指環 Opus 3
「陽子、ハンスが渡して欲しい宝石って、どんなものかな?」
宝石が入った小箱を入れた、陽子の鞄につい目がいった。
「渉は、ハンスがこんなに大切なものを私たちに託して、心配じゃないかって思わない?」
「きっと他に頼む人がいないからだろう」
俺も、今朝ちらっと見た従兄弟の娘に頼めないのかと思った。しかし、それができないから俺たちに頼んだのだ、と今は考えている。
「でも、渉なら、見ず知らずと言っていい外国人に頼む?」
陽子は、不思議でならない様子だ。
「さあ、どうかな。でも、ハンスが俺と陽子を信頼してくれたからさ」
そんなことを言ったが、俺なら、先祖代々の大事なものを、人に預けたりはしないだろう。ただ、ハンスとの間には、この一ヶ月の間にできた信頼を感じていただけに、陽子の言葉通りには頷けない。
「私、ハンスがどうして、私たちに頼んだのか、訊いたの」
「それで、ハンスは何て言ったの?」
学生時代の陽子を知る俺には、陽子がドイツ語で話した内容は、ちょっとした驚きの連続だ。
「ハンスは、二人の演奏を聴いたからっだ、って」
「演奏を?」
また謎めいた返答を、ハンスはしたものだ。
「そう。ピアノを聴けば、あなたがどんな人間か、渉がどんな人生を送ったのか、よくわかる。それと、優れた技術や才能を持つ人は、体の中にいくつもの大きな宝石を鏤めている、って」
「なんか、嬉しいね。それって、俺たちの演奏のほうが、その宝石よりも価値があるということだよね」
陽子から聞くハンスの言葉は、とても気持ちよく心に響いた。
「嬉しい。でも、私は自信がないな。そばに渉がいるのに、宝石の魔力に負けてしまうかもしれないわ」
陽子は、宝石が入っている自分の鞄を軽く叩いて笑った。
「陽子、見てみない? 今の話を聞いて、鞄の中の宝石を、確かめたくなった!」
ちょうど、回りに人が座っているわけでもない。最後部の、誰も見えない位置の席にいるのだから、箱を開けても大丈夫だろう。
「ええ、私も見てみたい。少しお行儀悪いけど」
俺たちの価値を、ハンスの宝石が計っている気がした。
陽子は、鞄の中に仕舞っていた革の小箱を出した。小箱を手にしたが、いつまでも開けようとしないため、俺が手にとって、きっちり閉じられた金具を外した。
ゆっくり開けると、中には綺麗な指輪が入っていた。金の凝った台座に、大きな薄い青緑の石が真中にあしらわれ、その回りを茜色のカラーダイヤが覆っていた。
「わぁー、綺麗!」
ぱっと輝いたような言葉が響いた。
「真中の石は、エメラルドかな?」
宝石音痴の俺は。青色の宝石は全てエメラルドだと思っている。
「トルコ石よ。青でもなく緑でもない、綺麗な色。乳白色の模様が微妙に入って輝いている。それも、こんなに大きい」
陽子は、眩しそうに眺めている。「結婚指輪は、カーテンリングでも良い」といった陽子だが、やはり宝石には興味があるようだ。
「うん、綺麗だね」
「回りのカラーダイヤも、綺麗なカッティングだし。リングも凄く凝っている。一つ一つはとても豪華だけど、全部が揃うと、シックにまとまるのね」
「アールヌーボーより前の時代かな? ハンスは、こんな立派な指輪を俺たちに預けたんだ」
どれほどの価値がある指輪なのかわからないが、ハンスの家の人にとっては、掛け替えのない逸品だろう。
「うん。渉と私は、これ以上の宝石だってこと?」
「うれしいね」
本当に、嬉しかった。演奏を評価されたのもだが、自分を信頼してくれたのが、何よりも嬉しい。
「私もこんな指輪が欲しいな」
陽子は悪戯っぽく笑った。
「ねえ、ハンスは渉の演奏を聴いた時に、何か言っていた?」
好奇心いっぱいで、目を輝かせた陽子がいた。
「聴衆を楽しませる音があるって」
「楽しませる音か! 私も、言ったことがある。ハンスも感じたんだ。努力すれば、器械のように精密なピアノは弾けるけど、そんな演奏にはない魅力が、渉にはあるの。なぜか、聴いている人が惹き込まれる楽しい音があるのに、ハンスは気付いたのね」
陽子が熱い眼差しを俺に向けたので、俺はわざと逸らすように、宝石を見た。
「陽子の演奏は、ハンスはどう感じたのかな?」
ハンスなら、陽子の演奏に、きっと深いものを感じたのではないか?
「訊いてみたの。そうしたら『誠実』と『熱情』を感じるって。それと、『努力次第で、大きく開花する可能性がある』って言ってくれたわ」
「努力なら、陽子以上の人なんていないからね。それに、『誠実』と『熱情』なんて、陽子そのものかもしれない」
一枚の葉書だけで、ドイツまで俺を捜しに来てくれた陽子にふさわしいように感じた。
「私も、嬉しかった。私のピアノをそんな風に評価してくれたハンスに、ストラスブールに行ってマリアさんを必ず見つけるって誓ったの」




