高嶺の花の貴婦人のように、いつもツンと澄ましていた。
「断ったままだったが、今もピアノを弾く気はあるかな?」
「エッ、それって、そのベヒスタインを弾かせてくれるというの?」
「ああ」
「ずっと、弾きたかったけど、口に出せなかったんだ」
俺は、嬉しくなって、声が裏返ってしまった。
「じゃあ、弾いてくれるか」
「ヤー(イエス)」と普段は話さないドイツ語で、返事をしていた。
「ショウ、一つお願いがある。弾けるなら、この曲を弾いてくれないか……」
ハンスは随分と黄ばんだ楽譜を渡してきた。黄色より、赤茶色になり、あちこちシミが付いた楽譜だ。
手にした楽譜は、リストだった。
「『ラ・カンパネラ』、とびっきり綺麗な曲だ」
そう日本語で叫んでしまった俺を、弾けるか? と不安そうなハンスの目がじっと見つめた。
弾けない曲ではない。ただ、ピアノから遠ざかり過ぎたために、今すぐ納得する音を響かせられる曲ではない。
『ラ・カンパネラ』を満足に弾くのなら、大学の練習室でみっちり籠もってからにしたい。そんな曲だ。
『ラ・カンパネラ』の作曲者フランツ・リストは、七歳で父親からピアノの手ほどきを受け、九歳で演奏会をし、十三歳でパリやロンドンでコンサートを開いた。
チェルニーにピアノを、作曲はサリエリから習った音楽の神童の一人だ。
リストは、少年時代が終わろうとする頃、初恋に破れ、ピアノに触れなくなった。ピアノを離れたリストが、たまたまパリでヴァイオリンの鬼才と呼ばれた、ニコロ・パガニーニの演奏を聴いた。
悪魔に魂を売ったとか、脚がないとまで言われたパガニーニが演奏を終えた時に、「私はピアノのパガニーニになるか、さもなくば気違いになる!」とリストは叫び、再び、ピアノの世界に戻った話は、とても有名だ。
リストはパガニーニの影響を受け、六つの「パガニーニ・エチュード」と呼ばれる難曲を遺した。その第三曲が『ラ・カンパネラ』だ。